■純愛の果てに残るモノ■
「あんたが女性たちに書いた手紙がここにある。証拠として伯爵が集めていたようだ」
「なんだとっ?!」
アレンは驚きに声をあげる。
テーブルの上に置かれている白い封筒は確かに見覚えがあるものだった。
「筆跡鑑定を行なえば一目瞭然だね」
「……それともうひとつあります」
不意にレイが一枚の書類をテーブルに置いて口を挟んだ。
その書類を見たアレンの顔が封筒を見たそのとき以上に、蒼白になる。
「財産譲渡の書類です」
夫人はその言葉に息を呑んだ。テーブルに近寄って、その書類を手に取る。書名欄に書かれている名前を見て、手が震えた。
譲渡される男の名前がアレン。
―――― もうひとつ。全ての財産を彼に渡すことを約束する書名欄には、リムダン伯爵の名が書かれてあった。
「……どういうことなの?」
夫人は問いかけるようにアレンを見るが、真っ青な顔色の彼からは答えが返らなかった。代わりに、レイが答える。
「恐らく、伯爵は二度と貴女と関わらないことを条件に自分の財産を彼に譲ることにしたのでしょう。貴女を守るために」
「嘘よっ」
夫人は手にしていた書類を強く握る。
「そうあんたが条件を出したんだろう?」
マックスがアレンを見て言った。
「アレン……そんなことっ!」
立ち尽くすアレンの身体を揺すって夫人は問い詰めた。
アレンは、青白い顔のままどこか諦めたようにフッと息を吐き出して言った。
「そうだよ……。とっととそれを貰ってこの女から離れる予定だったんだ。けど、貰う前に伯爵を殺すから計算が狂っちまったんだ」
「あなたは私のために……」
愕然とした表情で夫人は呟く。それを聞き咎めて、アレンは笑った。
「全部あんたを騙して、金を貰うための芝居さ。ま、伯爵の浮気相手から金を騙し取れるっていう役得つきのね。伯爵から金を貰って金持ちになればそれで騙す日々は終わる予定だった」
その言葉に、夫人は力なく床に崩れ落ちた。
「そんな……」
途端、また扉が開いてトーマス警部と数人の部下が入ってきた。
「話しは全て聞かせていただきました。一緒に来てもらえますかね?」
警部は夫人とアレンのもとに歩み寄り、そう促した。がっくりと項垂れたアレンが部下たちに腕をつかまれて出て行った。
「……夫人」
ユリーナは力なく座り込んだままの夫人のもとに近寄り、膝を落とす。ユリーナと目線を合わせて、ようやく夫人は悲しそうな笑みを浮かべた。
「……私、ばかね。夫が浮気しているからって私への愛がなくなったわけではないのに…なのに、あんな男に騙されて大切なものを失うなんて……。もっと早くあの人と正面きってぶつかって……話し合えば良かった」
泣きそうに夫人の顔が歪む。
「過去の愛ばかり懐かしんで……。今を嘆いてばかりだったんだわ……」
夫人の言葉に、ユリーナは泣きたくなった。
「ごめんなさい……。貴女には迷惑をかけたわね……」
微笑んで夫人はそうユリーナに声をかける。だが、その微笑みはどこか寂しげな陰が浮かんでいた。ユリーナは言葉に詰まって、ただ首を横に振る。
「ありがとう」
そう言って、夫人はトーマス警部につかまり、立ち上がって部屋の外へと歩いていく。
ふと、扉の側まで来たとき、夫人はマックスを振り返った。
「……貴方は全てご存知なんでしょう?」
マックスは夫人の視線を受け止めて、優しい口調で言った。
「僕に誰かを裁く権利はありませんから」
だから、言うつもりはありません。と言外に告げる。
夫人は苦笑して、首を傾けた。
「ユリーナさんに訊かせるのが怖い?」
唐突に名前を呼ばれて、ユリーナはえ、と驚いて夫人を見てそれからマックスを見る。ユリーナの視線を受けながら、それでもマックスは平然とした顔で夫人を見たまま口を開いた。
「聞かせるほどのことではないでしょう」
はっきりと断言するマックスに驚いた目を向けて、それから夫人は何かを懐かしむように目を細めてマックスとユリーナの二人を見つめる。
「……私たちも変わらないままでいられたら」
小さく呟いて、ふと何かを振り切るように一瞬だけ目を伏せて。そのまま、振り向いて部屋を出て行った。
★☆★☆★
事件から数日後。
ユリーナのお披露目パーティーが改めて開かれることになった。納得できなかった侯爵が反対するユリーナたちを半ば押し切った形になったものの、侯爵主催のパーティーは盛大に行なわれた。
「……まったく。あのばか、どこに行ったのよ?」
挨拶回りに侯爵に連れまわされて、疲れきったのと笑顔を振りまくことにうんざりしたこともあって、ユリーナはいつのまにか姿が見えなくなったマックスに向かって毒づいた。
ホールを見回しても、あの目立つ姿はどこにも見当たらない。
「ほんとに、肝心なときにはいないんだから……っ」
苛立ったように、ユリーナは息をついた。
その頃、「あのばか」ことマックスは、パーティーの喧騒から離れた裏庭に立っていた。
「……どうしてわかったんですか?」
非常に不服そうに、マックスと対峙している青年は訊いた。
だがそれには答えず、マックスは表情ひとつ浮かべないで、まっすぐ青い目で青年を見る。
「最後まで納得できなかったことがあるんだ」
「……なんです?」
「知らなかったはずだ」
「なにを?」
ふと、青年の顔にこれから面白いことを訊かされることがわかっているような楽しそうな表情が浮かぶ。
「怪盗紳士の予告状を知っていたのは、確かに僕と侯爵、警察。ユリーナだった。厳重な警備とはいえ、ユリーナの誕生日を台無しにしたくなかった僕たちは外部に漏れないよう注意してた。それなのに、伯爵夫人が知っているわけがない」
「……偶然じゃないんですか?」
マックスは口を挟む青年を無視して続ける。
「もうひとつ。今まで怪盗紳士の予告状にはきちんと期日と時間が書かれていた。なのに、今回ばかりは、某日、としか書かれていない。おかしいとは思わないか?」
青年は小さく肩を竦めて、首を左右に振った。
「……何が言いたいのかわかりませんよ、マックス君」
「あんた ―― 怪盗紳士は事件が起こることを知っていた。あの男を唆したのはあんただろう。もっと前に、夫人に伯爵の浮気を告げたのも。そして、怪盗紳士が予告状を出したことを教えたのも」
決め付けて言うマックスに、ようやく青年 ―― 怪盗紳士は諦めた顔で、肩を竦めた。
「……やれやれ。私はきっかけを与えたに過ぎませんよ。それらが噛み合って、上手くいく確率は低いものだったんですけどね。それで?」
結局は、夫人が起こした事故も、怪盗紳士の計算の中に組み込まれていたものらしい。
「侯爵の孫への盲目的な愛情は有名だからね。お披露目パーティーが中止になれば後日、改めて行うとあんたにはわかっていた。そのときには厳重な警備も解かれて、ユリーナの警戒も薄れている。だからユリーナを誘拐するのは簡単だ」
「けれど、君という存在をすっかり侮っていたみたいです」
マックスの言葉に賛同するように、くすりと笑って怪盗紳士は答えた。
「最初に顔を出したのは、歯車がうまく回ってるか様子見だったんだろう?」
「……まあね。まさかユリーナ嬢に見つかるとは思ってもいませんでしたが。本当にこればかりは予想外でした」
「負け惜しみか?」
フッと、嬉しそうに怪盗紳士は笑う。それには返事をせずに、マックスの顔を見ながら言った。
「ああ、そういえば。私からもひとつ。伯爵夫人は警察で全てお話ししたそうです。夫人が……、階段で落ちた時点ではまだ息のあった伯爵を床に打ち付けて、止めを刺したそうですよ」
だが、マックスの表情には何も浮かばず、怪盗紳士は呆れたように言う。
「なるほど。君と夫人が最後に話していたのはこのことだったんですね」
ふと、気配を感じて怪盗紳士はパーティーが開かれているホールに視線を向けた。やがて、何かに気づいたように含み笑いを浮かべる。
「……まったく。あのときトーマス警部との取引の材料はこれだったんですか」
騒がしい気配が徐々に近づいてくる。
マックスもちらりとその方向を見て、呆れた口調で言った。
「……腕は悪いみたいだ」
その一言に、怪盗紳士は噴き出す。
気配で距離を測って、気を取り直したように言った。
「本当に君たちは面白いですね。仕方がない。今夜は退散しますよ」
そう言って、踵を返す。「だけど勿論」ふと思い立って、怪盗紳士は振り向いた。
「ユリーナ嬢を諦めたわけではないですよ。よろしくお伝え願います」
そう言うと、優雅に一礼して怪盗紳士は裏庭の壁をひらりと身軽な動きで乗り越えた。
姿が消えたその場所を見つめたまま、マックスは不服そうに言う。
「……お断りだ」
呟くと同時に、マックスの目がふと怪盗紳士が姿の消した場所にきらりと光るものを捉えた。歩み寄って、手に取る。じっくり見ようとした途端、警官たちが姿を見せた。
とりあえずそれを胸ポケットに入れて、警官たちに怪盗紳士が消えた方角を教えると、マックスは屋敷の中に戻っていった。