第五章 涙花の代償

三、戦闘(2)
 秋は城の中を砂霧に連れられて歩いていた。
 クリスタルが埋め込まれている廊下や壁は、まるで鏡のように姿を反射させる。一面に映し出される自分の姿を秋は不思議そうに見ていた。
 それに気づいて、ふっと砂霧は思い出したように言う。
「……そういえば、この城は香穂さまが幼い頃に作られたんですが、そのときにぽつりと呟いていました。“ここにいるときは一人じゃなくなる”と」

 どんなに多くの「魔」に傅かれていても、香穂にしてみれば一人ぼっちと変わりがなかった。誰も香穂を見ようとはしなかった。次期、“統貴”としてしか。ただひとつの慰めが、無数に映るクリスタルの中の、自分の姿。

 秋は溢れてくる切なさに、胸が詰まった。
「……香穂って寂しがりやだからね」
 ずっと傍にいたからわかる。ひとりが好きだといいながら、甘えてくるところも。傍にいれば必ず、存在を確かめるように ―― ぬくもりを求めるように、触れてくるところも。とても、愛しいと思った。
「本人の前で言ったらきっと、『そんなことないっ!』と怒るでしょうけれど」
 砂霧が笑って言う。
 その姿は容易に思い浮かんで、秋も苦笑を零した。

 廊下をしばらく進むうちに、ひとつの扉の前に着いた。砂霧は真剣な顔で秋を振り向く。
「この向こうにいらっしゃいます。心配されなくても、どうせ私がこの城に貴方を連れてきたときから、気づいてはいるんですよ。知らないフリをしていますが……後はお任せします」
 一方的にそう言い置いて、砂霧は姿を消した。

 ひとり残された秋は、小さく息をつく。
 ようやく、たどり着いた場所 ――― 。

<……香穂は本気であなたと戦うつもりよ>

 母親のあの言葉が、思い浮かぶ。
 だけど、それを恐れて逃げてしまったら、ここまで来た意味がなくなる。それはできない。
 秋は大きく深呼吸を繰り返し、やがて心を決めると意を決して、その扉をゆっくりと押し開けた。


 扉の開く音を聞いて、香穂は目の前に現していた鏡を消し、呟いた。
「やっぱり、来ちゃったか……」
 視線を向けなくても、そこに立っているのが誰かはわかる。
 懐かしい空気 ―― 。ずっと焦がれていた、気配。存在。間近に感じてしまえば、胸が震えるのを抑えることはできない。
 香穂は闇に支配された部屋の中に入り込んできた存在をじっと、見つめた。

 パタン、と扉が閉まると同時に、ぼやけるような淡い灯りが部屋の中に広がり始めた。台座に立つ香穂の姿を照らし出す。
「香穂……」
 秋はまっすぐに自分を見つめてくる香穂の姿に小さなため息を零した。
 久しぶりに見るその姿は、あまりにも懐かしく ―― だけど、言葉にならないほどの美しさが秋を圧倒する。溢れてくる想いに、泣きそうになる。

 優しくて懐かしいその呼びかけに、香穂も涙が流れないよう、一度だけ瞼を伏せた。すぐに見上げてくる秋に視線を向けて、台座に続いている階段を降りていく。近づくほどに、秋の姿がぼろぼろだと気づいた。
 シャツは避けてズボンは破れて、数ある傷からは血が流れ出しているのが見える。
(砂霧のやつ……。ついでに治せばよかったのに……。)
 そう思いながら、駆け寄りたい衝動を抑えるために、香穂は両手を握り締めた。

「話しを聞いてほしいんだ ――― 」
 秋と同じ位置まで降りた香穂は、そう話し出す秋の言葉を黙って聞いていた。

 「僕は君を愛してるっ! 君が「魔」でも人間でも関係ないっ!」

 部屋の中に、秋の声が響き渡る。真剣で、ひたむきな想い ――― 。

 だが、香穂はその言葉に大きくため息をついた。
「……まだ、そんなことを言ってるの?」
 冷笑を浮かべて言う。
 まっすぐで強い光を浮かべていた秋の瞳が不安に揺れるのを見ながら、香穂は軽蔑の眼差しを投げかけた。
「香穂?」
「私は言ったはずだけど。あなたとは敵同士だって。次に会うときは戦うってね」
 香穂はそうきっぱりと言い切った。
「っ……?!」
 言葉に詰まった秋は呆然と香穂を見つめる。それに構わず、香穂はふっと両手に意識を集中させた。闇が集まり、剣の形を作り出す。その剣の柄を構えるようにもって、立ち尽くす秋を見据えた。

「行くわよ、秋っ!」
 まっすぐに立ち向かってくる香穂を、それでもまだ信じられない思いで秋は見ていた。
「香穂っ?!」
 身の上に躊躇いなく振りかざされる刃を、秋は飛び退いて避ける。だが、すぐに次々と攻撃を突きつけられる。秋はなんとか、香穂と距離を作ろうとしたが、身一つで避けていくうちに、新しい傷が増えていった。

「僕は君とは戦えないっ!」

 傷を受け、ぼろぼろになりながら、秋は香穂との間に距離ができた隙をついて叫んだ。ギッ、と香穂が闇の剣を握りなおす。

「……本当にっ、」
「香穂……?」
 雰囲気が変わった香穂を訝るように、秋は呼んだ。香穂は真剣な顔で、まるで切羽詰ったような光を瞳に宿していた。
「秋が本当に私を愛しているというのなら、お願いだから戦って!」
 心に溜めていた想いをぶつけるかのように、香穂は言う。
「……香穂」
 ――― 理由はわからない。
 だが、こんなにも真剣な香穂の想いを無視することは秋にはできなかった。

 秋も意識を手の平に集中させる。光を模った剣が、現れた。
『本当に愛しているというのなら ――― 』
 もちろん、愛している。心から。それだけは誰にも譲れない、いちばん強い想いだ。
(僕と戦うこと ――― 。それが君の願いだと……、望みだというのなら)
 秋が剣を構える姿を見て、香穂は自らが持つ剣に力をこめる。

≪我が闇の力よ。香羅の名において命ずる。全ての力をここに ――― ≫
 その呪文とともに、香穂の持つ闇の全ての力が動き、剣に集結を始める。

 秋も乱れていた呼吸を整えて、握り締めている剣に力をこめた。
≪光の力よ。今ここに全ての力を集めたまえ≫
 秋の剣が眩しい輝きに包まれていった。

 闇と光の全ての力が、二人の剣に吸い込まれていく。
 香穂と秋は、全ての迷いを振り切るかのように、力が熟した瞬間、互いに向かって、その力の全てを放った。


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