■恋敵と共同戦線?!■
一方、警察署でユリーナと別れたマックスは、ハイデンホルムの東端に位置する寂れた孤児院を訪れていた。見渡す限りに家や店などの他の建物はなく、賑やかで整備されている街中と比較するとあまりにもひっそりとし、静かだった。昼過ぎだというのに、表の広場にはだれもいる様子がない。建物から騒がしい声が聞こえてくることもなかった。
「 ―― おかしいですね、誰もいないんでしょうか」
その光景を見て、隣に佇んでいたレイモンドが怪訝そうに眉を顰める。対して、不愉快を隠そうともせずにマックスはため息をついた。
「あたりまえ。今日は日曜日だから、全員この近くの教会に連れていかれてるんだ」
「日曜日の午後に教会、ですか?」
マックスの言葉に益々意味不明だと、首を傾げる。そんなレイモンドにちらりと視線を送って、マックスは孤児院の玄関に向かって歩きだした。我に返ったレイモンドは慌ててついていく。
「まあ、いい意味で里親探しだな」
考え込んでいるレイモンドに、仕方ないとばかりにマックスが一言付け加えると、ようやく彼は合点がいったように頷いた。同時に、マックスが言葉にしなかったもうひとつの意味が脳裏に浮かぶ。悪い意味では、人身売買 ―― ともとれるだろう。レイモンドにとってはそれこそが馴染み深いものだった。
それにしても、とさりげなく隣に並ぶマックスの横顔に視線を走らせる。
この場所が孤児院だと聞いて彼がどうして此処を訪れたのかはすぐに理解したが、そこまでに至った推理力と行動力には舌を巻く。同時に深入りして関わるとミイラ取りがミイラになりそうだと危惧も抱いた。そうなったら、共犯者である男は、愉快だと大笑いするだろう。目も当てられないな、と脳裏に浮かんだ男の姿にため息をついて、そうならないよう気を引き締めながら、呼び鈴を鳴らしたマックスとともに玄関が開くのを待った。
ややあって、ゆっくりと年代を思わせる音が鳴って扉が開き、質素な服装を身につけた老年の女性が姿を見せた。顔中に皺が刻まれていて、腰も曲がっている。ハイデンホルム特有の青い目はすでに色あせ白色が混じっているものの、きつそうにつり上がり、口元はへの字に引き締められていた。全体的に厳しげな雰囲気がある。
青年二人を前に、老女は怪訝そうな顔つきをした。
「なにか用かね」
ぶっきらぼうな口調。予定のない来客は明らかに迷惑だという雰囲気を隠そうともしていない。だが、マックスは柔らかい物腰で上品に挨拶をすると、穏やかに問いかけた。
「失礼、僕はさる貴族に依頼された者です。彼は此処の子どもたちを幾人か引き取りたいと考えておられるのですが、身元確認の調査を徹底的に行いたいと……。彼は希望する男の子がいれば、相応以上の寄付をとおっしゃっています。よろしいでしょうか」
途端に老女の顔がぱっと輝きだした。嬉しそうな表情を浮かべているが、レイモンドにはそれは見慣れた―お金にとりつかれた特有の―もので、顔にこそださないがそれだけでこの老女の性格を察することができる。
「それはそれは……! 粗末なところですが、どうぞ、入ってください」
老女は態度を一転させて、扉を大きく開き、二人を招き入れた。
レイモンドは置き物ひとつない、がらんとした空間に足を踏み入れ、正面の二階に続く古ぼけた木製の階段に目を向ける。この一階からは見えないが、階段をあがって少し進んだ先は鉄格子がかけられており、そこから先が子どもたちの部屋になっているだろう。こういった孤児院の構造は似たり寄ったりの作りになっている。
案内されたのは、一階の奥。ドアには園長室と書いたプレートがかかっていた。促されるまま部屋に入り、見回して更に老女がどんな性格かレイモンドには把握することができた。
一見、質素に見えるが、置かれてあるもののほとんどが高級品だ。まず外見通りの孤児院―本当の慈善事業ならなおさら―ならば持ち得るはずのない物ばかりだ。売れば、建物の修理や外庭に子どもたちが好きな遊具くらいはいくらでも買うことができる。
ソファに座るよう勧め、老女は棚に向かうと、分厚い黒のファイルを持って戻ってきた。
「これが今、この施設にいる子どもたちの資料です」
それを受け取って、マックスはぱらぱらと捲りながら言う。
「僕がこれを読んでいるうちに、助手に子どもたちの部屋を見せてあげてくれませんか?」
(―――助手?)
ぴくりとレイモンドの片眉がはねあがる。
マックスの意図を即座に理解したレイモンドは内心のむかつきを表面に出さないよう、彼の武器の一つである人好きのする笑顔で包みこんで園長を促がした。
「そうですね、どのような環境で育ったかも重要なポイントになりますから。お願いします」
最初は渋い顔をしていた老女も、マックスの甘い美貌に浮かべたやわらかい微笑みとレイモンドの丁寧な物腰と穏やかな懇願に流されるようにうなずいた。
老女がレイモンドを伴って部屋を出ていくと、マックスは広げていた黒いファイルを閉じテーブルに置いた。ソファから立ち上がって老女がファイルを取り出した棚に足を向ける。ガラス戸になっているそれは、先ほど老女が開けたときは鍵がかかっていた。しかし、マックスは鍵穴にポケットから取り出していた針金を差し込み、数秒とかからないうちに開け放つ。棚いっぱいに並んだ黒いファイルには見向きもせずに、それらの入った段をスライドさせていく。すると更にその奥に小さな扉があった。金庫のように数字式の鍵がかかっている。マックスはそれすらも躊躇うことなく回し、やがてカチリと小さな音が鳴った。
扉を開けると、薄い青いファイルが一冊とさっきまで見ていた黒いファイルと色は同じだがそれよりもかなり分厚いファイルが入っていた。マックスは青いファイルに手を伸ばし、さっと目を通していく。ページをめくる手がふと、止まった。
そこにはひとりの男の子の写真と名前が載っている。今とは違って随分と可愛らしく素直そうに見える。最も、外見と中身が同じであるとはマックス自身思っていない。むしろ、成長した男の姿こそが性格に伴っている気もする。そのページの下段にもう一枚、女の子の写真が貼ってあるのに気づいた。写真全体に印鑑が押してありわかりづらいが、きつくつりあがった目。への字に結ばれた唇。今にも飛び掛らんばかりの雰囲気が写真を通してでも伝わってくる。男の子と比べると、彼女は幼い頃こそが性格を表わしているようだ。マックスは印鑑の文字に注意を向けた。
――――行方不明。
「……やっぱり、そうだったか」
推測が確信に変わる。
最もマックス自身は確信していたけれど、ユリーナのために確認にきただけだ。これで思っていた通り、どう転んでもユリーナが傷つく結果にしかならない。
どうせ暗躍するならユリーナとは関係のないところでしてくれればいいのに、と思う。それとも、どうしたって彼女自身が災難に飛び込むクセがあるから、そう思うこと自体がムダでしかないのか。
「明らかに、後者だな」
独りごちて、読んでいたファイルを戻し、扉を閉めようとし、ふと、興味をそそられてもう一方のファイルに手を伸ばす。内容は予想していたものではあったが――。
「ずいぶん、がめついばばあだ」
非難めいた言葉にわずかな感心を含んで言い、マックスはそれも同じところに戻して、用事は済んだとばかりに扉を閉じた。棚もまるで触れた事実などなかったかのようにもとに戻すと、窓際に歩み寄り、今度は窓を開ける。彼は一瞬の躊躇いもなく、窓枠を飛び越えて外に出た。
情報をもらいにきただけで、わざわざ長居をする気は最初からない。彼の用件は終わった。
その時点でマックスは、即席助手のことなど意図的に忘れて、施設を後にすることにした。
レイモンドはとめどなく施設の自慢を語る老女ににこやかな笑顔を向けながらも内心ではうんざりしていた。彼には一目見ただけで内情を悟るだけの観察眼もあるし、これまでの老女の話しぶりや態度で、彼女がずる賢く強かで、強欲な性格であることは疑いようがない。さぞかし、この施設の子どもたちは苦労していることだろう。ざっと目を通しただけだが、部屋はきれいに整理整頓されている――それだって遊び盛りの子どもたちの部屋にすれば遊ぶためのものがなにひとつなかった時点で怪しい。同時に、説明された年代の子どもが使う机にしては並んでいる教科書が明らかに少ない。先ほど、園長室でみた調度品のひとつでも売り払えば部屋数を見る限り子どもたち全員に必要な教科書を買ってあげるのは安いものでしょう、と皮肉を交えて言いたくなる気持ちを押さえ込む。
親のいない子どもたちにとって特に知識や教養は学ぶに必要なものだとレイモンドは考えている。それ故に蔑まされ、不利になる状況を覆せる唯一の武器になるからだ。孤児院として施設を扱うのなら、学問を充実させることは譲れない。勿論、援助もなく本当に困窮している孤児院ならば、限界はあることを知ってはいるが、それにしたってこの施設がそれに当てはまるとは思えなかった。
(まぁ、逃亡防止用の鉄格子がある時点で問題ですが。)
一階に足を踏み入れたときに想像した通り、二階には鉄格子があった。天井にうまく隠されているが、レイモンドには一目見ればわかる。
この施設に入れられた子どもたち自身が貴族に売られることを知って逃げ出さないようにするためのもの。売られた先で幸せが待っているなんて夢を持てるはずがない。
苦いものがこみあげてきそうになって、それを誤魔化すため、先を歩く老女に意識を戻す。老女は一通りの説明を終えて、満足そうに再び、園長室にきびすを返した。その後に続き、ふとマックスのことが思い浮かぶ。
(さて、なにを思って動いてるんでしょうね……?)
此処を訪れた理由も、老女を園長室から遠ざけて何をしようとしているのかもわかってはいるが、彼がまさか善意でそうした行動を起こしているとは到底思えない。
もともと、落とし物を返してもらうために後を追い回す羽目になってしまったけれど、マックス=フォワードは実に興味深い存在だった。ハイデンホルム特有のものとはほんの少し違うシルバーブロンドの髪も人を見透かす青い目もまるで天使のごとくと形容されるきれいな容姿はこれまで数限りない美しいと呼ばれるものを見てきたレイモンドでさえ見惚れてしまう。あの性格さえなければ、世界にひとつとない完璧かつ、完成された美術品といってもいい。それほどに、人を一瞬で引きつける魅力もあった。カリスマ性というのだろうか。レイモンドはもうひとりそういう人物を知っていた。マックスとは似てもにつかない、自分の共犯者、もとい悪友。あの男も、その場にいるだけで強烈な印象を人に与える。人を魅了し、自分の味方にしてしまう。最も、マックスのように自覚はなく、わざとそれを武器にするようなことはしていないところが、まだかわいげがある。そんなことを口にしたときの嫌そうな顔が浮かんで、思わず苦笑が零れた。
最も、レイモンドの思考を聞いたら、おまえも人のことがいえるかと呆れられそうではある。いや、確実に自分をわかっていないな、とため息をつくだろう。だが、レイモンドから言わせれば、彼だってわかっていない。悪友が思うよりも、なお深い闇に自分はいる。狡猾な嘘つき、基本的にはそうだと自覚はしていた。だからこそ、ユリーナの存在は眩しすぎる。
「なにか?」
レイモンドが苦笑したことを聞き咎めたのか、老女が振り返り、怪訝そうに聞いてくる。レイモンドはいいえ、と首を横に振った。
「なんでもありません。少し、考えごとを ―― 」
レイモンドの言葉は、老女が園長室のドアを開けた瞬間、ぴたりと止まった。
怪訝に思いながら室内を見回す。開け放たれたままの窓から風が入り込み、カーテンを揺らしている。それがなにかを理解した途端、レイモンドは腹が立つより先に、してやられたという思いがわきあがる。そこに悔しさよりもなぜか爽快感を覚えたことで、すでにふたりから手を引くのは彼の最も嫌う負け犬になることを意味していると悟った。
それに、これからわめき散らすだろう老女を相手にすることを思えば、レイモンド―もとい怪盗紳士としてはあの猫かぶりの悪魔に報復(リベンジ)を果たさなければならない。
心の中でそう誓いながら、レイモンドはとりあえず、老女をどう誤魔化そうかと策略を巡らせることにした。