第二章 高魔の玩具

四、藤花(2)
「やっぱり、かっこいいわね。そう、思わない?」
 同意を求めるように、香穂は笑顔を広げて相手を見る。目の前には大きな鏡があり、そこには戦う秋と高魔の姿が映し出されていた。
「それはそうだわ。彼はいつでもかっこよろしくてよ」
 余裕の響きで、映し出されている高魔を見ながら白い髪の女性が答えた。

(よろしくてよ、ね……。)
 嘲るように女性の言葉を心の中で繰り返して、香穂は言う。
「……面白いことを教えてあげるけど、彼 ―― 秋は付き人よ。私の、ね」
 高魔はそこで初めて動揺を見せた。食い入るように鏡に映る秋の顔を見る。
 香穂は小さく肩を竦めた。
「あんまり見つめないでね。惚れられると困るし」
 冗談とも本気とも思えない表情を香穂が見せると、高魔はフン、と鼻で笑う。それこそ冗談ではないわ、と吐き捨てる。
「私が虫けらに惚れるわけないでしょう。確かに力は感じるけれど、所詮はあの方に勝てるほどのものではないわ。ご覧になればわかることよ。力の差は歴然としてるでしょう」
 鏡の中では、秋と藤色の髪の高魔が攻防を続けていた。
 確かに少しづつ、秋が追い詰められていく姿は香穂の目にも明らかに見てとれる。普通の高魔なら秋が負けることはない。それだけの力も、戦う術もすでに身につけている。だけど、違う。
(そろそろ秋も気づくかな……。)
 色に染められた高魔の力の大きさを。そうして、力を高め合える相手を持つ、高魔の気の強さを。統貴一族の者には劣るものの、それでも色彩をもつ高魔は次の地位くらいにはある。
―――― 今の秋では、勝てない。

「そうね。今のままでは勝てないね。でも、そう ――― 」
 鏡に映る秋から視線を外し、次の言葉を待つ高魔に向けて、にっこりと笑顔を作った。
「あなたを倒せば、彼の力も落ちるわね」
 香穂が言いきった瞬間、周囲に高笑いが響いた。

「本気で仰っているのかしら。精霊使いとはいえ、高魔には虫けらも同然。まして私とあの人は高魔でありながらそれ以上の力を持っているのよ。虫けらがそんなことできると思ってっ?!」

 眉を顰め、苛立ったような表情を浮かべて、高魔は香穂を詰った。
 ふい、と香穂は手を振った。ゆらり、と鏡が空間に解けるように消える。
「思ってるよ。そう ―― 、五分後に消えているのはあなたでしょうね」
 さらりと言い返すと、香穂は抑えていた敵意を解放する。同時に白い髪の高魔も攻撃を仕掛けた。いくつもの白い焔が、香穂を目掛けて飛び掛る。だが、それらは香穂に当たる寸前で方向を変えて高魔を狙う。

「 ――――― っ?!」
 発したはずの気が自らに襲い掛かってくることに、高魔は目を瞠った。慌てて片手をかざす。けれど焔は作り出した主人に逆らって、消えずに襲い掛かってくる。
 混乱しつつも、高魔は結界を張ってそれを止めた。ようやく焔は結界に阻まれて消える。

「それだけの力しかもってないの?」
 呆れたように香穂が言う。
「どうせ戦うなら、本気を出して欲しいんだけど」
 そうでないと、弱いもの苛めになっちゃうでしょ、と香穂は冷笑をその美貌に浮かべる。
 急激に二人を包み込む空気が冷ややかになる。
「まずはあなたの力を知りたかっただけだわ。たかがあんな攻撃をかわせたからって、いい気にならないことね!」
 勝ち気な口調でそう言いながらも、その表情が悔しげに歪んだ一瞬を香穂は見逃さなかった。それでもすぐに高魔は余裕を取り戻す。ひんやりと、冷たい風が間を吹き抜けていく。
 白く綺麗な手をかがけて、高魔はゆっくりと真っ赤に染まる唇を開いた。

「感謝しなさい。私の術を虫けらごときに使ってあげるんだから。後悔するのね。私に向かって放った数々の無礼をっ!」
 不意に白い膜のようなものが、香穂の周囲にできる。
(なに ―――― ?!)
 香穂が目を凝らして見ると、それは細やかな白い粉雪だった。雪の膜は香穂が動く前に一瞬の素早い動きで包む込む。

「 ―――― っ!!」
 香穂がどんなに身を捩って抗っても、顔や身体中に纏わりつく雪は離れない。

「その雪の膜は中にいるものを完全に凍らせてしまうまで、決して消えたりしないわ」
 高魔の勝利に酔いしれた笑いが響く。
 何とか雪を剥がそうと暴れる香穂をよそに、高魔は更に続けて言う。
「虫けらの分際で私に勝とうなんて思うからだわ。虫けららしく、地面に這いつくばってればよろしかったのよ」
 白い膜に包まれたまま地面に叩きつけられて、這いつくばりもがく香穂を愉しそうに見つめる高魔は、赤い唇の端をスッと引き上げて笑みを刻んだ。
「窒息するのが先かしら? それとも凍るまでもつかしら?」
 残酷な言葉を吐いて、高魔は喜悦に目を煌かせる。
 だが次の瞬間、信じられないものを見るような驚異に染まった表情へと、その顔つきが変わった。

「あなたが死ぬ方が先でしょうね」
 呆れた響きを含んだ声で、余裕に満ちた言葉が高魔にかけられる。
「なん…っ?!」
 声がする方を振り返って、高魔は言葉を失う。
 地面で確かに雪に覆われて今ももがいているはずの香穂が、そこに立っていた。
 同じように宙に浮かび、目線を合わせている少女と、地面で白い膜に包まれているものへ高魔は交互に視線を向けた。

「さてと。遊びはここまでよ。早くしないと陽が明けるからね」
「あっ、……あなた何者なの?! ただの精霊使いなわけがないっ!」
 焦ったように声をあげるた高魔に、見ていた香穂の雰囲気ががらりと変わる。まるで、空気が凍り付いてしまったように。ぴん、と張り詰めた緊張感が漂う、その中で香穂はゆっくりと言葉を紡いでいく。

「随分と余計な真似をしてくれたよね。おかげで私まで危険な賭けをする羽目に陥ったのよ。どうしてくれるの、花連」

 高魔はハッ、と息を吸った。
 花連、その真名を知る人間などいるはずがない。まして、知っていてもそう呼び捨てにできる『魔』など限られている。
 そう悟った瞬間、花連と呼ばれた高魔の表情は凍りついた。

「ど、どうし……?」
 上手く言葉を紡げない花連に変わって、フッと小さく笑みを零して香穂が言う。
「どうして虫けらがあなたの真名を知っているか、でしょう?」
 花連がごくりと唾を飲み込む音が響く。
「いちいち教えなくても。あなたは、もうわかってる。そしてきっと、それが正解」
 一言一言に含みを込めて、香穂はにっこりと笑顔で答える。極上の微笑みで。

 花連はその笑顔にある少女の面影を見た。愕然となる。
(そんなことあるはずないのに……。あってはいけないはずなのにっ。)
 髪も瞳の色も違う。顔の造作だって、似せようとしても似つかない。けれど、この無邪気そのものの笑顔。華やかな、雰囲気。それは自分たちが尊敬と絶対の服従を誓っている少女が身に纏うもの。他にそれらを持つ存在など、知らない。いるはずがない。

「まっ、まさか……」
「もう五分は経ったしね。終わりにしよう」
 香穂は周囲に、聖なる力をもった風を集める。
「………っ?!」
 花連が次の言葉を紡ぐその前に、香穂は容赦なくその風を叩きつける。放出された風は渦巻いて、花連をその悲鳴とともに散らしていった。

 風が収まったとき、そこには意識を秋のほうに向ける香穂だけが残されていた。


 ごふっ、咳とともに、赤黒い血の混ざったものが吐き出される。
「もう終わりか?」
 揺れる視界に高魔の足先が入った。

 それでようやく、秋は自分が地面に倒れていることを自覚する。身体中に走る痛み。恐らく、血だらけであることも容易に想像がつく。立つ気力さえない。
(これが本当の高魔の能力……。)
 改めて実感させられる。それでも秋は絶望を抱くことはない自分に不思議な想いを抱いていた。

「まあ、遊び相手程度には楽しませてもらったよ。だが、」
 そろそろ終わりだ。

 高魔は藤色に髪をなびかせ、秋を見下ろす。右手には紫の気を纏う剣が握られていた。
「楽しませてもらった礼に、ラクに殺してやるよ」
 剣先が振り上げられる。
 秋は目を閉じた。息を呑む。
( ―――― 香穂ッ!)
 心の中で、秋がそう叫んだ瞬間。

「なっ…なに?!」
 高魔が驚きに声をあげる。
 振りあげたその剣を降ろすことはできなかった。滑るように剣は高魔の右手から落ちて、地面に吸い込まれるように消える。
 秋は異変を感じて目を開けた。

「うっ、、うぅ……っ」
 急に苦しみだしたように高魔はその場に蹲った。
 訝るように秋はその光景を見ながら、ゆっくりと立ち上がる。ふと、脳裏に声が響いた。

(秋っ、その高魔から離れてっ!)

 「香穂っ?!」

 聞き慣れた声に驚く。
 それでも彼女に言われた通り、苦しみに呻き蹲る高魔から距離をとった。同時に秋は傷が癒され、力が戻っていることに気づいた。痛みもない。
(今から彼は普通の高魔に戻るから。怒りで我を忘れるかもしれないけど、秋が全力でぶつかって勝てない相手じゃない。だから、頑張って!)
 そう告げる香穂の言葉とともに、その気配は消えかける。慌てて秋は呼び止めた。

(なに?)
 不思議そうな声が返る。
(…………ありがとう。)
 秋は心をこめて伝えた。
 言葉はなかったけれど、嬉しそうに喜ぶ香穂の気配は十分に秋には感じられた。すぐに気配は消えてしまう。

「なんということだ……」
 先ほどまで鮮やかに色づいていた高魔の色素は欠片もなく、抜けていた。藤色の髪も、目も。ただの黒色に変わっている。
「私の力が…、偉大なる力がっ?!」
 絶望に満ちた声で高魔は叫ぶ。
 対照的に秋は静かに声をかけた。
「あなたの負けだ。大人しく浄化させてもらう」
 秋の右手に光り輝く剣が現れる。しっかりと柄を握って、かまえた。

「くっ、くく……っ」
 不意に高魔の口から笑い声がもれる。瞳には狂気が浮かんでいた。
「私を滅ぼす? おまえが…たかが人間でしかないおまえが私を滅ぼすだと?」
 闇の中を高魔の声が高らかに響き渡る。
 秋はぎゅっ、と柄を握り締めた。

「……私が選んだ半身があっさり人間などに滅ぼされてしまうとは思いもしなかったよ。しかし、」
 高魔は、鋭い光をその目に宿らせて秋を見る。
「力が半減したからといって、貴様のような人間に私が滅ぼせると思っているのか!」
 高魔を取り囲む空気が秋を威圧する。
 押し潰されそうになる感覚を受けながら、そのなかで秋は自らの力を剣へと溜めるために集中する。
 次第に大きく膨らんでいくふたつの“気”が反発し合い、周囲に大きな風が巻き起こった。


 光放つ剣先が、その胸を貫いていた。
「こっ…こんなばかなっ!」
 がくり、と。高魔は崩れ落ち、膝を突く。
「 ―――― っ!」
 最後に悲鳴のような声を漏らして、高魔はその姿を砂と化し、滅んだ。
 その場に残った剣を秋は拾い上げる。

 「花連」 ―― 、最後に高魔が残した言葉は確かに秋の耳に届いていた。
 彼の半身の名前が同じものだったことを思い出す。
 そう名前を呼ぶ声には、秋が香穂を呼ぶときのように愛情が込められていたような気がするのは、思い込みだろうか。
 秋の胸に言葉にはできない想いが浮かぶ。
(本当に打算だけで、半身を選ぶのか……?)
 『魔』に愛はわからない。
 それは精霊使いには暗黙の了解としてある。勿論、『魔』自身もそう言って憚らない。
 混乱する思いを胸に抱く秋に、風が優しく吹きかけた。


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