第一章 精霊使い

三、対峙(1)
 翌日 ――― 。
 早朝から香穂は朝食の席に座っていた。

 香穂と秋が通う学校は普通の学校より早い春休みに入っていたが、休みとはいっても毎日、太陽の光が昇ると同時に身支度を整えているのが二人の習慣だった。
 チェックのシャツに薄手のパールピンクのセーターを着て、ズボンは青のジーンズ。髪はシャツと同じチェックのリボンで結わいた香穂は、活発な印象を与えていた。

「秋さまと佳人さまは遅いですね」
 食事の用意をしていた侍女長の木村は、お膳を香穂の前に並べながら心配そうに口を開いた。
 40歳半ばで、新城家に勤めて20年。新城家のことは隅々まで知っていて、理解しているため、新城家の人間も彼女のことは家族のように慕っている。少しばかり太り気味の体系も、彼女の心優しく暖かい雰囲気を表していた。

「昨夜、遅かったからね。でも、もう来たみたい」
 香穂がそう答えると同時に障子がスッ、と開いた。

「おはよ、香穂」
 挨拶をしながら秋が入ってくる。秋の方も長袖のシャツに黒っぽいジーンズとカジュアルな着こなしで動きやすい服装をしていた。
「おはよう」
「おはようございます、秋さま。朝食はできておりますよ」
 香穂の後で、木村がにっこりと微笑んで挨拶をする。秋も「おはようございます、木村さん」と返しながら、席に座った。早速、秋の前に朝食のお膳が並べられる。
「有難くいただきますね」
 そう言って、箸をつけていく。
 ふと、秋が思い出したように、部屋から下がろうとしている木村を呼び止めた。
「あ、木村さん。今日は出かけるので、昼ご飯はいりませんから」
 木村は足を止めて、首を傾けた。

「あら、ですが今日は早見さんは親戚に不幸があったとかでお休みの届けを出していますよ。タクシーでもお呼びしましょうか?」
「いいの、歩いていくから」
 朝は歩いたほうが頭が冴えて気持ち良いし ―――― 。
 香穂の答えに、「わかりました」と頷いて、木村は不思議そうな表情を浮かべた。
「それにしても、佳人さまはお見えになりませんね」
 心配そうに言う木村に、呆れた顔で香穂は小さく肩を竦める。
「疲れが溜まってるのに、あんなに飲むから。きっと、二日酔いも酷いわね」
 最後まで付き合わされた秋も苦笑を浮かべて、香穂に同意した。
「二日酔いに効くものも用意しておきます」
 木村も微笑んでそう言うと、今度こそ部屋を下がって行った。


 朝食を食べ終えて、香穂と秋は屋敷の正門から外へ向かう。
 春の暖かい空気が二人を優しく包む込んだ。けれど、そんな雰囲気とは裏腹なことを秋が考え込むような表情で言った。

「仮に、香穂が言ってた事件といま鹿島校で起こしてる事件の魔が同じとしてさ。どうして3人を殺した魔が、今回は殺さないんだろう?」
「魔は気紛れだからね」
 クスクスと、香穂は笑いながら言う。
 それでも真剣な顔で秋はきっぱりと断定した。
「気紛れじゃないと思う」
 驚いて見ると、答えた後の次の瞬間には複雑な表情を浮かべている秋がいた。

「どうして?」
「……勘、かな」
 思わずがくりと香穂は肩を落とす。勘が理由でそこまで自信のある言い方をしないで欲しかった。それでも、秋が断定した形で言う勘は今まで外れたことがない。その点では香穂も信用していた。
「だったら、そこは秋の勘を信じるとして、理由があって3人を殺したとするなら、その理由が問題ね。場合によっては、また起こるかもしれないから」
 不意に黙り込んだ秋に気づいて、香穂は視線を向ける。

「……今回の事件が霊魔の起こしたものだとして、その霊魔ってさ。まだ、人間の心を持ってるかな?」

 思わずため息をつきそうになって、誤魔化すために香穂は空を見上げる。感情を押し殺すように、目を閉じた。なるべく平静な声になるよう努めて、口を開く。

「秋 ――― 、人間の心を持ってれば何をしても許されるの? 人間の心を持ってれば、誰も……、何も殺したりしないの?」

 ハッと息を呑む音が伝わってきた。
 それだけで、普段は抱くことのない後悔 ―― というより秋だけには抱いてしまう罪悪感が胸を過ぎる。

「そうは言ってないけど、でも」
 言いかけた秋の言葉は不意に聞こえてきた明るい声に遮られた。

「そこのお二人さーんっ! おっはよー!」

 急停止で目の前にシルバーのBMWが止まった。乗ってる人を見て、香穂は思わず顔を片手で覆って深くため息をつく。
「最悪……」
 最も、途中で終わった会話にほっと安堵もしたけれど。

 助手席の窓を開け、顔を見せている鹿島校の理事長の娘、美奈子の姿に眉を顰める香穂の横で、秋が訊いた。
「どうしたんですか?」
「朝にね、新城家に電話したら歩いて出かけたって言うから、こうして迎えに来てあげたのよ」
 美奈子が嬉しそうに言う。
 余計なお世話でしかないことを恩着せがましく言われて、二人とも絶句したものの、すぐに秋が慌てて口を開いた。
「せっかくですけど、僕たちは歩いていきま ――― 」
「あっ、この男はね。私のボーイフレンドで河瀬雪広って言うの」
 秋の言葉を遮って、美奈子は運転席に座っているサングラスをかけた男をさした。
 雪広はサングラスを外して、車から降りる。香穂の傍まで来ると、にっこりと笑顔を見せた。
 「よろしく、香穂ちゃん」
 躊躇っている ―― というより、嫌がっている香穂の手をムリヤリ握って握手を交わす。手を放して香穂の顔をじっと見つめた。
 「君のような美人にお近づきになれるなんて、美奈に感謝感謝♪」
 黒い目に嬉しそうな光が宿る。雰囲気的には明るくて好印象を受ける。表裏がなさそうなことは一目見てわかった。優しそうな顔つきをしている。多少、強引なところを差し引いたとしても。
「君が秋くん? いやぁ、ほんと美男子だね。女装させたら似合いそうだ」
 雪広が香穂の手を握っていたことにムッとした秋に気づいて、彼はぽろりと嫌味のこもっていない、素直な感想で秋を怒らせた。

「余計なお世話です!」
 鋭い声で言い放つと、秋は香穂の手を握って歩き出そうとした。だが、秋がのばした手は虚しく空を切る。それより先に、いつの間にか車から降りていた美奈子が香穂の背中を押して、後部座席へと乗せようとしていた。

 「さっ、乗って!」
 「必要ありません。私は秋と歩いていきますから」
 苛立ちを隠して、偽りの笑顔と丁寧な態度で断る。けれど、美奈子は引かなかった。秋のほうに視線を向けて言う。
「でもね、香穂ちゃんが校内を調べてる間、秋君をひとり校門に待たせておくわけにはいかないでしょ?」
 唐突な言葉に、秋は驚いたように目を見開く。
 その様子に何かしら確信を得たのか美奈子は小さく肩を竦めた。

 「やっぱり忘れてるのね。鹿島は女子高よ。高校の下見ってことになってるんだから、男の子は入れないわよ。生徒たちも警戒するだろうし、そのうえ二人とも美男美女だからとても目立つのよ。そうなったら調べにくくなるんじゃない」

 そういえば、と香穂は思い出した。
 事件のことを中心に考えていたせいか、すっかり忘れていた。最も、秋の場合は女の子と言っても通じるところがあったので、気にしていなかったというのもあるにはあるけれど。

「だから、秋君には雪広とどこかの喫茶店で待っててもらうとして、私が校内を香穂ちゃんに案内し終わった頃に、また車で迎えに来てもらうっていうのはどうかなって」

 名案でしょ、とにっこり微笑む美奈子の口調からは断言しているように聞こえる。香穂が見ると、彼女の瞳は好奇心で輝いていた。考えるまでもなく秋と二人で行った方が効率がいいのは明らか。
 きっぱりと断ろうと口を開きかけた瞬間、ふと昨夜から消えていた気配が戻ってきていることに気づいて、言いかけた言葉は内容を変える。

「……秋、せっかくだから乗っていこう」
 そう言って、後部座席に乗り込んだ。
 唐突な香穂の変わりように慣れている秋は、それでもため息をひとつ零してから渋々と頷く。

「それでは、すみませんけど……」
 秋はそう言いながら香穂の隣に座った。
 その瞬間、美奈子と雪広は互いに目を合わせてウィンクを交わし合う。二人も急いで車に乗り込む。運転席に座った雪広は、助手席に座った美奈子がシートベルトを締めるのを確認してから、キィを回して車を発進させた。

】 【】 【