■華麗なる罠と穴だらけの陰謀■
ああ、まったくどいつもこいつも。くだらない。何だ、最近の女性が流行だと着ている服は露出が高すぎるとか、若者の言葉遣いが悪いとか、およそ彼の政務には全く関係ない抗議文に呆れてしまう。……あほか。っていうか、知るか。俺は愚痴処理係じゃねえっていうの。こういう下らないことを文書にしている暇があったら、もうちっと有意義なことに使えよなー。何でもかんでも俺に回してくるなよ。
机の上に溜め込まれた書類を見始めて2分ごとに零れ落ちる溜息はもう数えるのも馬鹿らしくなって、突き上げてくる衝動に書類をぐちゃぐちゃに丸めて燃やしたくなった。むしろ、今いる部屋ごと火をつけてやりたい。実行するには、現実的ではないにしても想像するだけで一先ず気持ちを落ち着かせた。
「 ――― また、物騒なことを企んでいそうな顔をしてますね」
いつのまに部屋に入っていたのか、扉の側で面白がる笑みを浮かべた親友が肩を竦めるのを見て、眉を顰めた。
「何を言ってるんだ。俺は平和主義者だ」
「それはそれは。てっきり、その机に溜まってる書類ごと、この場所を燃やしたいと思っているのかと」
図星を指されて、ふてくされる。言い負かされたままにしておくには今は気分的にも低下中だったこともあり、そういえば、と話を切り出した。
「例の忘れモノを取り戻さなくていいのか?」
ぴくりと相手の眉尻があがって、苦笑を浮かべる姿があった。うっすらと微笑む美貌の顔だが、目が笑っていない。ここに第3者がいたら、恐怖に身を竦ませるところだろうが、長い付き合いの慣れきった仲では、珍しく怒ってるな、と愉しむ余裕があった。
「それはどちらの事を言っているんですか?」
答えずに肩を竦めるだけに留めていると、面白がっていることに気づいたのか呆れたような溜息が返る。
「……拾われた相手がこれまた優秀な方でしてね。一筋縄ではいかないみたいです」
「ふん。そういう奴は叩けばホコリがでてくるんじゃねえの」
「あなたと、私みたいに、ですか」
ふっ、と自嘲するような笑みを浮かべて呟かれる言葉に、目を細める。互いの間にある緊張感に心地いいものを感じながら、それでも物足りなくはあった。椅子に更に深くもたれると、ギィと悲鳴をあげた。そのまま足を机の上に乗せる。
「まあ、今のところわかっているのは、彼が我らが姫君の幼馴染というところですね」
幼馴染 ―― その言葉に苦々しい想いを抱く。彼女と家族同然に過ごしている男。気に食わない。さっきまで抱いていた不満を払拭するほどの憎悪を堪えるために、がしがしと髪をかきまわす。苛立ち混じりに問いかけた。
「なんとかならないか?」
「私があなたの頼みを聞かなかったことが?」
愉しげに問い返される。愚問だったか、と呆れた顔をすると、思いもがけない言葉を耳にした。
「それに、私の花嫁に悪い虫がついているのを放ってはおけませんからね」
それを聞いて今度こそ、声に出して笑った。あわよくば、と思っていたことが現実になろうとしている。何事にも ―― 特に女性に関しては来るもの拒まず、去るもの追わずを主義として興味をもつことのなかった親友を惹き付けた彼女に会いたいと思う気持ちが大きくなった。
「本気になったか?」
「ええ。あなたは確かに人を見る目があるようです、彼女は私の好みの女性でしたよ」
嬉しそうに頷きながら、ふと思い出したように言われる。
「ああ、そう。彼女のために庭園のバラを頂きました」
庭園の薔薇、という言葉に一瞬、息が詰まった。お抱えの庭師に特に丹念に扱うように命じてある場所。知っていて、なにか、と飄々とした顔つきをしている親友に、呆れを通り越して諦めてしまった。「…まあ、」と渋々口を開く。
「構わないだろう、やがて彼女にあげようと思っていたものだからな。だが、相変わらず手が早い」
本来ならば、自分が直接あげようと思っていたのに、という文句は胸の中だけに押し込めて、からかうように視線を向けた。それを受けて、彼は立ち上がる。
「なにごとも思慮深く迅速に、ですよ」
軽く片目をつぶって楽しそうに言われた。
そわそわと彼は落ち着きを失っていた。
大きな時計台を見上げては針の位置を確認し、自分の腕にはめている時計を見て、きょろきょろと辺りを見回す。それを繰り返しては、幾度目かの深いため息をついた。約束の時間はちょうど正午。だが、相手の姿はまったく見えなかった。もう来ないのだろうか、と彼が重いため息をついたとき、背後から声がかかった。
「お待たせしましたね」
――― びくっ、
思わず声をあげそうになったのをなんとか堪えて、恐る恐る振り向こうとした瞬間、彼の背中に何かが押し当てられた。
「振り向くのはよした方がいいですよ。もっとも長生きをしたければ、ですが」
その言葉と押し当てられているものの感触に、彼はそれが鉄の塊だと気づいて身体を強張らせた。冷や汗が背中を伝うのを感じながら、それでも震える唇で恐る恐る訊いた。
「やっ、約束の品は…?」
対照的に、冷ややかな口調で相手は言った。
「ここにあります。―――― 扱い方はわかっていますね?」
確認する言葉に、彼は首を縦に何度も振った。
「では、5秒数えてからゆっくり振り向いてください」
丁寧でありながら、命令口調を含ませたそれに「わかった」と短く返事をして数えていく。
「……4、……5」
提示された5秒を数え終えて、ゆっくりと振り向いた。
「!」
そこにはすでに相手の姿はなく、気配さえも感じることができなかった。
残されていたのは、地面にただひとつの木箱。
それを見た瞬間、木箱を持ってきた相手のことも忘れて、ただこれでずっと、長年抱いていた恨みを晴らせるという悦びに支配された。ぞくり、と背筋に走る快感に酔いしれながら、木箱を持ち上げる。両手で大切に抱えると、足早にそこから離れた。
男が去っていく気配を追いながら、怪盗紳士は壁に寄りかかって煙草に火をつけた。
親友ほどヘビースモーカーというわけではないが、時々ふと吸いたくなってしまう。煙を肺に吸い込んで、思い出した。彼女は煙草の匂いは苦手かもしれない。眉を顰めるより先、「嫌な匂い纏って近づかないで!」くらいはいいそうだと、自然に笑みが零れた。
今回の目的は違うけれど、一石二鳥で成功するように、罠は華麗に完璧に仕組んでおいた。歯車は上手い具合に回っている。
最も、あの人物は陰謀を抱くには臆病な雰囲気を纏っていたように思えた。それに対してどう上手く立ち回るのか。
「まあ、お手並み拝見といきましょうか」
空へと上っていく煙草の煙を視線で追いかけながら、くすり、と愉しげな笑みを零した。