全ての事情を秋から聞き終えた佳人は、ほぅ…っと長く息をついた。
導き出される答えは、確かに秋と同じもの。
(―――― 香穂が「魔」であるということか。)
それでも、心の何かが引っ掛かる。何かは今まだはっきりと口には出せないものの、そう割り切ってしまうことは佳人にはできなかった。だから、佳人は不安そうに瞳を揺らしている秋の目をまっすぐ見返して口を開いた。
「だが、香穂の口からはっきりと聞くまでは私は信じない」
例えば、それが事実だったとしても。ともに育ってきた17年間。香穂は危害を加えることはなかった。この新城家の精霊使いとして、人間を守ってきたというのも事実だ。そこにどんな想いがあったかはわからない。わからないにしても ―― ただ、香穂が「魔」だったと理由で、裏切り者だと罵ることがどうしてできるだろう。守られて、ともに過ごして幸せを感じてきた自分たちに ―― 少なくともそんな権利はない。
「……そうですね」
ため息混じりに秋が頷いた。香穂を信じよう、そう頭では理解していても、それでも心は誰かにそう言って欲しかった。そんな口調だった。
その様子に佳人は安堵するものを覚えて、自然と表情が和らいだ。
「まあ、とりあえず父さんたちに連絡を取ってみるか……」
佳人がそう言って立ち上がった瞬間、不意に秋が緊張した表情を浮かべる。
(誰かいますっ!)
風の精霊がざわり、と秋の声を音もなく伝える。
閉じられている障子の向こうに確かに気配を感じる。佳人も頷いた。さっ、と隙のない動きで立ち上がった秋は、障子を一気に開いた。
「だれだっ?!」
――― にゃあ。
予想に反して、その場にいたのは一匹の猫だった。艶やかな毛並みの、黒猫。
「……猫?」
気が抜けたように、秋は呆然と呟く。とてもそうとは思えない気配だった。
唐突に現れた黒猫に、佳人も眉を顰める。そんな二人をよそに、黒猫は身軽な動作で秋の足元まで近寄ると、甘えるように頭をこすり付けた。
「どっからきたんだろう?」
不思議そうに言いながら、秋は黒猫を抱き上げた。
「迷い込んできたんじゃないか」
猫一匹に緊張したことを呆れながら、半ば投げ遣りにそう答えて、佳人は玄関へと足を向けた。
「仕事がまだ残ってたんだ。片付けてからまた来るから、何かあったらマンションに連絡くれ」
―――― 香穂が帰ってきたら。
佳人の飲み込んだ言葉を受け止めて、秋は頷いた。
(……今は待つしかできない。)
佳人を見送ると、秋は黒猫を抱いたまま部屋に戻った。
ベットに腰掛けて、膝の上で気持ちよさそうにしている黒猫に話しかける。
「おまえ、どっかで見たことがあると思ったら、前に僕を助けてくれた猫だろう?」
以前、精霊使いの誘拐事件が起こったとき。高魔の後をつけてミスをした秋を救ってくれた猫だった。
「何しにここにきたんだ?」
そう問いかけながら、秋は一縷の望みをもっていた。
(もしかしたら香穂の居場所を教えに ――― ?)
だが、期待に満ちた目で見ていても、黒猫は退屈そうにあくびをするだけ。秋の膝の上から一歩として動こうとはせず、動く気配も見せなかった。
「やっぱり、ダメか……」
ため息をついて、天井を仰ぐ。
どこにも ――― 。香穂の気配を感じ取れないことが寂しくて。苦しくて。いつも傍にあった香穂の気配がどこにもなく。触れられないのは出会ってから初めてのことで、少しづつ、秋は息苦しくなっていくのを感じていた。
(会いたいよ……。香穂……。)
たとえ、香穂が「魔」だったとしても。
少なくとも、秋の傍にいたのは「香穂」という1人の少女で。あの全てが嘘だったとは思えない。
――― 信じるから。傍に戻ってきて。
どうか……。無事で……。