■隠れた殺意と嘘つきの理由■
「それで、マックス! 聞かせてもらおうじゃないの!」
応接室の椅子で祖父と話しこんでいたマックスを見つけたユリーナは『どんっ!』とテーブルを叩いて言った。ところが、脅えたように孫娘を見る侯爵とは対照的にマックスは相も変わらず呑気な口調で訊いた。
「なにを?」
ぴくり、とユリーナの片眉が跳ね上がる。
「決まってるでしょっ、この非常事態にあなたはどこでなにをしてたのかってことよ!」
言いながらユリーナはマックスの隣に座った。じっ、と顔を見つめて ―― 、気づいた。
「……どうしたんだね、ユリーナ」
ふと黙り込んだユリーナに向かって、侯爵が問いかけた。ユリーナは不可解そうに眉根を寄せて、マックスの顔に視線を向けたまま口を開く。
「何でそんなに不機嫌なの?」
その言葉に侯爵は目を見開いた。今まで彼と会話していたが、いつもと変わらずいたって普通だったからだ。けれど、ユリーナの言葉があたっているかのようにマックスはつい、と顔を背けた。
「僕の行動がムダ骨に終わったんだ。せっかくのユリーナの誕生日だったのに」
マックスが言うと、ユリーナは不思議そうに訊いた。
「行動って?」
「隠れた殺意の発見及び、除去作業」
ぼそりと答えられて、ユリーナの思考が瞬間、止まった。
その向かい側では侯爵までもが固まっている。
我に返ってその意味を問いかけようとしたとき、ゴホン。と咳払いが聞こえた。三人の視線が一斉に向く。無精ひげを生やして、厳しい顔つきをしている男性が立っていた。
ダークブラウンのスーツにそれよりは明るめの茶系のコートを無造作に羽織った姿はとても趣味がいいとは言えないものだったが、侯爵は彼に気づくと親しみ深い笑みを浮かべて口を開いた。
「おお、トーマス警部殿。客人たちの事情聴取は終わったのかね?」
対照的に、警部と呼ばれた男はそれには応じず、顔をしかめた。
「とんだことになりなりましたな、侯爵」
苦々しそうに言い放って、トーマス警部は空いている一人掛け用の椅子に座った。ちらりと、ユリーナに一瞥を向けて侯爵へと視線を向ける。
「孫娘さんのお披露目によりにもよって怪盗紳士から予告状が来たばかりか、殺人まで起きたとは」
「ふむ。だが君たちが待機していてすぐに駆けつけてくれたからね。そのぶんではわしは安心しておるとも」
頷いて言う侯爵にそれまで難しい顔をしていた警部はふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「もちろん、付き合いの長い侯爵に関わることだから、予告状のことを聞いたときから待機はしていた。まあ、言わせてもらえば私たちに警備を任せていてくれればこんなことにはならなかったんだよ」
侯爵は苦笑を零して、片手を挙げる。
「そう言わんでくれ。厳重な警備をして、孫娘の披露パーティーを台無しにしたくはなかったのだよ」
自分のせいで祖父が責められてると感じたユリーナは居たたまれなくなって、マックスに視線を向けた。表面上は至って普通ではあったものの、ユリーナから言わせると今まで不貞腐れた雰囲気を発していたというマックスはすかさず穏やかな笑みを浮かべながら口を挟んだ。
「侯爵、事情聴取が終わったのならゲストをお送りになった方が賢明ですよ。不安に思っているでしょうからね」
つと、警部の視線が彼の方を向く。
「失礼だが、あんたは?」
「マックス=フォワードです、初めまして。警部のご活躍はよく耳にしています」
フッ、と微笑んだマックスの言葉に警部は照れたように頭をかいた。
けれど、ユリーナは思い出していた。
朝刊や夕刊などで犯罪に対するトーマス警部のコメントが載っている記事を見つけてはそのコメントを見当はずれだ、と鼻で笑い「彼は上下関係やあて推量な自分の考えに固執するタイプだね。実に操りやすそうだ。警察にコネを持っておくのも必要だと思わない?」と言っていたことを。
「侯爵、」
もう一度マックスが促すと、侯爵は「そうじゃな」と頷いて立ち上がった。
「待ってくれ。侯爵にも状況を ―――― 」
慌てて引き止めようとした警部をやんわりとマックスが止めた。
「侯爵は僕と一緒でした。説明は僕ひとりででも十分、警部さんのお役に立てると思います」
役に立つ、という言葉と礼儀正しいマックスにピクリと反応すると警部は椅子に座りなおした。
「……そうか、ではお願いするよ」
侯爵がいたときとは少しばかり不遜な態度になって、警部が言った。
マックスは淡々とそのときの状況を説明した。
女性とのダンスが終わって、ユリーナがホールから出て行ったと侯爵から聞いたマックスは、後を追いかけた。
ホールを出て玄関口で丁度、客の世話をしていた執事の姿を見つけてユリーナが外へ出たかを訊いてみたが、首を横に振られる。
一階にあるゲストルームにいるなら、追いかけるまでに空いた数分の時間とユリーナの性格を考えると、騒がしい声はすでに聞こえているはず。
それがないとなると、残ったのは二階、三階。
即座にマックスはホールと玄関に挟まれた場所にある二階へ続く階段へ踵を返した。
「キャアアアアアアアッ!!!!!!!」
けれど、そこへ着く前に女性の叫び声が響いた。
マックスが向かうまで数分とかからない。階段の下で倒れている男性と女性を見つけて、一瞬だけ面倒くさそうな表情をしたのをここにユリーナがいたなら見つけて非難されたところだが、生憎彼女はいなくて、だからこそマックスはすぐに気遣うような顔を作って側に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
マックスが声をかけると、女性が顔をあげた。
偶然にも先ほどユリーナと一緒にいたときに話題にしていたリムダン伯爵の奥方だった。
「怪盗紳士がっ! 夫を突き飛ばして逃げていったわ!」
奥方はそう喚きながら指を差した。
そうなると、倒れている男はリムダン伯爵になる。マックスは奥方が指した方向が食堂のあるところだ、と冷静に判断し、まずはリムダン伯爵の具合を調べようと身をかがめた。途端、奥方が伯爵を庇うようにしながら、叫んだ。
「何なさってるの! 早く追いかけてっ! 今ならまだ間に合うわっ!」
一瞬、マックスは眉を顰めた。必死の様子である奥方にはわからないようだったが。
「…………」
結局はマックスの最優先が常にユリーナである以上、怪盗紳士という言葉に突き動かされるように奥方が指し示した方向へ向かった。途中、すれ違った侍女に医者の手配をするよう頼んで。
「 ―――― でも食堂のほうも、その先へ続く中庭の方も探したけど、誰もいなかった。というわけです。侯爵に聞いた限りでは、ホールの方にも誰か逃げてくる様子はなかったと言っていました」
そう言って、マックスは言葉を切ると、視線をユリーナに向けた。ぎくり、とユリーナは身体が強張るのを感じた。それでも、弱みを見せるのは悔しくて虚勢を張る。
「な、なによ?」
青く澄んだマックスの瞳が、そんなユリーナをじっと見つめた。
「それで、ユリーナ。この非常事態に君はどこでなにを?」
さっきマックスに使った言い回しで問いかけられて、一瞬ムッとしかけたが、マックスの雰囲気に笑顔を浮かべてはいるものの、有無を言わせない威圧を感じ戸惑った。
事実を口にするべきか否か ―――― 。
「ユリーナ?」
「私は、」
促されて口を開きかけたユリーナを遮るように、二人の背後から声が割り込んできた。
「ご令嬢は私と一緒でしたよ。どうやら、私を怪盗紳士とお間違えなさったようですね。誤解を解いた後、悲鳴が聞こえてくるまで、三階の一室で少しばかり談笑をしていました」
視線の先に怪盗紳士と名乗り、医者という身分を明かした青年を見つけたユリーナは絶句する。同意を求めるように、口を挟んだ青年は視線が合って驚いた顔で口をパクパクさせているユリーナに片目を瞑って見せた。
「冗談……」
じゃないわ、というユリーナの言葉はまたもや警部の声に遮られる。
「ハハ、まさか ――― 。首都でも有名な医者である貴方をよりにもよって怪盗紳士などと間違われるとは」
最も、お嬢様なら世間に疎くて当たり前ですかね。
言外に含む声を聞いて、ユリーナは怒りに震える手でそのまま警部の頬を張り倒したくなった。我慢したのは、一重にここが祖父の屋敷で面子があるからだ。
「……僕相手ならどこだろうと張り倒すくせに」
ユリーナの心情を読み切ったマックスがぼそり、と呟いた。
キッと睨む。
「ご令嬢。この方は我々、警察でもお世話になっている医者で」
「改めまして、レイモンド=ダンといいます。レイ、とお呼び下さい」
警部の後をついで、レイモンド ―― レイはそう名乗って、ユリーナの手を取ろうとしたが、彼女の前に現れたマックスによって遮られる。
「僕はマックス=フォワード。初めまして」
マックスはそう言うと、差し出されたままになっているレイモンドの手を素早く握った。一瞬だけ握手してすぐに外す。マックスの後ろにいるユリーナには、握手した手を後ろに回した彼が自分の服で一、二度、拭くのが見えた。
白い手袋をしたままだったのに、その行為に意味があるのかはユリーナも些か疑問だったが。
「よろしくお願いします。マックスさん」
マックスの態度に不満な顔ひとつ見せず、―― 勿論、傍目から見た限りでは二人のやりとりは穏やかなもので、マックスの態度は礼儀にかなってはいたが ――レイモンドはにこやかにそう言った。
それを見て、ユリーナはハッと我に返る。
レイモンドが怪盗紳士だろうと、医者だろうと構わないが、今はそれよりも大切なことがある。
「それで、リムダン伯爵 ――― 、奥様は?!」
「奥方はショックを受けていましたので、屋敷の方へお戻り願いました。伯爵の死因は、頭蓋骨陥没。恐らく階段から落ちたときに ――― 」
そう言いかけて、レイモンドは気遣うようにユリーナに視線を向けた。
女性がいる場で口にするようなことではなく、下手すれば気絶して倒れることを危惧したからだ。けれど、ユリーナはその様子も見せずまっすぐレイモンドを見ていた。驚いたことにその瞳には、怯えも恐れもなく、まして強がりでもなくて、ただ悲しみと悔しさに満ちた光が浮かんでいて、レイモンドは興味を引かれた。
「では、状況の聴取はおおよそ終わったし、検死の結果もでたようなので、私たち警察もいちど引き上げるとしよう」
そう言うと、警部は重そうな腰をあげて、立ち上がった。
「また何かあったら訪れるかもしれませんが、その際はご協力願います」
儀礼的な言葉で警部は挨拶すると、踵を返して、玄関の方へと歩いていった。
「私もこれで失礼します。ユリーナ嬢、またお会いしましょう」
柔らかい笑みを浮かべて、レイモンドも踵を返した。
その背中にマックスが言う。
「二度と会いたくないね」
「マックス!」
慌ててユリーナが非難する。けれど、レイモンドは振り返らないままただクスリと笑みだけを零して、玄関へと向かった。
「……もう、どうしたのよ。世の中を渡って行くための社交性はどこへ消えたわけ?」
呆れたようにユリーナが言うと、マックスは当然のように答えた。
「やきもちだよ」
「え?」
唐突な言葉にユリーナは目を丸くする。
理解した途端、頬が赤くなるのを感じたユリーナは信じられないような目でマックスを見る。
「 ――― って言ったら、嬉しい?」
そう聞かれたマックスの口調に、からかいが含まれているような気がして、ユリーナは瞬間、マックスの頬を叩いていた。
「…………僕の頬は怒りのはけ口じゃないんだけど」
ひりひりと痛む頬をさすりながら、マックスは不満そうに言った。
「……そんなことより、今日起きたことって、一体どうなってるのかしら?」
一晩にしていろんな出来事に遭遇したユリーナは混乱に陥っていた。
ユリーナに「そんなことより」と言われたのが気に食わなかったこともあるが、何よりこれからのユリーナのお節介に振り回されることを考えると、マックスの口からは自然とため息がもれた。
「なによ?」
聞き咎めたユリーナが、睨むようにマックスを見る。
「別に」
一度はそう答えてそっぽを向いたマックスだったが、ユリーナの視線を感じて仕方なさそうに答えた。
「嘘つきの理由を探し出せば、自ずと隠れた殺意はでてくるよ」
不意に言われたマックスの言葉を考えたユリーナだったが、やはり意味がわからないまま問いかけようとしてハッと気づいた。
「そういえば、フェネックは?!」
パーティーも終わったのに姿を見せないフェネックに、ユリーナはきょろきょろと視線をめぐらせる。
「さっきは食堂にいたよ」
マックスのその言葉に「ありがと!」と言って、ユリーナは食堂に向かった。
その後ろ姿をやれやれとばかりに見て、マックスは小さく肩を竦めた。
「今は僕の役に立ってる途中だろうけどね」
さっき食堂に行ったときに、呑気にテーブルの下で眠っていたフェネックを優しく起こして、用件を言って外へ出した。動物とはいえ、頭の賢い小動物だ。さぞかし、いい情報を持って帰って来るだろう。
そうでなければ ―――― 。
窓の外に広がる暗闇を見つめるマックスの青い瞳が冷たく煌いた。