第二章 高魔の玩具

一、誘拐(3)
――― 次の日。
 新城家屋敷で夕食を終えた拓也と秋は、一室でのんびりとくつろぎながら、会話を楽しんでいた。
「 ――― へぇ。いろんなところに出張してるんだなぁ」
 驚いたように拓也は声をあげる。
 跡継ぎ、というからには依頼など受けずに大切にされているものだと思っていた。想像と違って、思ったよりも身近に感じた。
「はい。だから、この町は深雪ちゃんたちと交代で守ってるんです」
 ひとつの町に、一組の『精霊使い』。だけど、なぜ。新城家、という頂点の一族が住んでいながら、深雪たちまでいるのか。
 その疑問に秋が答える。
 新城家はそれぞれの用事のために、全員がこの町から離れてしまうことがある。だから、その間の「留守役」だと。
「狙われやすいんですよ、ここは」
「なんで?」
「それは、」
 答えようとした瞬間、襖が開いて、香穂が姿を見せた。
「そろそろ散歩に行こう」
 その言葉に、ハッと秋は意識を向ける。町の中に高魔の気配を感じた。隠そうともしないそれは、まるで誘っているかのようだ。
「俺たちを襲った魔かっ?!」
 拓也が立ち上がって、香穂に問いかける。高魔の気配はつかめるが、同じかどうかまではわからない。
 香穂は頷く代わりに、穏やかな視線を拓也に向けた。
「計画通りによろしくね。後の心配は…たぶん、いらないと思うから」
「……香穂」
 ため息混じりに秋が名前を呼ぶ。
 不安げな表情を浮かべている拓也に、しっかりと頷いて秋は真剣な顔で言う。
「絶対に、心配はいりませんよ」
 ほっと拓也は胸を撫で下ろす。香穂は二人に視線を一瞬だけ向けたが、すぐに踵を返して、玄関へと向かった。秋もそれに続く。

「 ――― 待ってろよ、いま行くから」
 拓也はひとりそう呟くと、二人の後を追った。


 香穂はふいっ、と夜空を見上げた。
 星の数は少なく、代わりに半分しかない月が輝きを放って存在を誇示している。
「……やっぱり、水月さんを囮にするのは気が引けるね」
 隣から聞こえてきた気弱な呟きに、香穂は視線を向けて苦笑するしかなかった。
 言い出したのは香穂で、思いついたときも当然のように思ったが、秋にそう言われると悪いことをしているような気にさせられる。それを誤魔化すために、責任転換をすることにした。
「大丈夫って言ったでしょ。秋だって、絶対に大丈夫、って請け負ってたじゃない」
「そうだけど……。でも、なんか不安で」
 自分の発言に心細くなったのか、秋の瞳が揺れる。頼りなげに見つめてくる秋から視線を外して、無造作に離れて前をどんどん、と進む拓也の背中を見た。
 香穂たちは高魔に気づかれないように気配を消して、こっそりと拓也の後をつけている。
「絶対、っていう自信は私にはないけどね」
 肩を竦めていうと、秋は困惑するように眉を寄せる。
「仕方ないよ。水月さんを安心させたかったんだ」
 拗ねるような口調とその表情が可笑しくて、香穂は頬が緩むのを感じた。堪えきれない笑みに、秋は不思議そうな顔をする。
「なに?」
「優しいな…って、思って」
 揶揄するような響きもなく、本当にそう思っているような声と、ふと見せた香穂の優しい笑顔に、秋の頬がうっすらと朱に染まる。
「そ、そんなことないよっ」
 誤魔化すようにそっぽを向く秋に向かって、香穂はしっかりとした口調で言った。
「自信持って大丈夫。途中経過はともかく、最後は絶対に悪いふうには致しません」
 悪戯っぽい笑みを見せる。それでも、秋はあえて「絶対」と使った香穂に明るい笑顔を浮かべて頷いた。
 否定したその言葉を、使う香穂の自信を信頼して。

「 ――― 静っ?!」

 香穂たちはハッ、と闇の中に目を凝らした。
 拓也の前に、一人の少女が立っていた。年齢は秋たちと同じくらいで、髪はショート。白いシャツに、黒のズボンしか着ていないせいか、スタイルの良さは暗闇の中でも見てとれた。
 香穂と秋は視線を交わした。拓也が呼んだ名前から、彼の付き人だとわかる。

「拓也さまっ!」
 静と呼ばれた付き人は、そう叫びながら拓也に抱きついた。
拓也は「良かった」と息をついて、静を強く抱き締める。その存在を確かめるように。
「怖かった……」
 腕の中で、静の身体は小刻みに震えていた。
 静から感じる本物の気配に、拓也は警戒することも忘れて、「大丈夫だ、」と彼女の背中を優しく撫でながら声をかける。だが、その瞬間。頭に衝撃を受けた。
「うっ…!」
 それが気をぶつけられたんだ、と理解する前に、拓也の視界は揺らぐ。
 目の前の静がうっすらと冷笑を浮かべる姿が、最後に瞼が閉じる寸前に見えた。
「し、ず…か……」
 地面に崩れ落ちるように倒れた拓也を、彼の背後にいた青年が抱え上げた。美しい容姿に、面倒くさそうな表情を浮かべている。
「簡単だったな、つまらない。付き人ひとりにのこのこ出てくるとは」
 馬鹿にするような目つきで、変わらずそこに佇む静を見て嘲笑する。
「精霊使いも馬鹿ですねぇ」
 クッ、と唇の端を吊り上げる。冷笑を浮かべて、彼はどこか遠くを見るような目つきをした。
「さて、他はとりあえず彼女に任せるか。一度、戻るぞ」
 そう言って、静を冷たい視線で一瞥すると、姿を消した。続くように、静も消える。
 まるで、そこでは最初から何事もなかったようにしん、とした空間だけが残されていた。

 香穂は彼らが消えたのを見計らって、秋に言う。
「ほら、追いかけてきて。私、ちょっと用事できたから」
 唐突な言葉に秋は動揺を見せた。戸惑うように香穂の顔を見つめる。
「だいじょうぶ。用事が終わったら、すぐ追いかける。早く行って。気配が消えるから」
 安心させるように、香穂が微笑むと、渋々といった顔つきで、逆らえない秋は頷いた。
「わかった。……気をつけて」
「それはこっちのセリフよ。無茶だけはしないでね」
 クス、と笑みを零して言うと、秋はようやく笑って姿を消した。

 秋の姿が消えると、香穂は深いため息をついた。眉間に皺を寄せて、苦しげな表情を作る。
 香穂の思いを読み取ったように、頭の中で声が響く。
(私も、追いかけましょうか?)
 砂霧のその一言で、見透かされていることに気づいて、香穂は額に手を当てると、呻くように口を開いた。
「…………嫌味?」

(あれは確か花連(かれん)君の、…ということは樹鎖(きさ)君の、)
 何が「確か、」だ。と思わず文句を言いそうになった。
 砂霧の記憶力がいいのは誰よりもわかっている。あくまで、香穂に対して含みのある言い回しをしただけ。それさえも理解している香穂は、諦めたように言うしかなかった。

「砂霧……、やっぱり。ついて行って」
 喉元まで出掛かっていた言葉をようやく、押し出す。
 砂霧は確認するように言った。
(よろしいのですか?)

 どんなに探ったところで、今の香穂に否定する道はない。優先順位はすでに決まっているから。
「秋の命には代えられない」
 頷くわけでもなかったが、その言葉の重みを誰よりも理解している砂霧は、それ以上は何も言わずに即座に気配を消した。
 それを感じて、香穂はもう一度、半分しかない月を見上げる。半分しかなくても、満月のときよりも、光を放っているように香穂は思えた。

「さて、と。私も急ぎますかね」
 そう口にしながら、たった一つの願いを心に浮かべる。
(願わくば、秋を傷つける出来事が起こりませんように ―――― 。)
 けれど、首を横に振る。
 決意を新たにするように、手の平を握り締める。
(絶対に起こさせたりしない。)
 それは、ずっと昔に誓ったこと ―――― 。
 黒い瞳に意思を込めた光を浮かべた。

 後には、暗闇に支配された静かな空間だけが残される。
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