第二章 高魔の玩具

三、催眠(1)
( ――― 神殿?)
 闇の中で、存在を示すかのように淡い光を放つ建物を見て、秋は目を疑った。
 石柱とそこに描かれている模様を始め、灰色の大きな石が積み上げられて作られているその建物は神秘的な雰囲気が漂っていて、秋は妙な違和感を覚える。

 躊躇いなく先を進む高魔の後を気配を殺して、ついていく。

 周囲を見回しても神殿しか見当たらないその空間は、『魔』たちが本来、住処とし、存在する異次元の世界だということは秋にもわかった。
 幼い頃、香穂とともに読んだ『精霊使い』のための教本を思い出す。
 人が住む世界とは別にある無限に広がる空間に、高魔たちはそれぞれ結界を張って住んでいるという。そう、書かれてあった。

 不意に高魔が足を止めたことに気づいて、秋も側にあった柱の影に隠れる。
 高魔の進む石畳の廊下は三つの入り口に分かれていた。いちばん右端の入り口の前に佇むと、おもむろに口を開いた。美しい音色を含む声が響く。
「誰かいるか!」

 その声に呼びつけられて、ひとりの若者が姿を見せた。
 一瞬、秋はぎくりと身体を強張らせる。
(あれは、確か……。土使いトップクラスの樹杉家、跡継ぎ。要さんだ)
 佳人と同年代で二、三度だが、会ったことがある。
 高魔は要に拓也を預けた。
「そいつを例の場所に」
 短く言い捨てた高魔に頷くと、要は肩に拓也を抱えて右側の入り口へと進んで行った。高魔はその後ろ姿が消えるのを見届けてから、自分は中央に続く廊下を歩いていく。
 石柱から飛び出して秋は戸惑う。中央と右側の入り口を見比べる。
(例の場所っていうのも興味があるけど……。)
 右側の方に未練を残しながらも、秋は高魔の後を追うことに決めた。


 廊下を抜けると、ひとつの広間にたどり着いた。
 高魔は恭しく床に膝を着き、頭を垂れる。
「樹鎖さま、花連さま。ただいま、戻りました」
 視線の先で、炎に照らされた玉座が浮かびあがる。そこには一組の美しい男女が腰掛けていた。
 まさか、と。秋は思わず息を呑んだ。
 基本的に高魔は、黒い髪と黒い瞳である。色が違えるときは、分身を使っているときで、その場合は目が赤くなるだけだ。けれど、目の前の『魔』は黒い目はしているが、その髪は雪のように白い色と、藤の花のような濃い紫の色をしていた。色彩をもつ『魔』。
 秋は教本に書いてあったことを思い出す。
(統貴一族 ―――― ?)
 身の内に起こる動揺を何とか押し殺して、秋は更に様子を伺う。

 藤色の髪が肩まである、男性らしき魔が口を開くところだった。
「随分と早かったな……」
 ざわり、と秋はその声色に鳥肌が立つのを感じる。
 何回会って聞いていても、高魔の美声に聞き慣れることはない。
「はい。ひとまず捕まえていた付き人の、使い人だけを連れてきましたから。後は、私の影に任せてきました」
 丁寧に礼をとって答える高魔に向かって、雪のように白い髪を床まで垂らしている女性が、隣にいる男性にしなだれかかるような仕草をしながら、言葉を放つ。

「そうね。使い人とは言っても、所詮。私たちに敵うものではないわ」
「御意。ただ、影ではやはり些かの不安がありましたので、使いものになりそうな使い人を二組ほどお借り致しました」
 女性の肩に乗せていた右手を解いて、男性は自分の顎にかけると訝るように声をかけた。
「不安? 影とはいえ、お前の力の半分ほどももっているのだぞ。心配するほどか?」
 問いかけるような視線に、高魔は逸らすことなく見返して、頷いた。
「しかしながら、私はまだ未熟。影を作る術がうまくいかずに、女性の性をもってしまいます。性格もまた異なり。全てが私と同じでない以上は、不安になるのも仕方なきことかと」

 魔の習性だ、と秋は思った。
 自分以上の力を持つもの。或いは自らが作り出した影、と呼ばれる自分とまったく同じ存在のもの。主従関係は別として。その二つしか、魔は仲間意識を持とうとしない。また、今いる二人のように。互いの力が合うか、それを高められるような存在を恋人にする場合が多く認められている。
 いつだったか、香穂に「高魔」についてそう教えられた。

 「これは、当たり前のことを聞いてしまったな」
 フッ、と男性が笑い出すと、同意するように頷いて女性も笑みを零した。細い腕を男性の首に巻きつけながら。それを受け止めて、更に男性は言葉を続けた。
「それで首尾はどうだ? 精霊使いたちは集まったのか?」
「現在、20組ほど。全て優秀な使い人ばかりです」
 返った答えに、秋は息を呑んだ。
(そんなにいるんだ……。)
 思わずため息が零れる。途端 ――― 、

「だれだっ?!」

 一瞬の気の緩み。
 鋭くその気配を掴んだ高魔が秋の隠れている場所に向かって叫んだ。

 突き刺すような視線が向けられて、秋は(しまった!)、と我に返った。すぐに気配を消したところで、感づかれた以上は余計に怪しまれるだけ。出て行くべきか迷っていると、秋の横を通り過ぎて一匹の黒猫が高魔たちの方向へ歩き出て行った。

「沙野(さや)? 珍しいね、こんなところに。どうしたんだ?」
 厳しい顔つきで睨んでいた男性は、猫に気づくと柔らかい表情になって問いかけた。見れば、女性も高魔も同じような表情を浮かべている。
 「沙野」と呼ばれた黒猫は、スタスタと玉座にいる男性の側まで行くと、その膝の上に飛び乗った。

「あのお方はどうしていらっしゃるの? 最近、お顔を拝見していないから……」
 寂しそうに女性は、猫の頭を優しく撫でながら訊ねる。猫は答えずに、ただ気持ちよさそうにあくびをもらしていた。
「城の方も誰一人として出入り禁止。若君でさえ、会えないとか」
 眉を顰める男性の言葉にも、猫は我関せずと顔をそっぽ向ける。
 さっきの鋭い雰囲気が嘘だったかのようなその光景に、秋は戸惑った。

(秋、こっち。こっち)
 ふと、聞き慣れた声が脳裏に響いた。
】 【】 【