番外編(一)夢見る桜

一、災難(2)
 すぐに帰るつもりだったのに、と香穂はため息をついて、隣を歩く秋に視線を向ける。新城家専用のヘリで白ヶ村に送ってもらい、とりあえずそこで一泊した。
 次の日に、白ヶ村の巫女を始めとして村長にもくれぐれも桜ヶ村のことを頼むと念を押され、朝早くに出発した。
(……これ。5時間っていっても……。なに考えてるのよ、あのひとっ!)
 山奥にあるというから、想像はしていたけれど酷すぎる。
 道はほとんど獣道で、整っていない地面は滑りやすく、進みにくかった。風の精霊の案内がなければ、明らかに迷っていたはず。普段は瞬間移動を使うことが多く、自らの足で滅多に歩かないせいか、疲労が積み重なって、苛立ちが膨らんでいくのがわかる。
 それでも、秋がずっと手を繋いで導いてくれることもあって、こうして二人で歩くのもいいかもしれないと思い始めている気持ちもあった。

「あ、香穂。見て見て、看板があるよ!」
 ようやく獣道から外れて、細い道が見つかり進んでいくと、木に彫られて作られた看板があった。看板の前に立って、ふと、嫌な気配を感じる。
「秋……」
「うん、」
 秋も感じ取ったのか、眉を顰めて頷いた。
「結界だ。――― この気配は」
 やっぱり、「当たり」だったらしい。
 屋敷で砂霧が告げてきたことが脳裏に浮かぶ。
(「魔じゃない?」)
(「はい。魔だけの気配というには、なにか、違うものが混ざっている気がします。どちらかといえば、精霊に近いものだと」)
 ――― 魔に精霊が混ざるなど、聞いたこともない。
 もしも、それが事実だとするなら、調べる価値が出てくる。
(人間と精霊 ――― 。魔と……。)
 心が揺れる。
 覚悟は決めてる ――― それでも迷う想いがないわけじゃない。だから、ふと思ってしまった。その先を見れるものなら、と。

「魔の力だけど、なんか、微妙に精霊の力も感じるね」
 砂霧を信じてなかったわけじゃない。でも、実際に目の前にすると、なぜか急に苦いものがこみあげてくるような感覚を覚えた。そのうえ、風がさっきから香穂にしかわからない程度に微かな血の匂いを運んできている。まるで、警告を与えるかのように。
(私を誰だと思ってるの?)
 精霊の警告だからこそ余計に反発を覚えて、香穂は秋の手をとると、看板の矢印が指す方向に歩き始めた。
「香穂?」
「貴重な春休みなんだから。さっさと終わらせて、帰ろう」
 訝る秋に明るくそう言って、精霊の警告を振り払うように、歩みを速めて先を急いだ。

 村の入り口らしき場所に着いて、香穂と秋は立ち止まる。閑散とはしているが、人の気配がないわけじゃない。
 ほっと胸を撫で下ろして秋が村の中へと足を踏み入れたとき、強い風が一瞬、二人の間をすり抜けていった。

 ――― ひらり、と。

 香穂は舞い降りてくるものに気づいて、手を広げた。ゆっくりと香穂の手の中に落ちてきたのは、一枚の桜の花びら。
「……ずいぶん、季節はずれだね」
 不思議そうに秋が言う。

 「そうね」と頷いて、香穂は手の平を握り締めた。


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