第一章 精霊使い

一、依頼(3)
 ひとりは50歳代で鼻の下には髭が生やされていた。白髪が部分的に見えるが、きっちりと整えられていて、着こなしたスーツが際立ち似合っている。身のこなしもそうだが、威厳も漂っていて、理事長だということが一目でわかった。
 隣には、20歳代の若い女性が立っていた。化粧をうっすらとしているのはわかるが、そうでなくても整った容姿をしている。髪はショートで活発な雰囲気が好奇心に輝いている瞳からも感じることができた。
 好奇心に輝く目つきと、どこか似たような雰囲気を発するふたりは、親子だと説明を受けた。

「あなた方の話しをしたら、ぜひ会いたいと言ってね」
 鹿島(かしま)治(おさむ)と名乗った理事長がそう言うと、彼女は手を差し出した。
「初めまして、鹿島美奈子です。よろしくね!」
 香穂は同じように手を差し出し、一瞬だけ握手を交わした。
「初めまして、新城 香穂です。それと、彼が私のパートナーである、」
「神風(かみかぜ) 秋といいます」
 挨拶をする秋をよそに、理事長が驚いたように声をあげた。
「失礼、 ――― その、」

 視線を注がれ、躊躇ったように言葉を濁す理事長にクスクスと笑みを零しながら美奈子が可笑しそうに口を開いた。

「ごめんなさいね、きっと父は貴方が女性だと思ったんだわ。とても可愛らしいから」
 歯に衣着せない物言いに、焦ったように理事長が娘の名前を呼んだ。
 隣で秋が不機嫌になるのを感じ取りながら、それでも感情を表に出さなくなっただけでも成長した証拠だと感心しつつ、香穂はそっけない口調で本題へと話しを切り出した。
「気にしないで下さい。それより早速、本題に入らせてほしいんですが」
 雑談する気配のない香穂に、けれど気分を害した雰囲気もなく、理事長は身を正した。
「そうでしたね。まず何からお話しをすれば良いでしょうか?」
「寮生に異変が見られるということでしたが、具体的にはどういうことですか?」

 その言葉に、理事長は頷き、深く考え込むように腕を組んで話し始めた。

「最近だがね、先生方から苦情が多くてね。聞けば『授業中に集中力がない』、『休みが多すぎる』、『貧血でたびたび倒れる生徒が多い』ということだった。他にもイロイロとあるみたいだが、詳しく調べてもらうと、挙がってくる名前が全て寮生なんだ。中には至極、真面目で優秀な生徒もいるから、ふざけて起こしているとは思えない。それに妙なこともあってね」
 そこで一度、理事長は間を置いた。

「妙なこと?」
 香穂が促すと、テーブルの上に置いてあった封筒を差し出した。秋が開けると、数枚の写真がでてくる。どれも後ろの首筋を写したもので、よく見ると、そこには赤黒く変色した二つの点があった。

「名前の挙がった者たちに健康診断を受けさせたんだが、そこで医者が見つけたんだ。まるで、吸血鬼の跡のようなそれをね」
「やめてよ、お父様。今の時代にそんなものいるわけないでしょ!」
 眉根を寄せて美奈子が非難の声をあげる。理事長は難しい顔を見せた。自分もそうは思っているが、だけど目の前に突きつけられている事実もあると思っていることが、複雑な表情から読み取れる。

「 ―――― 話しはそれだけですか?」
 ふと、鋭い含みを持たせて香穂が訊く。ぎくりと理事長と美奈子の顔が強張ったのがわかった。

「香穂?」
 訝るように秋が名前を呼ぶ。けれど、香穂はそれには応えずに理事長の目を見たまま、続ける。

「確かここ最近ですが、この高校で死亡者が3人出ていますね。衰弱死とされていますが ―― 、彼女たちにも首筋に2本の牙の跡がありましたよね」
 一瞬、戸惑ったように理事長と美奈子が視線を交し合った。だがすぐに理事長は頷くと、ため息混じりに言う。その顔には疲労が見え隠れしていた。
「流石だね。その通りだよ……。圧力をかけてこの高校の名前は出さないようにしていたんだが」
 言いにくそうに顔を伏せる。低くなった口調が、そのときの心労を思わせるようだった。

 預かっている生徒を喪った悲しみが伝わってくる。
「あのときは ――― 、一週間おきに3人が次々と亡くなってね。彼女らも寮生だった」
「そのときの様子を教えて下さい」

「様子、と言ってもわからないがね。ただ、彼女たちは亡くなる数日前に旅行に出かけたらしい。それから寮に戻ってきて、数日は普通に生活してたみたいだが、急に来なくなったと思ったら、寮の部屋でまずひとりが死体で見つかった。その1週間後にひとり、さらにもう一人。共通していることは2本の牙のような跡と、原因が衰弱死ということだった。……警察もイロイロと調べたらしいが、詳しいことは何もわからなかったらしい」
 残念そうに理事長は首を横に振った。

 現実的である警察が2本の牙のような跡に興味を持つわけがなく、まして原因が衰弱死という事件にどこまで真剣に関わるか想像できないでもない。犯人がいるとさえ思っていないだろう。加えて鹿島の圧力がかかり、だからこそ、あまり大きい事件として扱われなかったことが香穂には容易にわかった。

 香穂は考え込むように天井を見上げた。何かを見透かすように、瞳を細める。けれどそれも一瞬だけで、疑問の声をかけられる前に、視線を理事長に戻して口を開いた。
「……そうですね。とりあえず校舎内と寮の中を自由に動ける許可を下さい。高校の下見に来ているということにでもして下されば良いですから」
 それは依頼を承諾すると言うことで、理事長の瞳が安堵したように柔らかい光を浮かべた。
「わかったよ、ありがとう」
「お礼なら、解決してからで。あと報酬のほうは秋に話しを通して下さいね」
 事務的な言葉で告げてから、香穂はソファから立ち上がると早々に理事長室を後にした。


 後ろをついてきながら秋が、不満そうな声で言う。
「よく知ってたね」
「なにを?」
 何を聞きたいのかわかっていながら、振り向いて問い返す。
「この高校で3人が亡くなってたことだよ」
「新聞を見てたらたまたま、小さく記事に書かれてあったの。衰弱死なんて原因で亡くなるなんてって、興味を持ったから、ほんの少し調べてただけ」
 小さく肩を竦めて言うと、「ひとりで?」と嫌味のこもった口調で訊かれる。
 この場合はどうして話してくれなかったのか、という含みがあった。
(秋は拗ねるとしつこいからなぁ……。)
 そんなことを思っていると、見透かすように秋が言う。

「いま何を考えてたか当ててあげようか?」
「え?」

 不意の話題転換に聞き返すと、探るような視線と合う。
「秋は拗ねるとしつこい、とか考えてなかった?」
 慌てて首を横に振る。
「うっ、ううん。まさかっ!」
 即座に否定しながら、普段はそれほどでもないのに時々鋭くなる秋の勘に動揺が走った。秋は疑うような視線を向けていたけれど、すぐにため息をつく。
「まぁ、いいけど……。あんまり一人で無茶しないでよ。何のために僕がいるのかわからない」
 優しい口調と視線に心配してくれてることがわかって、香穂は嬉しさがこみ上げてくるのがわかった。秋の腕に自分の腕を絡めながら、香穂は頷く。
「わかってる。約束するから」
 微笑みを向けて言うと、秋も嬉しそうに笑みを浮かべた。

(香穂さまの約束ほどあてにならない気もしますけどね。)
 すかさず、砂霧の声が香穂の頭の中に響く。香穂は笑顔のままで、同じように声を返した。
(いいのよ、約束なんてあてにするほうが悪いんだから。それより、見つけた?)
(送られてきた視線を辿ってみましたが、気配があやふやではっきりしたことはわかりませんでした。ただ、だいたいどの辺からかということは ――― )
 校舎を出たところで、不意に香穂は気配を感じ取った。
(うん、それでいいよ。でも聞くのは帰ってからね。邪魔な人が来たみたい)
 その言葉を最後に砂霧との会話を打ち切る。同時に秋の腕に絡めていた腕を外す。

 後ろから二人の名前を呼びながら、先ほど紹介された理事長の娘である美奈子が駆け寄ってくるのが見えた。

「ねっ、ちょっと待って。私も行っていい?」
 突然の申し込みに秋が戸惑ったように応える。
「えっ? どっ、どこに?!」
 美奈子は秋の腕に自らの腕を絡ませた。秋の頬が赤らむ。動揺が手に取るようにわかったけれど、香穂は素知らぬ顔で視線をそむけていた。
「新城家よ、新城家。一度でいいから私、あの大きな屋敷に入ってみたかったのよね! いいでしょ?」
 お願い、と頼み込む美奈子に、さっきまでの戸惑いを消して、秋はきっぱりと首を横に振った。
「それは……、無理です。新城家にそう簡単に他人を入れるわけにはいけませんから」
 依頼人でさえ形式を踏んで訪れるようになっている。
 その答えに、美奈子は頬を膨らませた。秋はやんわりとした動作で腕を解く。
「そう。ならこれだけでも聞かせて。精霊使いって4つに分かれてるのよね? あなたたちは何使い?」
 一般人にしてはよく知っている、と感心したような視線を秋が向ける。
 当主の親友の娘なら当然かもしれないけれど。それでも付き合いたくはないタイプだ、と香穂は思った。

「僕たちは ――― というよりも、新城家は風使いですよ」
 嬉しそうに美奈子が感嘆に声をあげる。
「わっ! 見てみたいっ! なにかやってくれない?!」
 見世物じゃないんだから、と香穂は呆れた。
 ここは逃げ出すのが一番だと察して、香穂は秋の手を握ると美奈子を置いて走り出した。追いかけてくる気配があるのはわかったが、正門を左に曲がり一気に空間を渡った。

 「な、なんなの。いきなり走り出して ――― って、えっ??!」
 漸く正門まで着いた美奈子は左右を見てもどこにもいない二人に目を見張り、ただ呆然とそこに立ち尽くしていた。
 「あの二人どこに行ったの……?」

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