■騒動の始まりを見つける方法■
次々と紹介される人の多さに、ユリーナは心の中でうんざりしていた。
もともと、社交界のデビューなんて自分には合わなかった。貴族たちの中に入ろうとも思ってなかったし、誇り高い令嬢との付き合いを好んでしたいとも思えない。ユリーナにとって、優雅にテラスでお茶を飲んだりパーティーに出席することは窮屈に感じるだけだった。
本来なら、あの怪盗紳士の予告状が来たとき、パーティーを中止することも浮かんだ。けれど、そうしなかったのは祖父が張り切っていたからだ。頑として自分の屋敷で行うことを決めて、遠慮する父にも嫌なら譲った屋敷を返せ、という始末。あげくは、年寄りの楽しみを奪う気か。と老人虐待をしているように言う。結局、折れたのはユリーナだった。
それでも気持ちは乗らない上に、もうひとつユリーナの機嫌を損ねること ―― もちろん、マックスとの仮とはいえ婚約 ―― があったのだから、うんざりするのも仕方がない。
ユリーナは手にしている扇子で口元を隠して、小さくため息をついた。
けれど、本人の思惑をよそに、ユリーナ自身は周囲から注目を浴びていた。もちろん、ただ今回の主役だからというわけではない。
胸元の開いた淡いブルーを主体としたドレス。裾には控えめ程度にレースを飾って、流行をセンス良く着こなしているユリーナの姿はとても魅力的で可愛らしかった。そのうえ、うんざりしている姿は逆に物憂げに映っていて、ユリーナと同じ年齢くらいの男性たちは一瞬で惹かれていた。紹介された相手も、男女問わずユリーナの受け答えに好意を抱いていた。
ユリーナはただ曖昧に受け答えただけだったが、それは社交界にデビューするという気恥ずかしさと取られ、侯爵の孫娘でありながら控えめな態度に「なんて愛らしい……」と微笑みをかった。それでも、ユリーナを誘う人が少ないのは、隣に控えている青年のせいだろう。
黒いタキシードを優雅に着こなした姿は、精悍で。シルバーブロンドの髪と柔らかい光を浮かべる青い瞳、美しい顔は、物語に出てくる王子様そのものだった。
まさにお似合いであるカップルの邪魔をする勇気のある者はこの場にはいなかった。
…………ずるい。
ユリーナは上目遣いで恨めしげな視線を隣に佇むマックスに向けた。それに気づいて、マックスが顔を向ける。
「視線が痛いよ、ユリーナ」
その言葉にムッ、と口を開く。
「さっきから笑顔を振り撒いて、社交辞令を並べてるマックスの方が痛いわよ」
いつもこうだ。
マックスは他の人にはその笑顔を惜しげもなく向けて、女性には賞賛の言葉を。男性にはそれ相応の話題を返しながら好感を得る。なのにユリーナには、お世辞にも好感の持てるとは言えない。恐らくは思っているだろうことを、率直に口にしていつも怒らせた。
今夜のパーティーでも、ドレスを着たユリーナを一目見るなり、彼は感慨深げに言ったものだ。
『馬子にも衣装ってほんと、よく言うよね』
それでもパーティーのことを思って、怒るのを抑えたユリーナは足蹴り一発で堪えた。
それが他の人に関しては『今夜はとても素敵ですね』、『そのドレスはとてもお似合いですよ』と煩げにならない程度の言葉をすらりと口にする。
ユリーナが不満を覚えるのは仕方がなかった。
「多少の社交性と騒動を見つける方法を知っておくのは、世の中を渡っていくために必要だから」
軽く肩をすくめて言うと、マックスは通りかかった給仕が持つトレイから赤色が薄く色づいているジュースの入ったグラスをひとつ取って、ユリーナに渡す。
ちょうど喉が乾いていたユリーナは素直に受け取って口につけた。
「……社交性はわかるけど、騒動を見つける方法ってなによ?」
一口飲んだユリーナは不思議そうに訊く。
「たとえば ―― あそこにリムダン伯爵と奥方がいる。一見、腕を組んで微笑み合う姿は仲良さそうに見えるけど、実はそうじゃない」
マックスが視線を向けた先には、侯爵から先ほど紹介された一組の伯爵夫婦が立っていた。それでなくても、ユリーナは彼らのことを知っていた。噂では大恋愛の末に結婚したおしどり夫婦で、その仲良い姿には羨ましがる少女たちが多数いるという。
それを言うと、マックスはわずかに嘲笑するかのような笑みを浮かべた。
「でもほら、見ればわかるよ。伯爵の腕にかけてる奥方の手はまるで汚らわしいものを触ってるかのようにほんの少ししかかけていない。それに、伯爵のほうもね。さっきからちらちらと別の女性に視線を向けてる。もちろん、気づかれない程度に」
それは言われなければわからないような本当に些細な動きだったが、確かによく見るとマックスの言う通りだった。それに気づいてしまった途端、ユリーナは恥ずかしさがこみ上げてきた。
「あのねえ、マックス。そういうスキャンダルが世の中を渡っていくのに必要なの?!」
「知っておいて損にはならないよ。他人の弱点は何かの際に助けて恩を売ることも出来るし、逆に追い詰めることも出来るからね」
飄々とした表情で言うマックスに心底呆れる。誰もこの天使のような微笑みの裏で彼がこんなことを考えてるなど思いもしないだろう。
マックスは複雑な眼差しを送ってくるユリーナに、にっこりと微笑んだ。
「それに僕はユリーナに苦労させるわけにはいかないから。世の中を上手く渡っていかないと」
それは一種のプロポーズだろう。
他の少女なら、この笑顔と一緒にこんな言葉を言われたら、それこそ顔を真っ赤にして喜びのあまり気絶していたかもしれない。
けれど、ユリーナである。
十年以上の付き合いがある幼馴染からの言葉に喜びどころか、「冗談じゃないっ!」と口を開きかけたが、周囲の視線に気づいて怒りに顔を赤らめるだけで何とか我慢した。
それを、婚約者に何かしら囁かれて照れて真っ赤になっている可愛らしい少女 ――― なんて初々しいカップルと周囲が誤解したのは言うまでもない。
………つまんない。
ユリーナはいつまで経っても現れる気配のない怪盗紳士に焦れていた。
「なにをそわそわしておる?」
不意に背後から声をかけられて、ユリーナは振り向いた。
祖父の姿を見つける。
まさか、怪盗紳士が来なくてつまらない、とは口に出せずにユリーナは曖昧な微笑みを浮かべる。「なんでもありません。」そう答えようとしてマックスがいないことに気づいた。
「おじい様、さっきまでそこにマックスがいたはずですけど……」
いつのまに祖父と入れ替わったのだろう。
訝るユリーナに、侯爵は視線を逸らした。
「おじい様?」
「ゲストルームにでも行っておるんじゃないかね。わしは知らんよ」
目を泳がせる侯爵に、わけがわからずユリーナは首を傾けた。
だが、誤魔化そうとしていた侯爵の言葉は無駄になった。
なぜなら、ユリーナが目の前で踊っている一組の男女に気づいたからだ。まさに貴族らしく、優雅に目の前で踊る青年にユリーナは目を見張った。
「…………マックス」
低い声がユリーナの口から漏れる。
非常にまずい。
侯爵は冷や汗が一筋どころか、大量に流れていくのを感じた。
女性からダンスを頼まれたらしいマックスがその間。ユリーナを頼む、と侯爵に言いに来たのだ。なぜ断らないのか、と聞けば「来るものは拒まない主義なので」と即座に微笑みまでつけて返ってきた。
言葉を失っているうちに、マックスは女性の手を取ってホールの中央に行くと、流れる曲に身を任せてダンスを始めた。
(普通は婚約者と踊るものじゃないの?!)
散々、マックスが踊ろうと誘った言葉を断ったユリーナは棚に上げてそう思った。
もちろん、その誘い言葉が、『足を踏まれるのは嫌だけど踊ろうか』『転ぶってわかってるけど踊る?』 ――― という表現だったために仕方ないのかもしれないが。
苛立ちを含んだ目でマックスを見ていたユリーナだったが、視線が合いそうになってふいっ、と逸らした。
その瞬間、ふとホールの入り口付近に立っている青年を見つけた。
目を奪われる ―――。
そんな感覚をユリーナはマックス以外に初めて感じた。
ブロンドの髪とブルーの瞳はこの国でも珍しいものではなく、確かに優しそうな笑みを浮かべている顔は他の男性より整ってはいるが、マックスを見慣れているユリーナからすればそれほど惹きつけられるというものではなかった。
けれど、なぜか目が離せない。
(どうして……?)
ユリーナがわけもわからず困惑していると、視線を感じたのか相手も目線を向けた。
―――― 視線がぶつかる。
クスッ、と青年は何かを楽しむように微笑むと、ユリーナが反応する前に、踵を返してホールを出て行った。
「……っ。おじい様! 化粧を直してきますっ!」
我に返ったユリーナは慌ててそう言うと、周囲に怪しまれない程度の歩調で人ごみを抜けていく。後ろから「ユリーナ!」「待ちなさいっ!」と小さく咎めるような声が聞こえたが、心の中で謝罪しつつユリーナはホールを後にした。
★☆★☆★
「……どうしてわかったの?」
マックスと踊っていた女性が、声を潜めて問いかけた。
同じように周囲に届かないよう配慮しながら、マックスも小声で返す。
「貴女の目に決意めいたものが見えたからね。女性がそういう目をするときは大抵、騒動が起こるんだ」
どこかからかうような口調の言葉に、女性は思わず笑った。
「それって偏見だわ」
「まあ…、あんな男のために殺人を犯す必要はないよ」
マックスが言った言葉に女性の瞳に暗い影が落ちる。
「騙されたのよ。お金を奪われたの」
だから、殺そうと思った。
胸元に隠してある短剣を意識しながら、女性は言った。
「僕に任せてくれるなら、取り返そう。できなかったら、そのぶんのお金は僕が支払う」
「お金の問題じゃないわ」
無粋な言葉を連ねる、とばかりに女性はマックスを睨んだ。けれど、マックスは悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「わかってる。でもつまらない男を殺した罪で一生牢に入るより、僕に任せてお金を取り戻し男をあざ笑う方がいいと思うけど?」
「できるの?」
驚いたように女性は目を大きく開けて、聞き返した。
「今夜は何もせず、大人しくしてくれるなら」
探るようにマックスの目を見つめていた女性だったが、やがて諦めたように訊いた。
「………理由を聞かせてくれる?」
初めて会った自分のために、なぜそこまでするのか。
マックスは軽く肩を竦めて口を開いた。
「せっかくのユリーナの誕生日を血で汚したくないからね」
その言葉に、先ほど自分たちを睨むように見ていたこのパーティーの主役の姿を女性は思い浮かべた。
クスリ、と笑みが零れる。
「優しいのね」
それには答えず、マックスはとりあえず未然に防げたひとつの騒動に、微笑みを返した。