……眠ってたか。
ぼやける目をこすりながら、秋は枕から顔を上げた。
香穂が姿を消してから、ろくに眠れなかったのに、猫を抱いているうちに気分が良くなってつい ―― って、あれ。
「ネコ……?」
抱いていたはずの黒猫の姿が消えていた。
「お ―― いっ!」
とりあえず呼んでみる。部屋の中を見回してみても、猫の気配ひとつしなかった。
いないか……。
ため息を零して、立ち上がり部屋を出る。廊下を歩きながら猫を探していると、木村さんが通りかかった。
「黒い猫を見かけませんでしたか?」
「さあ……。見かけていませんが……」
有難う、とお礼を言ってまた猫を探しに歩き始める。
(おかしいなぁ……。どこに行っちゃったんだろう?)
精霊に聞いても、反応はなかった。
屋敷の中にもいない……となると、外かな。
靴を履いて、玄関を出る。
「おーい、クロ? シロ? 猫 ―― っ!」
名前がないのは不便だな、とため息をつきながら、屋敷の門まで歩いてきたとき突然、精霊たちが騒ぎだした。
(なに ――― っ?!)
そう思ったのは一瞬。気づいたときには駆け出していた。
「香穂っ?!」
門の近くの屋敷を囲む壁に、香穂が寄りかかって立っていた。
駆け寄る秋の気配に気づかないのか、香穂は目を閉じたまま、苦しそうに眉を顰めていた。
「……香穂?」
ゆっくりと近づいて、久しぶりに見る香穂の姿に、夢でないことを祈りながらもう一度、名前を呼ぶ。
香穂の肩がびくり、と揺れた。閉じていた瞼から黒い目が覗く。
「……しゅ……しゅう……?」
唇が震えながら、そう刻んだ。その瞬間、がくりと香穂の身体が崩れ落ちた。
「香穂っ?! ……香穂っ? 香穂!」
地面に落ちる前に抱きとめる。慌てて支えて、腕の中の香穂の顔を見下ろした。息を苦しそうに吐いていて、肌にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「香穂っ、大丈夫?!」
何度呼びかけても、返事はなかった。
意識がない香穂に不安を覚えながら、秋は額に手を当てる。火傷するような熱を感じた。急いで抱き上げて、屋敷の中に戻る。玄関まで戻るのが面倒で、庭越しに縁側へ向かう。
「木村さんっ! 香穂が帰ってきましたっ! 熱があるんだ!」
「香穂さまがっ?! わかりました……。とりあえずお部屋へ……っ」
秋の叫び声に、何事かと姿を見せた木村さんは流石に長年、新城家に仕えているだけあって、頼りになり、状況をさっと読み取り指示を出していく。
「氷枕と、水。後はお医者様もお呼びしてっ!」
てきぱきと侍女たちに指示を出すと、木村さんは香穂の部屋に入り、箪笥から着替えのパジャマを取り出す。
香穂をベットに寝かせて、心配そうに見ている秋を「着替えさせるから」と、追い出した。
仕方なく秋は部屋の前をうろうろと歩く。次の瞬間、香穂の悲鳴が響いた。
「いやぁ ――――――― っ!!!!!」
慌てて部屋の中に入ると、今にも香穂の身体から‘力’が放出されようとしていた。力’を浴びてしまえば、木村さんは一瞬で消えてしまうだろう。
「香穂っ?!」
急いで傍に行き、香穂の手を握る。
「秋……秋……。傍に……傍に、いて……」
うわ言のように香穂は繰り返す。秋は頷いて、繋いだ手に力をこめる。
「いるよ、ここにいる。ちゃんといるからっ」
秋がしっかりとした声で言うと、ふっと‘力’の痕跡は消えた。ほっと胸を撫で下ろして、秋は心配そうに見ている木村さんを振り向いた。
「木村さん、僕は目を閉じていますから」
――― 今は香穂の傍を離れるわけにはいかない。
木村さんもそれを感じたのか、頷いて香穂の着替えを始めた。
その後、医者に診てもらったが、原因は不明で。ただ熱冷ましの薬を置いて帰ってしまった。だが、香穂の熱は下がることなく、一週間が過ぎようとしている。
「……秋さま。少しお休みください。私が代わりますから」
木村さんに声をかけられたが、秋は首を横に振り断る。
「ですが、もう6日もろくに睡眠をとっていませんでしょう。秋さまの身体までがまいってしまいます」
「でも……。香穂は僕以外の人が傍にいると‘力’を行使して排除しようとするんだ」
秋の言葉に、木村さんもそれ以上なにも言うことができなくなった。
確かにその通りだ。寝込んでいる香穂のお世話をするのなら、秋に傍にいてもらわないと、香穂の‘力’に襲われてしまう。
木村さんは困ったように眉を顰める。わかっている。わかってはいても、言わずにはいられないほど秋は憔悴しきっていた。
「……では、何かあったら呼んで下さいませ。約束ですよ」
仕方なくそれだけを言い置いて、秋が頷くのを確認してから香穂の部屋を出る。
ドアの傍に佳人が立っていることに気づいて、木村さんはため息をつき、首を横に振った。
「そうか……」
佳人は一言そう呟くと、木村さんの後に続いて香穂の部屋から離れた。