第一章 精霊使い

二、透視(3)
 佳人たちが眺めている庭とは反対の、正門に近い場所に立っている大きな桜の木の下で、香穂は幹に手を当てて目を閉じていた。
 月明かりが優しく香穂の姿を包み込み、その様を他の誰かが見ていたとするなら、まるで月の女神のようだと。いや、その美しさを言葉にできずにただ、感嘆のため息をもらし、見惚れていたかもしれない。

 香穂はふと、眉を顰める。
「……余計なことを」
 不機嫌な雰囲気を感じ取って、砂霧が即座に反応した。
(なにか……、余計な映像でも入っていましたか?)

 常に香穂の望むものを与えることを喜びとしている砂霧にとって、少しのミスも自らに許していない。不満そうに呟かれた香穂の言葉は、予想外のものだった。
 それに気づいて、香穂は首を横に振る。

「風の精霊が、余計なことに秋たちの会話を運んできたから。まったく、よくあんな恥ずかしいこと照れもせず言葉にできるわね」
 そう言われて、(ああ ―― 。)と砂霧が納得したように応じた。
(先ほどの秋さまと佳人さまの会話のことでしたか。)
 ぴくり、と香穂の片眉が上がる。目を開けて、樹に寄り掛かると深いため息をついて、呆れたように言った。

「砂霧、映像をそこそこに、秋たちのところを透視してたわね」
 香穂の疑問というよりは断定するような言い方を、平然とした口調で砂霧は受け止める。
(たまたま聞こえてきたんですよ。ですが、秋さまは本当に香穂さまを愛してらっしゃるんですね。普通でしたらあのような言葉、照れて言えません。)

――― 私たちでさえ。

 砂霧が飲み込んだ最後の言葉は、けれど香穂には伝わった。
 苦笑を刻んで「そうね……」と頷く。
 見上げた視線の先には、闇夜に浮かぶ月と、満開の桜の花。花びらが夜風にひらひらと舞う。美しい風流な景色を見つめる香穂の瞳には何の感情も宿っていなかった。
 ただ、秋の言葉が胸に重くのしかかっていた。

 普通の女の子なら、あんなふうに言われたら嬉しくて舞い上がるものでしょうね……。もちろん、嬉しくないと言ったら嘘になる。だけど ――― 。
 ため息をつきそうになる香穂の気配を察したのか、砂霧が話題を変える。

(そういえば、香穂さま。映像のほうは途中でしたが、もうよろしいんですか?)
 さりげない気遣いに、香穂は思わず笑みを零す。気分を変えるように髪をかきあげて、頷いた。

「うん。確かに理事長室で鹿島氏と会話してたとき、霊魔の気が流れてたね」
 さっきまで香穂が目を閉じていたのは、砂霧の見ていた映像や感じたこと、記憶を視ていたからだ。香穂は以前に読んだ新聞の記事を思い出す。確か ――― 。
「亡くなった3人は一年生だったよね。霊魔の気が流れてきたのも、一年生の教室からだった」
 最初の3人以来、亡くなった人間がいないとするなら。『霊魔』が目覚めたきっかけがそこにあるかもしれない。

(私は3人が行ったという旅行について調べてきます。)
 砂霧の言葉に頷いて、香穂はふっと視界に入る月の姿に目を眇めた。
「この仕事はなるべく急ごう。春休みに入ったら、寮生は帰省するだろうしね。それに便乗して逃げられると困るから」
( ――― わかりました。では早速。)
 返事をしてすぐに、砂霧の気配が消えた。

 静けさが戻る。
 香穂は満天の星が輝く夜空を見上げ、寂しそうに微笑んだ。
「人間は自分が信じられないことを真実として受け止めなければならないとき、どういった反応をするのかな……?」
 答えの返らない小さな呟きを残して、香穂は屋敷の中へと戻って行った。

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