「ごめん、ちょっと遅くなったね」
苦笑気味の、だけど明るい口調が響く。途端、衝撃は消えていた。
それに気づいて驚きながら、葉月の腕の中から身体を起こすと、視線の先に香穂が立っていた。その姿に全て悟って、深雪は不満げに言う。
「香穂! なにがちょっとよ!」
それでも口調に嬉しさが滲んでいる。駆け寄る深雪と葉月の顔には嬉しそうな表情が浮かんでいた。
「まあ、まあ。最後には助けにきたんだから、いいでしょ。終わりよければ全てよしってね」
傍に来た深雪の肩をぽんぽん、と叩く。服についた埃を落とすかのように。次の瞬間、立っているのもやっとだったはずの深雪と葉月は体力が元に戻るのを感じた。
「ありがと。あれ、そういえば秋くんは?」
「ひとりでいらっしゃったんですか?」
いつも傍にいるはずの秋がいないことに気づいて、不思議そうに二人は問いかける。香穂は小さく肩を竦めて返した。
「まぁね、その件については後で話すけど。そろそろあっちの、」
そう言って、香穂は高魔に見据えるような視線を向けた。
「相手をしてあげないと、怒ってるみたいだからね」
それに、と。そこから先は心の中だけで思う。
(早く切り上げて、秋の後を追わないといけない ――― 。)
高魔が痺れを切らしたように怒鳴った。
「いい加減になさいっ! 私を無視するなんて、いい度胸ねっ」
スッ、と香穂の目が細くなる。
深雪たちは息を飲んだ。さっき高魔が現れたときの、比じゃない。ひどく冷たい空気が一瞬で公園の中を支配した。一声発することさえ禁忌だと思わせる、そんな雰囲気を放つ香穂を初めて見る。
「どうでもいいけど……」
香穂はゆっくりと言葉を放つ。その口調は余裕があって、表情は愉しむような笑みが浮かんでいる。
「いま私ね、とっても急いでるの。さっさとその醜い姿を消してほしいな」
まるでお強請りをするような言い方で、香穂は小さく首を傾ける。
深雪はあの美しい姿を醜い、と一蹴してしまう香穂に絶句した。隣から、葉月が苦笑する声が聞こえる。「客観的に見て」と、葉月が耳打ちしてきた。
「確かに今の香穂さまに比べたら、華やかさも存在感も明らかに月とすっぽんですね。並んでも香穂さまを際立たせるだけの、脇役にしか見えません」
その言葉に、深雪は改めて高魔と香穂を交互に見比べる。確かに、納得できるような気がした。
「脇役にもならないわよ?」
ふと、鋭い声が響く。
発したのは香穂だった。普段から容姿について言われるのを香穂は嫌う。だから、二人はその言葉に驚いた。
同じように聞き取った高魔は目を見張る。
「なんですってぇっ?! もう一度、言ってみなさいっ!」
殺気が高魔を包む。それでも香穂はあくまでとぼけるような物言いをやめなかった。
「耳も悪いの? 顔も悪くて、耳も悪い。最悪ね。いい病院でも紹介してあげようか? っていっても、もう手遅れね」
残念、と言葉とは裏腹の楽しそうな表情を浮かべたままで、香穂は言った。
滅多にない香穂の毒舌ぶりに、深雪たちの目が点になる。付き合って十数年。普段、どちらかといえば無口な方の香穂がこんなにすらすらと、罵詈雑言を愉しそうに言う姿を見たことがなかった。
「アナタのような生意気な精霊使いなんてイラナイわっ! 今すぐ、殺してやるっ!」
全身で怒りを露にする高魔は炎のようなオーラを纏う。全ての力を込めて、闇の球を作り出した。野球のボールくらいだったその球は、何倍もの大きさに広がっていく。
我を忘れたようなその力の使い方を見て、ハッと深雪たちは息を飲んだ。香穂の意図を理解する。
クスリ、と笑って更に香穂は告げた。
「自分より劣るヤツに必要とされたくなんてないわね。もっとも、自分の力の限界も知らず、相手の力量もわからない低脳なヤツに私が殺せるとも思えないけど?」
揶揄するような響きを含ませて、香穂は口を動かした。
『 ――― それで高魔なんて、魔の未来も明るくないわね』
唇だけで告げられたその言葉を高魔は読み取った。
欠片に残っていた理性がぶちり、と千切れる。
「おのれっ、その言葉。地獄で後悔するといいっ!」
膨れ上がった闇の球を言葉とともに香穂に投げつける。それは、香穂を中心に周囲までもを、飲み込んでいった。途端、爆発する。
「……口だけは達者だったみたいね。あっけない」
さらり、と髪をかきあげて、周囲一体を破壊しつくした高魔はため息混じりに言った。人間相手に本気を出してしまった自分に、少なからず反省しながら。
「けど、あの風使いの方はもったいなかったかしら」
ふう、と息をつく。巻き込んでしまったことを残念に思った。けれど、すぐに気を取り直す。
「しょうがないわね。他を探しましょう」
高魔は深雪たちに倒されて地面に伏している精霊使いたちに視線を向ける。彼らは一瞬で姿を消す。後を追うように、高魔も消えた。