■奇妙なカップルと小動物■
………絶対、こいつだわ。
一人の少女がむっつりとした顔で、目の前の幸せそうに眠っている青年を睨みつけた。
スヤスヤ、と気持ちよさそうに木陰で寝息をたてている姿は見惚れるほどに美しい。シルバーブロンドの髪はきらきらと光を受けて輝きを放ち、整っている顔の全てのパーツは眠っているせいかやや童顔に見えるが、それこそここに詩人、もしくは画家がいれば天使の寝顔と題して作品でも作っていたかもしれないほどだ。けれど今、青年の目の前にいる少女は詩人でも画家でも、まして外見に騙されてその寝顔にうっとりと見惚れるような女性ではなかった。
少女は眉根を寄せて、思いっきり大きく息を吸った。
「ちょっと! マックス! 起きなさいッ!」
青年の耳元で吸い込んだ息を一気に吐き出すように、大声をだす。だが、予想していたのか気配で感じていたのか、青年はいつの間にか耳を手の平で塞いでいた。
「……優しい起こし方を期待してたんだけど」
どこか拗ねたように言ってマックスは深い青色の瞳をのぞかせる。
「おあいにくさま! あんた相手に誰がそんなことするもんですか!」
「僕相手ってユリーナの相手をするのは僕しかいないじゃないか」
預けていた木の根元からむくり、と身体を起こして、マックスは立ち上がった。
「なっ! い、いるわよ!」
動揺しながらも、ユリーナは負けじと言い返す。
「ふーん、だれ?」
気のない口調で訊ねるマックスに、言葉が詰まる。
「そ、それは……」
「それは?」
繰り返されてユリーナはとうとう我慢できずにキッ、とマックスを睨んだ。
「マックスには関係ないでしょ!」
ぷい、と顔を背けるユリーナはその場にいられずに、くるりと背を向けると歩き出した。その後ろをのんびりとした歩調でマックスが追いかける。
「関係ならあるよ」
「何のよ?!」
振り向かずに言うユリーナに、何の感情もこもっていない口調ですらりとマックスが言った。
「僕は君が好きだから」
不意にぴたり、とユリーナが歩みを止めて振り返る。人差し指を立ててびしっ、とマックスの顔ぎりぎりまで伸ばした。
「いい? そんな嘘を言ったら金輪際、口利かないからね!」
「………嘘だと決め付けるところに問題があると思うよ」
ため息混じりにマックスが言う。
「嘘よ、ぜーったい嘘! 大体、幼い頃からあんたはそう言いながら、いろんな娘と付き合ってたわよね?」
甘い顔に騙され女の子たちに交際を申し込まれるマックスは『来るもの拒まず』をモットーに18歳になった最近までに付き合った女の子の数はそれこそ両手両足の指でも足りないくらいだった。
「女性からの誘いを断るのはできないんだ」
「よく言うわよ。なのに私が他の男の子と遊ぼうとしただけで散々邪魔したでしょう!」
そのおかげで、16歳を近々迎えようとしているユリーナが付き合った男の子の数は片手の指ひとつもあげる必要はなかった。
「恋敵は増やしたくないからね」
マックスは肩をすくめて当然のことのように言う。
「それに小さい頃、いっつも私を苛めてたのはマックスでしょ! 今更好きだって言われたって誰が信じるもんですか!」
苛立った口調で一気に言うと、切らした息を整えながらユリーナは彼の次の反応をじっ、と待った。
「………好きな子を苛めてしまうという可愛らしい少年の過ちくらい許されてしかるべきだよ?」
マックスの言葉を無視して、即座に方向転換をしたユリーナは屋敷の玄関がある方へと歩き出した。
(冗談じゃないわよっ。可愛らしい少年ですって? 散々、人を苛めておいて……)
そのうえ、その事実を言うとあの甘い顔でにっこり笑って「そんなことするわけないじゃないですか」と、天使の仮面を被って優しくしてるフリをする。大人たちは騙されて、マックスが苛めたと言うユリーナを嘘つきと決め付けた。
今ならともかく、幼心には深く傷ついたというのに。
「 ―――― ナ、ユリーナ?」
昔のことを思い出していたユリーナは、涙目でキッ、と自分を呼ぶマックスの方を振り向く。
「なによ?!」
けれど、平然とした顔でマックスは聞いた。
「……懐かしい昔のことはともかく、僕に用事があったんだろう?」
その言葉に、「あ!」と彼を探していた目的を思い出して、声を上げた。
「そう、そうだったわ! マックス、あの子…、フェネックをどこにやったの?!」
今にもつかみ掛かりそうな勢いで聞いてくるユリーナをひょいと避けてマックスは数歩、彼女から距離を取った。
「僕が何かしたと決め付けてない?」
「そういうわけじゃないけど……、」
フェネックは小さい頃、ユリーナが母親と旅行に行ったときに森の中で見つけた小動物で、怪我をしていたのを保護して救ったのだ。それから森に帰そうとしても帰らず、いつのまにかユリーナの荷物に潜り込んできてしまったという、今では大切な親友でもあった。
リスより少し大きいサイズで顔はキツネ、尻尾はそのままリスの形をしている。そのフェネックを見るたび、尻尾を紐で縛って木にぶら下げたり、ご飯に辛いスパイスを振り掛けたり小さな穴の中に埋めたり、と悪戯を繰り返してきたのはマックスだった。
フェネックが呼んでも来ないのは、まずありえなくて。とすると、考えられる原因はマックスしかいないということになる。だが……。
「違うの?」
寂しそうな表情をしているマックスに気づいて、今回ばかりは違うのかもしれない……。そんな気まずい想いをユリーナがもちかけたとき、マックスが口を開いた。
「僕だよ」
「 ―――――ッ、あんたねっ!」
腰に手を当てて文句を紡ごうとしたとき、それを遮ってマックスが言った。
「まあまあ、別に悪いことはしてないよ。ちょっと、人質になってもらっただけで」
聞き慣れない言葉に首を傾ける。
「なによ、それ?」
「……知りたい?」
にっこりと笑顔を浮かべてマックスは聞いた。
彼を知らない女性なら、間違いなく虜になってしまうだろうそれは、ユリーナにとって過去の経験から間違いなく嫌な予感を運んでくるものだった。
その証拠に、背中を冷や汗が伝う。
「し、知りたくな……」
「そんなに知りたいなら仕方がないね。とりあえず、フェネックはセルアン侯爵邸に運んでもらってるから、一緒に行こう」
ユリーナが言い終わらないうちにそう言うと、マックスはくるりと踵を返した。
(セルアン侯爵邸って、お祖父様のことじゃないの……。)
困惑した眼差しで先を歩くマックスの背中を見つめながらユリーナは慌てて後を追いかけた。
★☆★☆★
ふぅ……。
外に視線を向けていたセルアン氏は、手にしていたカップを皿の上に戻して深いため息をつく。彼の執務机には一枚の手紙が広げてあった。
「……なぜ、今頃」
苦々しい光が彼の瞳には宿っている。
彼女が死んで、縁は切れたはずじゃないか。少なくとも形だけでも………。
脳裏に一人の女性の面影が浮かぶ。笑顔の似合う美しい女性だった。
「なあ、あの娘は……。……乗り越えられるだろうか?」
思い出の中の彼女に向かっていえば、「もちろんよ」、そう笑顔を浮かべて頷いてくれる姿がある。だが、今は……。
「彼に任せるとしようか、」
そう呟いてセルアン氏はすっかり冷えてしまったコーヒーを苦味を堪えるように眉根を寄せて一気に飲み干した。