今や真人と化した村人たちに取り囲まれ、秋は花姫を庇うように立ちながら、身構える。村人達が手にしている武器は鍬や鋤といった農具で、今にも襲い掛かってきそうな気配を纏っていた。
「精霊結界のなかでは、“魔”の力を封印する代わりに他の精霊を使えんはずだ」
村長がにたりと牙の生えた口を開く。村長はすでに殺されていたらしく、その気配は明らかに妖魔だった。
ようやく精霊の気配を感じ取れない理由がわかって、秋は舌打ちしたい衝動に駆られた。香穂は、知っていた。その事実が脳裏を掠め、黙っていられたことに傷つく。信頼されていないと思い知るのは、徐々に香穂を愛し始めている今はとても悲しい。喉元までせりあがってきた熱い感情を呑み込んで、今はそんな場合じゃないと、顎を引き、警戒する。
「……なぜじゃっ。なぜ“魔”はひとを容易く傷つけるのじゃ!」
秋の背中にいた花姫は全身で叫び、妖魔にぶつける。
「決まっておる。ひとは餌だ。力をくれる。ひとの欲はわしらの餌であり、暇潰しのおもちゃだ。それ以外に理由などないわ」
妖魔の吐き出した言葉は、秋が学んだ精霊使いの知識でもあった。“魔”の理由も人間からしてみれば到底納得できるものではない。それなのに、昨夜香穂が言った言葉が引っ掛かる。“魔”を呼び寄せるのは、人間だと。
「村を出ようとする村人達と、引き止めようとする村長の諍いが“魔”であるわしを呼び寄せた。それに乗じて村人たちを真人と化し、他の人間を襲わせようとしたが、そこにいる桜の精霊に阻まれた。だが、力あるおまえを殺せば、わしらは出て行ける!」
勝ち誇ったように叫ぶ妖魔は、合図のように手を振り上げる。
背中にいる花姫がぎゅっと、服を握り締めるのがわかった。秋は注意を真人と化した村人達に向けたまま、声をかける。
「花姫、結界をといて。精霊が使えれば、なんとかなるから!」
「じゃがっ。結界をといてしまえば……!」
今は操られているだけの村人達は完全に真人と化し、その本能のまま動き出すだろう。
「いいから、僕を。香穂を信じて」
力強い口調で告げて、服を握り締めている花姫の手を取った。信じて、と想いを込めて繋ぐ。それが伝わったように、花姫は頷いた。
「どうか、友たちを、村人たちを救ってくれ」
そう口にすると、瞼を閉じた。
花姫の身体が空気に溶け込むように、ゆっくりと透けていく。精霊の、本来の姿に戻るのだろう。器を手放し、人としての姿は見えなくなる。だけど、秋には精霊の気配を感じ取れた。
「ほほう。結界をとくか。それなら、生贄は必要ないな」
解かれていく結界に妖魔も気づいたのか、頭上を仰ぐ。だが、と変わらない歪んだ笑みを秋に向けた。
「手始めにおまえを殺してやろう! 恐怖に泣き叫ぶがよい! それがわしらの糧になる!」
一気に手が振り下ろされる。
それを合図に村人達が秋に襲い掛かってきた。咄嗟に風の精霊に呼びかける。渦巻き始める風に弾かれた村人達は、秋に近づくことが出来なかった。それに苛立ちを感じた妖魔が前に進み出る。
「これくらいの力っ、」
大きな手を振りかざし、精霊達を切り裂く。その合間を縫って鋭い爪が秋を襲う。
「っ!」
頬を掠めて、わずかに血が飛び散った。
妖魔はしてやったりとばかりの顔を見せ、自らの爪についた秋の血を舐める。その一瞬、妖魔の瞳が見開かれ、そこに歓喜の光が宿る。
「素晴らしい! これが精霊使いの血かっ! 力が漲ってくる!」
ほんの僅かな、血。それを舐めただけなのに打ち震える妖魔の姿に、秋は眉を顰めた。人間と、精霊使い−といっても、秋は所詮付き人という立場だけど−の血に違いなんてあるんだろうか。そんな疑問が浮かぶ。だけど、それを深く考えている余裕は今はなかった。