ForestLond

森に還る恋人たち (9)

 アルセリアの身体を抱き締めて、絶望に沈むアルベルトはふと気配に気づいて、顔をあげた。

「ティセリア?!」

 そこに立っている見慣れた女性の姿に声をあげる。
 ティセリアは優しく微笑んで、隣に立つ青年を見た。青年はアルベルトの傍に歩み寄る。
 警戒して、アルベルトはぎゅっと腕の中のアルセリアを守るように、抱き締めた。

『心配しないで』

 ティセリアが柔らかい口調で言う。まっすぐ見つめてくるティセリアの目に、真剣な光があるのを見つけて、アルベルトは戸惑いながらも、青年に譲るように、アルセリアを抱き締める腕を緩める。

 離れることはどうしてもできなかった。

 青年はそんなアルベルトを慈しむような光を浮かべて見ると、そのまま視線をアルセリアにうつした。そっと手の平をアルセリアの心臓の位置にのせる。そのまま、目を閉じる。
 ふとその手の平に淡く黒い光が浮かび上がってきた。

 アルベルトは不思議な思いでそれを見ていた。悪いものではない。
 むしろ見ているだけで、それは温かく、何か優しいものに心が包まれていくようだった。

 それはゆっくりとアルセリアの体の中に吸い込まれていく。

 どれくらい経った頃だろうか。

「……う、ん…」
 うめき声がアルセリアの唇から零れ落ちた。

 信じられずに、アルベルトは目を瞠り、息を呑む。呆然と眺めていると、アルセリアの睫がぴくりと揺れて動いた。瞼が開かれ、アルセリアの澄んだ青い目がアルベルトを映し出す。それを見て、アルベルトはぎゅっと抱き締めた。

「アルセリア!」

 さっき抱き締めていたときは冷たくなっていたアルセリアの身体に微かではあるが、ぬくもりが戻っていた。

「……アル…ベルト……?」

「ばかやろう!」

 訝るように口を開いたアルセリアがはっきりと意識を取り戻す前に、そう怒鳴っていた。

 唐突なアルベルトの怒鳴り声に、アルセリアは瞬きを繰り返す。
 ぼんやりしていた頭がはっきりとする。強く抱き締められていることに気づいた。

「どうして生きる方法を探さないっ! どうして諦めようとするんだ! お前はっ……おまえ……」

「アルベルト?」

 ぽつり、と頬に冷たいものが落ちていることに気づいて、アルセリアは身じろぎした。少し離れて、顔をあげる。
 アルベルトが泣いていた。

「……俺はお前がいなくなったらどうすればいいのかわからない」

 まるで親とはぐれてしまった子どものように、瞳を揺らすアルベルトの心の痛みに気づいて、アルセリアは手を伸ばす。頬にそっと触れる。
 アルベルトはその手をつかんでぎゅっと握った。

「一緒に帰ろう……。アルセリア。ふたりで一緒に……」

 アルセリアは何も言えなかった。
 胸に熱いものがこみあげてきて、アルセリアの瞳にも涙が溢れてくる。
 それをアルベルトは繋いでいる手とは反対の手でそっと拭う。その優しい仕草に懐かしさを覚えて、胸の中が愛しさでいっぱいになる。

 ふっと、アルセリアは腕をのばしてアルベルトに抱きついた。

「……ごめんなさいっ、……ごめんなさっ……!」

 謝罪を繰り返すアルセリアを宥めるように、強く抱き締めて、髪を優しく撫でる。そうしながら、アルベルトはそっと耳元で囁いた。ハッと、アルセリアは顔をあげて、視線を向ける。
 穏やかな目で二人を見守っているティセリアと青年の存在に気づいた。

 アルセリアは身体を起こして、二人をじっと見る。幼い頃に死に別れてぼんやりとしか記憶に残っていない、だけど大切にしてきた面影を思い起こしていた。

「お母さまっ!」

 走りよって抱きつこうとして、その存在が幻のように薄らいでいることに気づいた。ティセリアはただ、柔らかく微笑む。

『ふたりで生きて幸せになって』

 そう、唇が刻む。
 返事をしたかったけれど、声にはならなくて、アルセリアは必死に頷く。
 アルベルトが繋いできた手を握り返す。それを見ていた青年もティセリアの肩を抱いて、ふっと、笑った。

『召喚の力は契約した通り、この世界から完全に消えてしまう。だけど、もう、必要ないよね』

 力なんていらない。必要ない。ただ傍にいる、この手から伝わってくるぬくもりさえあれば。二人で一緒に生きていくことができれば ――― 。

 はっきりと首を縦に振り、意志の強い瞳で青年を見返して、アルセリアはハッと、気づいた。自分と同じ、青い瞳と。優しく見つめてくるその視線に愛情を感じる気がする。
「まさか、あなたが……」
 肯定するように、青年はひとつ頷く。

「お父様……」

 青年の目が嬉しげな光を宿して、細まる。だが、青年は何も言わずに、アルベルトに視線を向ける。

『娘と、幸せに』

 まっすぐ見返して、アルベルトはしっかりと頷いた。力強い瞳に、青年もティセリアも優しく微笑んだ。
 そうして、二人の姿は空気に溶け込んでいく。


 ――― 娘と、幸せに

 嬉しくて、嬉しくて。涙が止まらなかった。
 アルベルトと繋いでいる手に力がこもる。そのぬくもりを感じて、アルセリアは涙を拭って、視線をアルベルトに向けた。

 愛しさがこめられた瞳で優しく見つめ返されて、アルセリアの胸が震える。
 溢れてくる愛しさを感じながら、微笑み返した。

「帰ろう、アルベルト」
「ああ……」

 頷きながら、ふとアルベルトの表情が曇る。
「だが、森は……」
 その言葉に、アルセリアは思い出した。アルセリアの力に還元されたあの召喚の力は、もうないと言われた。
 ふたりで過ごした森はもうない。

「あ……」
 アルセリアの瞳が悲しげに揺れる。

 言葉をかけようとして、アルベルトは精霊が動いたことに気づいた。伝えられた内容に、目を瞠る。信じられなかった。それでも、精霊が嘘をつくはずがなくアルベルトの心に苦い思いが浮かぶ。

「……あのじじい。勝手なことしやがって」
 吐き捨てた言葉とは裏腹に、アルベルトの表情はとても穏やかなものだった。

「アルセリア」

 俯くアルセリアの名前を呼ぶ。不思議そうな顔をするアルセリアに笑いかけて言った。

「帰ろう、ふたりの森に」

 森はなくなったはずなのに、そう言うアルベルトに戸惑う表情を見せてアルセリアはじっと見つめる。

「大切にすれば、森はそこに在り続けるんだ」

 地上が続く限り、そこにある命のひとつひとつが宝物だと感じる気持ちがある限り、自然はきっと失われることはないだろう。
 だから、ふたりの帰る場所でもある森も、在り続ける。

 アルセリアも微笑み返して、頷いた。

「よし! 帰ろう、アルベルト!」

 元気よく返事をするアルセリアに頷いて、アルベルトは手を繋いだまま共に、ふたりの帰る場所に向け、足を踏み出した。


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