第一章 精霊使い

三、対峙(3)
 時折、窓を開け放している教室から先生らしき人の声は聞こえるものの、授業中のせいか静まり返った校舎を香穂は見上げた。
 高校の見取り図は、秋からもらって頭の中に入っている。最もそんなものがなくても、香穂の場合は精霊たちに案内させればすむことだったが。
 香穂は校舎には入ることをせずに、そのまま横切ろうとした。

「どっ、どこ行くの。香穂ちゃん?!」
 後から追いかけてくる美奈子に香穂は感情のこもらない声で言う。
「女子寮です」
「場所がわからないでしょう。案内するから ―― 」
 わかります、と言おうとして口を噤んだ。気紛れが動いて、美奈子に任せることにする。先を歩く美奈子の後ろに続いた。
(気配は消したままでよろしいのですか?)
(うん、もう少しね。調べてみたいことがあるから。今は気づかれたくない。)
(“もうひとり”の部屋ですね)
 砂霧が断言をした聞きかたをしたので、香穂もただ小さく頷くだけにしておいた。
 今更二人の間に説明するための言葉はほとんど不要だ。

「香穂ちゃんにはお兄さんがいるの?」

 嬉しそうに聞いてくる美奈子に魂胆は見え見えだったが、案内をさせている手前、香穂は素直に頷く。そこで一言付け加えることを忘れずに。
「陰険で意地悪で冷たくて他人にも自分にも厳しくて、とても怖くて会社の人には恐れられてますけどね。ついでに計算高くて、いつも困ってるんです」
 不意に砂霧の軽口が届く。
(それは香穂さまのことですか? ご自分の性格をわかっておられますね。)
 嫌味の含まれているその言葉は、美奈子のお喋りに少しの苛立ちを感じてる香穂の気を紛らわせるためだ。
 香穂はぺロリ、と心の中で砂霧に向かって舌を出す。
(それほどでも。)
 短く応酬する。
 砂霧が微笑む気配が伝わってきた。

 そんなやりとりに気づくはずもなく、美奈子は先ほどの香穂の言葉を信じたのか上ずった声で頷いた。
 「ふっ、ふ〜ん。やっぱり新城家ともなるとね……」
 その言葉の内容は意味不明だったが。


 女子寮までたどり着いた香穂は、美奈子が寮長に許可を取っているのをよそに、玄関から建物の中を覗いていた。
(霊気が溜まってるね。結構……、強い方かな。)
(この霊気は“想い”ですね。)
 流れてくる霊気を感じて、香穂と砂霧は判断を下す。
 霊魔は人間が死ぬときに残す心から成り立っている。強い「憎しみ」、「想い」エトセトラ。大きくはこの二つに分かれているが、この感情が解消されたとき、霊魔は消滅する。
 ふと、香穂は美奈子の方に視線を向けた。楽しそうに世間話をしている二人を見つけて、半ば呆れながら、気づかれないようにそっと中へと足を踏み入れた。

 流れてくる霊気を辿って、廊下を歩いていく。いくつものドアを通り過ぎ、いちばん端にある部屋の前で立ち止まった。
「ここから流れてきてる」

 ドアには【春山悠奈】と書かれたプレートがあった。ドアを開けようと、ノブを回しかけて、香穂の手が止まった。
「……わりと巧妙で繊細な結界が張られてるね、っと」
 一瞬で結界を解いてから、躊躇うことなくドアを開けて部屋の中に入る。

(香穂さまの部屋よりはシンプルですね。)
 素直な砂霧の感想に思わず同意しかけて、慌てて香穂は我に返った。
(当たり前でしょう、寮なんだからっ!)
 整理整頓されているというよりは、あまり物の置かれていない室内をじっくりと見回す。
 机の上に飾られている一枚の写真が香穂の目に止まった。一組のカップルが楽しそうに笑っている。
(随分古いですね、いまどき白黒とは……。)
 それに毎日、手に取って見ているのか写真の端は擦り切れてぼろぼろになっていた。
(霊魔だしね……。意外と長生きしてるのかもよ。)
 見透かした口調で言う香穂は哀しげな表情を垣間見せ、けれどすぐにいつもの調子に戻る。
「原因はこれにあるみたいね。後は本人から聞きますか。台本は一応、優しい精霊使いが道に迷った霊魔を成仏させるっていう安易なものになるけどね」
 小さく肩を竦めて、香穂は消し去っていた自らの気配を解放した。

 写真立てから写真を取り出して、部屋のベランダから続く共同になっている庭の方へ降りていく。
(こちらに向かってますよ。場所はここでいいんですか? 移動するなら時間を稼ぎますが……。)
「いいよ、面倒くさいからここで。砂霧は結界をよろしく」
 そう言いながら、頭の隅には恐らく秋に知られたときの、「どうして一人で会ったりしたの?!」と怒る姿が浮かんでいた。

 風がわずかにざわめく。

 一人の少女が香穂の前に姿を見せた。

「あなたね、理事長が雇った精霊使いっていうのは。 風使い、でしたっけ?」

 写真の中で笑っていた女の子が同じ長い髪のまま、綺麗な顔に挑戦的な笑みを浮かべている。一目見ただけでは、普通のなんら変わりがない人間の女の子だ。けれど、香穂には少女が纏う雰囲気が霊魔のものだとすぐにわかった。

「4分の1あたり。よかった、いきなり攻撃されたらどうしようかと思った」
「まさか。私もそこまで礼儀知らずじゃないわよ」
 驚いた表情で返す悠奈に、不意に冷たい視線と声が突き刺さる。

「だったらさっさと消えてくれない? 邪魔なのよ。特に今はあなた程度の相手をしてあげられるほど凄くヒマってわけでもないしね」
 香穂はがらりと変わった恐ろしさを秘めた雰囲気を放っていた。
 触れれば切れる、そんな冷たさと一歩でも近づくことさえ許されないほどの威厳。

 「 ―――― なっ、なんなのっ、あなた……??!」
 悠奈が恐怖のあまり悲鳴のように声をあげる。
 彼女には一瞬で周囲の空気が凍ったように思えた。

 香穂は冷静にそんな悠奈をじっ、と見つめた。時間にして数秒だろうか。その間、悠奈はピクリとも身動きできずにいた。

 ふと香穂はにっこりと微笑む。何かを含んだ笑顔で。(決めた ――― )悠奈はそんな香穂の声が聞こえたような気がした。

「さっさと倒しておこうかと思ったけど、保留にしておいてあげる。まだバックに面白そうなものを抱えてそうだし。けど忠告。今度、犠牲者を出したら遠回しなことはしないで容赦なく消滅させるから」
 香穂の言葉を狐につままれたような表情で悠奈は呆然と、聞いていた。
 クスリ、と香穂が愉しそうに笑う。
「まあ、過去も見えたし。今回はそれで誤魔化せそうだからいいか。じゃあ、また後で」
 軽く手を上げ、香穂は足早にその場を離れた。


 ハッと、我に返る。悠奈が弾かれたように顔をあげたときには、香穂の姿は既になかった。
「会っただけで過去がわかった……ですって?」
 そんなことは‘魔'の中の高魔クラスでも上級の者にしかできないはず。
 悠奈は暫らく呆然と、香穂の消えた方向を見つめていた。


 一方、香穂は寮を出たところで、美奈子に捕まった。
「びっくりしたのよ、突然いなくなるんだからっ!」
「ごめんなさい。でも、用事は終わりました」
 形だけの謝罪をして、香穂がそう告げると、美奈子は目を見開いた。
「も、もう終わっちゃったの?!」
 驚いた表情をする美奈子に「はい」とはっきり香穂は頷いた。笑顔を添えて。
 珍しい香穂の笑顔があまりに可愛らしかったせいか、美奈子は後に続く文句を言うことができなかった。勿論、香穂はそうなることを計算して笑顔を見せたのだが。
 腕時計を確認すると、秋と別れてからまだ30分も経っていなかった。
「精霊たちに秋のいる場所を教えてもらいますから、こっちから迎えに行きましょう」
 悪戯っぽい笑みを見せて言うと、香穂は歩き出した。慌てて美奈子はついていく。

 香穂たちの去った校舎には、授業終了のチャイムが鳴り響いていた。

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