村長に紹介されて、香穂たちは暫くそこに滞在させてもらうことにした。いつまででも、と親切な村長には勧められたが一週間という区切りをつけて村に居座ることに決める。
その間に決着をつける必要があった。
夕食をもらい、秋がお風呂に入った頃に空間を渡って、昼間に話しを聞いた桜の咲く場所まで来ていた。
夜に浮かび上がる満開の桜というのは、風情というよりもどこか儚げな印象をもった。月の光が今は雲に隠れて遮られているせいもあるだろうか。今まで抱いたこともないような感情を持ってしまった自分に呆れてしまう。
――― 変わりつつある。
少しづつそう感じてはいたが、香穂はまるで他人事のように愉しんでいた。
ひらひらと舞い降りる桜の花びらを視線で追いかける。
「……それで、事情って?」
香穂は太い桜の幹に手をあてて、問いかけた。そこに植物特有の命の流れは感じ取れない。ひんやりとした感触だけが伝わってくる。
「村人が捕らわれてしまった。我には手を出せんのだ」
見上げると、花姫が木の枝に座って、寂しげな表情を浮かべながら花を見ていた。
香穂は感情もなくただ、ふぅん、と頷いた。花姫は視線を香穂に向けて苦笑を零す。
「第一、我はまさか貴女が来るとは思いもしなかったのだぞ。企んでいると思われるのは心外だ」
「私もまさか生きてるとは思わなかった。砂霧にわからなかったはずよね」
小さく肩を竦めると、(申し訳ありません…)と謝罪する砂霧の声が聞こえて、香穂は軽く笑う。
「仕方ないよ。いいから、砂霧は暫く秋の様子を見てて」
言外にこの場を離れるよう含めると、砂霧の気配が遠ざかった。
花姫と二人になると、ふわりと地面から浮かび同じ枝に座り、視線を合わせる。
「花姫……。どうしたい?」
花姫の目が驚きで見開かれた。恐らく、花姫の知る香穂ならば、いちいち聞かないだろう。だが、香穂はそれには構わず、繰り返して問いかける。
「どうしたい?」
風が吹き、二人の髪を揺らしていく。やがて、花姫は寂しげに笑った。
「……貴女が現れたのも、運命かもしれんな」
「そういう言葉は好きじゃない」
「それならば……」
ふっと、花姫が視線を外す。
命が尽きてもなお、咲き続ける桜の意味は香穂もわかっている。昔馴染みの花姫がどんな選択をするかも。
お風呂を頂きました、と礼を言いにきた秋を笑顔で受けて、村長は襖を閉め唇の端をつり上げる。
――― 久しぶりの新鮮な獲物だ。
生き血はさぞ美味であろう。肉はさぞ、歯ごたえがあろう。
更に力を蓄えることが出来れば、ついぞあの忌々しい結界を破りこの村を出て外へ行ける。下僕は十分に作った。力も溜まる。最早ここに留まる理由もない。
「明日こそ、忌々しい精霊を滅ぼし、結界を解くときぞ!」
村長は自らの右手を見る。
青く染まる大きな手。爪は長く伸び、肉を引き裂くためにある。歓喜に打ち震えていた。
月を背に、宙に浮かんでいた女はくすり、と笑みを浮かべる。
すべては望みどおりに動いていた。