■恋敵に対する接し方■
アレンが伯爵の遺体を引き取ってきたらしく、幾分か顔色が青ざめて見えたのはそのためだった。葬式の準備のために慌しくなり始めた伯爵邸を、ユリーナたちは早々に辞した。
マックスが馬車の行き先を告げた瞬間、ユリーナは驚いて、聞き返した。
「警察に?」
マックスは頷いただけで、座席に置きっ放しにしていた本を膝の上におくと、読みかけだったところから視線を走らせ始めた。ユリーナは構わずに問いかける。
「どうして?」
「暇潰し」
本から目を離さないまま、短い答えだけが返った。
「そんなわけないでしょ?! 警察に行くなんて何かあるとしか思えないじゃないっ!」
「ユリーナが単純だからそうとしか思わないだけだと……」
マックスが言い終わる前に、ユリーナは彼が広げていた本を取り上げた。名残惜しげに本の行方を追って、マックスはようやく顔をあげる。ユリーナの睨みつけてくる瞳と視線が合うと、小さく肩を竦めた。
「じゃあ、本当のことを言うよ」
最初からそれを言えばいいのよ、と。ユリーナは頷いて、先を促す。
「 ――― 恋敵を蹴落としに」
途端、ユリーナの片眉が跳ね上がった。けれど、怒鳴りだす前に、マックスは「ユリーナ、」と静かな口調で名前を呼んだ。
ユリーナは気勢を削がれて、不満そうにぷい、と顔を逸らす。だが、次にマックスが紡ぎだした言葉はユリーナを戸惑わせた。
「知らないほうがいいこともある。通説だけどね。真実が君を傷つけるかもしれなくても、それでもユリーナはどうして真実を求めるんだろう?」
それは問いかけでありながら、ユリーナにはマックスが答えを求めているようには思えなかった。
「…………マックス」
ため息混じりにユリーナは彼の名前を口にしていた。
マックスは幼い頃からいつだって、ユリーナを傷つけようとする「真実」から守ろうとしてくれていた。いつも誤魔化して、知らないうちに目を逸らさせて、傷つかないようにしてくれる。
勿論、その時はその方法によって、―― 大抵、彼はユリーナを怒らせるため ―― 気付かないままでいてしまう。でも後になって、それがマックスなりの優しさなんだと気付きはするけれど。
でも、ずっとそれが嫌だった。
守られてるだけなんて ――― 。
そんなふうにマックスに頼って甘えて。それはユリーナがなりたいものじゃない。いつだって、マックスの隣で対等の関係でいたいのに。
それこそがユリーナにとって譲れない一歩になっているということを、マックスはどんなに言葉で言ってもわかってはくれなかった。勿論、それで諦めるユリーナでもなかったが。
「自分を守るために嘘をついたって、余計に傷つくだけだもの。それにね、マックス。私だって、傷つくことはいやだわ。でも、私には傷ついても、癒してくれる大切な人がいるから ―― だから、傷つくことになっても目を逸らしたくないって思えるの」
まっすぐにマックスの目を見据えて言う。
探るような視線を向けながら、マックスは口を開いた。
「……大切な人?」
「おじい様やお父様。お屋敷にいてくれる皆や、フェネックだってそうよ」
次々に出される名前に、マックスは「……ふーん」と不機嫌そうに横を向いた。ユリーナの顔が綻ぶ。
「もちろん、マックスもね」
クスッ、と笑って言うと、マックスはま再びユリーナに視線を向けた。悪戯が成功したかのように微笑むユリーナをじっ、と見つめる。
「どうしたの?」
何か言いたそうなその視線に気付いて、ユリーナは問いかけた。やがて、ぼそりとマックスが言う。
「知らなかった。ユリーナがそんなに僕を愛してくれてたなんて」
その言葉に、最早ユリーナは返す言葉も見つからなかった。
馬車を降りたところで、二人に声がかかった。
顔を向けると、そこには外套に身を包んだレイモンドの姿があった。
「こんにちは、ユリーナさん」
レイモンドはユリーナに近寄ると、にっこりと微笑んで挨拶をしてきた。しかし、返事をしたのは、ユリーナの隣に立っていたマックスだった。
「……やっぱり来たか」
呟いたマックスの声を聞き咎めたレイモンドの片眉がピクリとはねた。
「これは気付かなくて。貴方もいたんですね、マックスさん」
言葉の棘を気付かないようにそのままで受け止めて、マックスは結論付けた。
「こんな至近距離で気付かないなんて、目が悪いんだな」
それだけ言って、くるりと踵を返すと警察署へ向かって、歩き出した。
「マックス! ちょっ、ちょっとまっ……!」
唐突なマックスの暴言に戸惑うユリーナにやんわりとした口調で、レイモンドが言う。
「かまいませんよ、ユリーナさん。おそらく彼は嫉妬なさってるんでしょうから。それより、彼の様子からすると用件は同じのようですね。一緒に行きましょう」
嫉妬、という言葉にユリーナは否定しかけたが、レイモンドに優しく促されて、仕方なくマックスの後に続くことにした。
「ここへ来た目的はわかりますが、理由がわかりません。なぜ警察にわざわざいらしたんです?」
隣に並んだレイモンドの問いかけに、ユリーナは些かムッとして答えた。
「知らない! 私はただ、真実が知りたいってマックスに言ったのよ」
「真実?」
「だって、伯爵が階段から落ちたとき。貴方 ―― じゃなくて、怪盗紳士は私と一緒にいたのよ? 犯人じゃないのに犯人扱いされてるなんて納得できないじゃない!」
その言葉に、レイモンドは驚いたように息を呑んだ。それを誤解して、ユリーナの頬がうっすらと赤く染まる。
「………令嬢のすることじゃないって言うんでしょ? でも放っておくことなんてできなかったの!」
ぷいっ、と顔を背けるユリーナに思わずレイモンドは笑った。じろり、と咎めるような視線を受けて、慌てて堪える。
「貴女は本当に予想外のことばかりして下さいますね」
「どういたしましてっ」
馬鹿にされたと思ったユリーナは、そう返すとマックスの元に急いだ。
その後ろ姿にレイモンドは声をかける。
「忘れないで下さいね、私の目的は貴女であるということを」
驚いてユリーナは振り向いた。
ブルーの目がじっ、と見つめているのに気付いて、一瞬躊躇ったが、すぐに「べーっ」と小さく舌を出して、背を向けた。
その可愛らしい姿に、レイモンドは笑みを浮かべずにはいられなかった。
建物の中は騒然としていた。
ユリーナは先に入っていったマックスの姿を探して視線を巡らせる。シルバーブロンドの髪と背の高い姿は後ろを向いていてもすぐにわかった。
マックスはすでにトーマス警部を相手に話をしていた。
ユリーナが傍に行くと、警部は眉を顰めたが、すぐに後ろにいるレイモンドに気づいて、親しみ深い笑みを浮かべた。
「貴方も一緒でしたか、レイモンドさん」
態度の違いにユリーナはムッと眉を吊り上げた。文句を言おうと口を開きかけるのを遮って、マックスが言った。
「用件は僕と同じだそうですよ」
マックスの言葉に、ぎくりと警部は身を強張らせた。
優しい笑みを浮かべるマックスの真意を探ろうとするかのように、警部は彼の全てを見通すかのような澄んだブルーの目を見つめる。
先に諦めたのは、警部だった。
今まで警部である威厳を保って雰囲気を纏わせていた彼が一転、縋るような目をマックスに向ける。
「……先ほどの話は本当だな?」
「僕のことは少なからず、侯爵から聞いてるでしょう? 情報は確かです。しかし、結果は貴方の腕にかかっていますけどね」
平然と、マックスは肩を竦めてそう言った。
二人の会話の意図が見えないユリーナとレイモンドは顔を見合わせる。
「……わかった。あっちの取調室を使おう」
ひとつ頷いて、警部は机の上にあった幾つか書類の束を纏めて抱えると、部屋の方へ歩き出した。そのあとに三人も続く。
ユリーナは前を歩くマックスの腕の袖をちょいちょいと引っ張った。
「ねえ、さっきのどういう意味なの?」
上目遣いに問いかけるユリーナに、ふっと爽やかな笑みをマックスは零した。
途端、ユリーナの背筋にぞっとするものが走る。すぐに感じ取った。その笑みは何か悪巧みを抱えているときの笑顔だ。
「今は知らないほうが後で楽しめるよ」
マックスはそれ以上、何も言わなかった。
―――― 後で楽しめる。
その言葉の主語をユリーナは知っていた。絶対に「僕が」とつくということを。
自分の身のためにも、警部にわずかな同情を覚えはしたが、ユリーナは沈黙を守ることに決めた。
『取調室』とプレートのある部屋は警部を始め、四人が入ると窮屈に思われた。それでも何とか席を作って、椅子に座る。
「 ―― 確かに、マックス君の言うとおり、伯爵は何回か女性に訴えられかけたことがある」
ため息とともに言われた言葉に、ユリーナはギョッとした。
信じられない ――― 。
ユリーナの脳裏にさっきまで会っていた伯爵夫人の顔が浮かんだ。ずきん、と胸が痛む。
「でも、どれも裁判沙汰にまではならなかった」
「……どうして?」
マックスが言った言葉に、ユリーナが問いかけた。答えたのは、警部と机をはさんで座っているユリーナたちと違って、部屋のドアに寄り掛かって立っているレイモンドだった。
「大抵、そういうことはお金で片がつきますからね。 ―― 勿論、最低なやり方だとしても」
ユリーナが眉を顰めたのを見て、レイモンドは付け足すように言った。
「そうかな?」
ふとマックスが口を挟んだ。
「結局はお金で片をつけてしまうんだろう? イヤなら受け取らなければいい。それなら伯爵のしたことはひとつの方法だ。最低、とは言い難いじゃないか」
「マックス!」
思わずユリーナは立ち上がった。
「僕はユリーナに言ったんじゃないよ。そこの偽善者にだ」
視線すら向けないで、マックスは言った。その言葉に、ユリーナが更に言い募ろうとしたとき、「ゴホン!」と咳払いが聞こえた。警部の厳しい視線と合って、ユリーナは渋々と椅子に座り直した。
「……まあ、それもあったが。もうひとつ大きな理由があってね」
右手の人差し指をひとつ、と立てて、警部は少し声を潜めて言った。
「実は女性からの訴えが幾つか続いた時があってな。我々もとうとう放っておくことができずに、非公式の形ではあるが伯爵から事情聴取を行ったんだ」
ところが ―――― 。
「身に覚えがない? ……そんなの言い訳だわっ!」
ユリーナの言葉に警部も頷いた。
「もちろん、我々もそう思った。だが、女性が伯爵に会っていたと言う時間のほとんどに伯爵は確かなアリバイを持っていたんだ」
「ということは、誰かが伯爵の名を語って詐欺を行っていた」
警部の言葉の後を引き取って、マックスが言った。推測していたことを事実だと確認するかのように。
「ああ、女性たちは口を揃えたかのように、伯爵の顔は見ていないという。ただ、その名前 ―― というより身分だがね、それを信じたと」
「それについての捜査は行っていましたか?」
レイモンドが問いかけると、警部は渋面を作って肩を竦めた。
「伯爵本人がそれについては、様子を見るからと言ってさっきレイモンドさんが言ったように、お金で片がつく問題には伯爵が終わらせた。捜査は一時中断という形を取っていたんだが、その矢先にこんな事件になったってわけだ」
警部は言い終わると、ぎしり、と。疲れたように背もたれに体重をかけた。
一時、部屋の中には沈黙が下りたが、次に口を開いたマックスの言葉に三人は息を呑んだ。
「 ――― よかった。これで牢にぶち込む理由が見つかった」
後は証拠だけか。
ひとりそう納得して呟くと、マックスは立ち上がった。
「ちょっと待て! どういう意味だ?」
疑問に思っているユリーナやレイモンドを代表して、警部が聞いた。マックスはにっこりと微笑むと当然のことのように答えた。
「裏で糸を引いてのうのうとしてるやつを引っ張り出し、追い詰めることほど楽しいものはないじゃないですか」
マックスの言葉の意味はわからなかったけれど、警部の刑事としての勘が彼を敵に回すことなかれ、と。訴えたことだけは確かだった。
青ざめた顔をしている警部を置いて、マックスは呆然としているユリーナの手を引き、部屋を出て行こうとしたが、レイモンドがドアに寄り掛かっていた。
「………君はどこまで知っているんですか?」
マックスの澄んだブルーの目とレイモンドの視線が交錯する。
けれど、それも一瞬だけで、マックスは「さあね?」と小さく肩を竦めた。
くすり、とレイモンドも笑って言う。
「恋敵には何も教えられないと?」
ドアから離れたレイモンドの横を通り過ぎる瞬間、ユリーナには聞こえないように小さな口調でマックスは答えた。
「それなりの接し方だ。恋敵なんて、蹴落とすために存在する脇役だから」
レイモンドは面白そうな笑みを浮かべた。