(タイミングが悪い。状況は見てたでしょう?)
シートに深く座り、瞼を伏せて香穂は頭の中で非難のこもった言葉を投げかける。
(申し訳ありません。ただ、できれば急いでお話ししておいたほうが宜しいかと思いましたので)
(何かわかったの?)
砂霧が情報を集めに行き、何かを調べてくるときに何もなかったということは絶対になかった。それでも訊いたのは、ちょっとした意趣返しだ。
今から美奈子たちと付き合っていくことを考えると、鈍感な主のフリをすることくらい許されるだろう。
案の定、砂霧が苦笑する気配が伝わってくる。
(例の三人ですが、亡くなる一ヶ月前に旅行に行ってます。高校のある秋野市から車で半日はかかる山の方で、三人のうちの一人が別荘を持っていたようですね。調査してきましたが……。)
続けようとする砂霧をふと、香穂は遮った。
(ちょっと待って)
秋が小さな声で香穂の名前を呼んでいた。
砂霧の報告を遮ることは香穂にとっては在りえないことだった。他の人であれば、だが。
「……香穂?」
「ん?」
伏せていた瞼を開けて、秋のほうを見る。
心配そうな表情で、香穂の顔に視線を向けていた。とん、と自分の肩を軽く叩く。
「眠いのなら、僕の肩に寄り掛かってていいよ」
前に座っている美奈子たちに聞こえないように、囁くような声で言う。香穂は嬉しそうに微笑んだ。『ありがと』と同じような声で返して、言われるまま秋の肩に寄り掛かる。こつん、と頭を乗せた。
もう一度目を閉じると、前から羨ましそうな声が聞こえてくる。
「わっ、優しいと思わない? ね、雪広?」
「ほんと、うらや ―― じゃなくて、初々しい」
言いかけた言葉を美奈子に睨まれて、言い換える。
二人のやりとりを香穂と秋は眠ったフリをして聞き流していた。
(それで?)
香穂は先を促す。
(痕跡は綺麗に消されていましたが、過去視をしたところでは、やはりもう一人いたようですね。それが霊魔の気と同じものでした。それと、その場所に高魔が封印されていた形跡がありました。)
(高魔が?)
訝るように香穂が繰り返すと、砂霧が頷く気配が伝わってくる。
(霊魔と高魔のダブルブッキングか。厄介なことになりそう……。)
ため息混じりに香穂が言う。
隣に感じるぬくもりは心地良いけれど、成長するまで後どれくらいかかるのだろう。
何があっても、負けないように。
できれば、と。何度も香穂は繰り返し思ってきたことをまた脳裏に浮かべた。
能力の成長はいくらでも開花させることができる。それだけを望むなら、いくらだって突き放せる。だけど、できれば今ある心もそのままで、失わないままでいて欲しいから、必要以上に近い距離にいてしまう。
(見守る、っていうことも意外と難しい。)
自嘲する含みを込める。不意にそれに応えるように、砂霧が言った。
(本当に、変わられましたね)
小さな呟きだったそれに、香穂の鋭い声が返る。
(昔の方がよかった?)
砂霧は息を呑んだ。
即座に返されたその冷たい声は、香穂が秋に出会って久しくなかった棘が含まれている。今まで秋にも使ったほどがないほどの鋭い響き。
砂霧は禁忌に触れたことに気づいた。
(余計なことだね、砂霧。私が変わったなんて本気で言ってるわけじゃないでしょ?)
(申し訳ありません。調子に乗りすぎました……。)
謝罪を口にする砂霧の声は、真剣だった。上辺だけの謝罪はすぐにわかる。
ある意味、砂霧も素直だ。
香穂の胸に苦い想いが宿る。少し、八つ当たりだったかもしれない。確かに変わってしまったと思う。秋を守るために。
幼い頃、何も知らずにただ無邪気なままで香穂の心を捕らえてしまった秋のために。ただそうして変わることが良いことなのか、わからなくて戸惑ってる。
普段はそんな感情さえ面白いと客観的に思うこともできるけれど、一番近い距離にいる砂霧に言われると、急に戸惑いのほうが大きくなる。不安になってしまう。
このまま自分がどこへ行くのかわからずに ――― 。
「……香穂ちゃん? 着いたわよ」
気がつくと、車が止まっていた。
目を開けると、高校の門の前に着いていて、既に助手席から降りた美奈子が後部座席のドアを開けている。
香穂は身体を起こして、車から降りた。
不安そうな表情を浮かべている秋に微笑む。
「行ってくるね。何かあったすぐに呼ぶから、心配しないで」
「無茶をしないでね」
開け放した車窓からわずかに身を乗り出して、秋は優しい光を目に宿した。
「それじゃあ、香穂ちゃん。迎えに来るのは一時間後くらいで良いかな?」
雪広が運転席から香穂に問いかける。
「それは秋に任せます」
そっけなく香穂は答えると、正門の方へ向かう。
美奈子は「ちょっと待って! 後でね、雪広。秋くんっ!」という言葉を残して慌てた様子で先を行く香穂の後を追いかけて行った。
慌しさが消えて、静けさが残る。
「僕らもどこか近くの喫茶店で待つとしようか」
秋が頷くのバックミラーで確認して、雪広は止めていた車のエンジンを掛けた。