■友情という名の好奇心■
騒々しさに警部が気づいて、いきなり前にも連れてこられた取り調べ室に入らされた。
机を挟んで座ると、まるで何か悪いことでもして尋問されているような気分になる。隣に並んで座っているマックスもさっきまでの余計な言動が嘘だったように一言も喋ろうとしない。
不機嫌に腕を組んだ警部が、ごほんっとわざとらしく咳をして、それから億劫そうに溜息をついた。
「……一般的に女性というのは控えめでお淑やかであって然るべきだ。三歩下がって男についてくる。しゃりしゃり事件に首を突っ込むなど言語道断だっ!」
「僕もそう思う」
それまで何も言わなかったマックスが警部の言葉に同意する。それに気をよくした警部はわが意を得たりとばかりに頷いた。
「そうだろう、そうだろう」
「 ――― もっとも、そんな女性が面白いかは別として」
「女性が面白くてどうするんだね?」
マックスの言葉に途端に眉を顰めて、警部が訊いた。肩を竦めて当然だと言うような口調で彼はその問いに答える。
「人生には刺激がなくては。退屈すると早く老け込むし。まあ、僕にはその心配はいらないよね。ユリーナのおかげで毎日刺激的だ」
最後にはやわらかく微笑んでユリーナを見つめてくる。かちり、と何かが外れる音をユリーナは聞いた。だけど再び爆発する前に、警部に口を挟まれた。
「確かに人生に刺激は必要だとは思う。しかし、事件に首を突っ込むのは」
そう言われて、ユリーナは本来の目的を思い出した。マックスに振り回されている場合じゃない。今は友達のアルサーヌの力にならなくてはとぎゅっと手の平を握って決意する。警部に視線を向けて、強い口調でお願いすることにした。
「これは友達が関わっていて、放ってなんかおけないんです! お願いですから、教えて下さいっ。ランパートさんは犯人なんですか?!」
「う、うむ……」
警部はたちまち困惑した表情を浮かべる。そろりとその視線がマックスに向かって、すぐに諦めたように息をついた。わかった、とかなり渋々ではあるものの口を開いてくれた。
「動機があって犯行時に最も子爵に近い位置にいたのが彼なんだ。毒を飲ませることが可能だった」
「男爵は……。銃の発砲は何の関係が?」
「確かに男爵もまた、子爵を殺そうとしていた。彼の動機は明確で、子爵に長年借金をしていたらしくそれが弱みになって様々な汚い仕事をさせられてきたらしい。それを恨みに思っていて、今回おもいきってという話だ。しかし」
「銃殺より、毒殺が早かった」
マックスが考え込みながら呟いた。その言葉にユリーナはあのときの状況を思い浮かべる。騒がしさのなかで、男爵は硝煙が昇る銃を持っていた。ふと、違和感を覚えてマックスに視線を向ける。
「あのとき男爵は私じゃないって言ってたわ。銃を発砲していたなら、少なくともそんな言葉を吐くかしら?」
ユリーナの言葉に頷いて、マックスは警部を見た。
「それについては彼はなんて供述してるんですか?」
「自分は寝ていたと。銃の発砲音に飛び起きて、気づいたら懐に入れていた銃が手にあって硝煙がのぼっていたというところらしいが」
「人を殺そうとしていたわりに、寝ていたなんて緊張感がないわ」
殺人犯だったらもっと、ぴりぴりと張り詰めたものを持っているべきだ。居眠りなんて、間抜けもいいところじゃない。呆れた顔をするユリーナは、不意に視線を感じて隣を見た。マックスの青い目がもの言いたげに向けられていることに気づいて、なによ、と怪訝に眉根を寄せる。
「殺人犯にまで理想を求めるところは流石にユリーナだと思って」
「どういう意味よ?」
「他意はないよ。そのままの意味」
――― そのままの意味ですって?
がたんっと立ち上がってマックスに意見を述べようとした瞬間、ごほんっと警部の咳払いが間に入った。怒りは収まらなかったけれど、それどころじゃないと渋々自分を宥めて椅子に座り直す。マックスはユリーナの葛藤など素知らぬ顔で話を続けた。
「つまり、男爵に睡眠薬を、子爵に毒を飲ませた人間がいたってことだね」
唐突に導き出された結論に、ユリーナは意味がわからず首を傾げる。警部からも思わず「はぁ?」と疑問を含んだ声が上がった。
「どうしてそうなるの?」
ユリーナの質問に対して、マックスはつまらなそうに答える。
「ユリーナがいま、自分で言っただろう。殺人を犯すのには緊張感が必要で、寝ていたなんて信じられないって」
「男爵は睡眠薬で眠らされていたってことかね?」
警部の言葉に頷いたマックスを見て、ユリーナは眉を顰める。マックスが当然のように口にする結論までの流れが理解できなかった。第一、それではランバート氏が犯人じゃないということにはならない。
「ふむ。それならランバート氏が子爵に毒を飲ませ、それから男爵に睡眠薬を飲ませて銃を発砲し、子爵を殺したというわけか。だけど、何のためにそんなややこしいことを?」
警部もユリーナと同じ意見に至ったのか、そう推測する。
「 ――― 誰が、そんな、ややこしいことを?」
不意にマックスが警部の言葉を丁寧に繰り返した。にっこりと微笑んでいるその顔を見て、ユリーナは思わず視線を逸らしてしまった。長年の経験からわかる。この丁寧な口調と微笑みの裏には、苛立ちが隠されている。だけど、それはユリーナだからこそわかることで、まだ付き合いの浅い警部がわかるはずもなく、あっさりと結論を下してしまった。
「だから、ランバート氏だろう。他にそれができる者はいないと思うが……」
警部に視線をやって、マックスは呆れたように肩を竦める。
「もしも、ランバート氏が毒を盛って子爵を殺すのなら、なにも劇場のような目立つ席じゃなくてもよかったはずだ。それこそ機会はいくらでもあるだろうからね」
「そうなると、他に犯人がいると考えているのかね?」
興味深そうに身を乗り出す警部に対して、マックスはにっこりと笑って一線を引いた。
「それを調べることこそ、我らがハイデンホルムの優秀なる警察の役目では?」
あまりにも演技がかった口調に、ユリーナは眉を顰める。隣へと視線を向ければ、口調こそ大げさではあるけれど、その微笑みを見てしまうとあまりにも似合いすぎていて、飛び出しかけていた文句も引っ込んでしまった。
「も、もちろん、そうだとも! 子爵の背後関係をあたって、劇場内で怪しい動きをした人間を捜し出そう!」
たちまち薄っすらと頬を赤らめ ―― 厳つい顔にそれが似合うかは別として ―― 動揺しながら頷いて警部はそう言った。
取調室を出て、警部と別れた。建物の出入り口に向かいながら、隣を歩くマックスに疑惑の眼差しを注いでいると、恐らく聞きたいことはわかっているはずなのに、わざとらしく「どうしたの?」と促してきた。
「もしもランバート氏が毒を盛って殺すなら、って言っていたでしょ? 銃殺の件は否定しなかったわ」
それを警部が気づく前に誤魔化してしまった。マックスは目を見開いて、すぐに感心したように呟いた。
「そういう直感だけは相変わらず鋭い……」
まるで他のときは鈍いとでも言いたげな口調に少しムッとなる。第一、たとえ腐れ縁であろうともずっと一緒にいるわけで、マックスの誤魔化し方なんて見慣れている。しかも、より一層猫を被ってうそ臭くなる笑顔にユリーナがわからないわけない。
隠すつもりはないのか、マックスはどうでもよさそうに言った。
「銃殺をしようとしたのは、確かにランバート氏だ。彼は男爵に睡眠薬を飲ませて銃を取り、撃ってからその手に置いたんだろう」
「どうしてそんなことを?!」
思いがけなかった言葉にユリーナが声を上げると、マックスは黙り込んだ。急にじっと見つめてくる視線にたじろいでしまう。青い目には感情が浮かんでおらず、そんなときは決まって彼はユリーナから何かを隠そうとしている。
「マックス……」
慎重に呼びかけると、同じような口調でユリーナ、と名前を呼びかけられた。その強さに、開きかけた口を引き結び、マックスの言葉を待つ。待たなくちゃいけないような気がした。
「……言っただろう?」
問いかけてくるような眼差しを注がれながら、これまでマックスが言った言葉を思い浮かべるけれど、何のことか思い当たることが出来ずに眉を顰める。マックスはそれまでの真剣な雰囲気を変えて、呆れたような顔つきを隠そうともせずに言った。
「僕は超能力者じゃない。なにもかもはわからないよ」
思わずぱちくりと瞼を瞬いてしまった。それに構わず、マックスは肩を竦める。
「あったことを結び付けて事実を暴くことはできても、動機は人の心に起因するものだからね」
それはその通りで、動機を探り出すのならランバートさんから話を訊くことが先だと思った。だけど、マックスの言葉が正しいとするのなら、結局はランバートさんが子爵を殺そうとしていたことは事実で、それを考えるとアルサーヌの姿が思い浮かんで胸が痛んだ。このことを話したのなら、きっと傷つくに決まっている。
もしもそうするだけの深い事情があれば少しは救われるだろうか。或いは、真に子爵を殺した犯人がわかれば ―― 。
慰めになるかはわからないけれど、何もしないよりは少しでも力になりたい。そう考えていたとき、ふと隣を歩いていたマックスが歩みを止めていることに気づいて、慌てて立ち止まる。振り向いて見ると、彼は白い手袋をはめている右手を口元に当てて、考え込むように目を細めていた。その様子は貴公子然としていてまるで彫刻に相応しく綺麗な姿で、性格さえ知らなければ周囲が見惚れているように感嘆の溜息を零してしまう。
「急に立ち止まって、どうしたの!?」
ハッと我に返って慌てて問いかける。見惚れていたなんて知られたくなくて少し怒った口調になってしまった。
「……ユリーナはやっぱりこの事件に首を突っ込むの?」
何を今更、と唐突に言われた言葉に首を傾げる。
「当たり前よ。アルサーヌの力になりたいって何度も言ってるでしょう」
「とりあえずランバート氏は犯人じゃないことはわかった。それで十分だろう?」
何を言われたのかわからなかった。彼の疑惑が完全に晴れたわけじゃない。それに子爵に毒を盛った犯人はわからないままで ―― 十分?
納得できずに思わず眉を顰めてしまう。いつもこうだ。何かをし始めようとすると、冷水を浴びせるように遮ってくる。むかむかした気分になりながら、反論する。
「犯人を突き止めるまで納得できないのっ。それに、ランバートさんが子爵を殺そうとした理由だってわからないとアルサーヌが悲しむわ!」
「それは彼女とランバート氏の問題であって、君が口を出すことじゃないと思うよ」
冷静に真実を口にするマックスに、苛立ちが膨らんでくる。まるで我侭な子どもを諭すかのような口調にもむかついた。そんなことわかってる。わかってるけど、アルサーヌの力になりたいし、そうすると約束をした。ここで投げ出すような中途半端な真似はできない。マックスならわかってくれると思ったのに、どうして今更そんなことを言い出すのかわからずに益々混乱した。
「なによっ。手伝うって言ったじゃない。どうしてそんなこと言うの?!」
「 ――― 失礼」
不意に間に入ってきた声に視線を向けると、剣呑な顔つきでランバートさんが立っていた。
気がつくとユリーナとマックスは出入り口の前で言い合っていたらしく、行き交う人たちの邪魔になっていた。それでも他の人たちは遠巻きで二人の様子を見ていたようで、それに気づいてユリーナは慌てて取り繕うようににっこりと笑った。
「あっ、あら。申し訳ありません。こんにちは、ランバートさん」
「ああ、貴女は侯爵の ―― 」
挨拶をされて思い出したようにランパートさんはそう口にする。厳つい顔つきは変わらなかったけれど、それに怯えるよりもマックスへの怒りが胸を満たしていたために、急いでその腕を取って言った。
「せっかくですからお屋敷までお送りしますわ」
「いや、私は……」
「アルサーヌに頼まれていますから、大丈夫です!」
なにが大丈夫なのか自分でもわからなかったけれど、アルサーヌという言葉に反応してランパートさんは驚いたように目を見開く。その間に、さっさと腕を引っ張って外へと歩いていった。
ユリーナが出て行った後を視線で追っていたけれど、やがて気を取り直したようにマックスは歩き出した。建物を出た途端、背中に声がかかる。
「正直に、彼女のことが心配だと言えばいいでしょう?」
「立ち聞きとは犯罪者で趣味も悪いとなると、救いようがないね」
振り返ると、怪盗紳士が口の端を皮肉気につりあげた。
「 ――― 猫を被ってるひとよりましだと思いますが」
「化け猫を被っているよりは可愛らしいじゃないか」
平然と言い返すと、明らかに眉尻を跳ね上げたものの怪盗紳士はそれでもまだ穏やかな笑みを浮かべていた。マックスはそれを感情のない瞳で見ながら、それよりも、と話を続けた。
「人にはそれぞれ趣味があるから口を挟むことでもないけれど、僕が好きだからって付き纏われるのは迷惑だ」
吐き捨てるように言われた言葉に、ぐっと怪盗紳士は喉を詰まらせる。
「好きでしているわけじゃありませんっ」
「なんだ。違うのか」
肩を竦めて言うと、落ち着きを取り戻したのか、ごほんっと咳払いをして冷静に言い返してきた。
「私の忘れ物を取り戻しにきただけです。あなたが持っていても意味がないものでしょう?」
「あんたも本当にしつこいね。言っただろう、落としたって」
溜息混じりに答える。
それ以上の相手をする気にもなれずに、踵を返して、再び歩き出した。