セルズニック号の悲劇

(3)真実の想い


 ……やっぱり、嫌われたかな。
 昼間の怒ったようなセリカの顔が浮かび上がる。
 (愛してる、か……。どうかしてるよな。会ったばかりだというのに。)
 だけど、素直な気持ちだった。
 彼女の傍にいると、自分でも意外なほどに素直になれる。
 (また、会いたいな……。こんな退屈なディナーを食べているくらいなら、よほど彼女と会っていた方が ―――――。)

「……ます?」
 不意に誰かに呼ばれて、我に返る。
「え? なんだって?」
「いえ、たいしたことではありませんわ。考え事の邪魔をしてしまったようですね。申し訳ありません」
 ミレーヌはそう言うと視線を外した。
 (言いたいことがあるのなら、はっきり言えばいいのに……。)
 そう思わずにはいられなかった。

 いつもクリスの周囲にいる娘たちは、自分の言いたいことも言わず男を引き立たせるため、まるで媚びを売るかのように控えていた。
 いい加減、それがうっとおしかった。まるで母を見ているかのようで……。そう、父に見捨てられた母を……。
 だけど、セリカは違う。
 彼女は今までに会ったこともない女性 ―――― ‘強さ’と‘優しさ’をその心に持っている。素晴らしい女性だ。

「さて、食事も終わったし。我々は席を移すとしよう」
 一緒にテーブルを囲んでいた仲間の男性たちに向かって、父が言った。
 このあと喫煙室に向かい、ブランデーを片手に男同士で話し合いを行うのがきまりだった。
「申し訳ありませんが、僕は疲れたようなのでこれで失礼させていただきますよ」
 席を立ち軽く礼をする。
「ク、クリス……!!」
 父上の呼び止めようとする声が聞こえたが、足を止めることなく出口へと急いだ。
 (セリカに会いたい……。今すぐに。会ってこの想いを伝えなければ……。)
 胸の内が渦巻くセリカへの想いに焦がれていた。


「……まったく。しょうがない息子だ」
 レイズ氏は深くため息をついた。
 ブランデーを飲みながら、彼の隣に座っている髭を生やした男が答える。
「仕方ないと思いますよ。こんな長い船旅では、彼でなくても疲れてしまう」
「いや、恥ずかしい話だがね。あれは今、女にうつつを抜かしている」
 レイズ氏の言葉に白髪頭の男が笑う。
「ミレーヌ嬢のことですかな?良いじゃありませんか。将来の夫婦が愛し合ってるのは素晴らしいことだと私は思うけどね」
「それなら私も嬉しいんだが」
 違うんだ ―――――――。
 レイズ氏は首を横に振った。持っているブランデーの入ったグラスを傾けて、まるで落ち着かせるかのようにグイッ、と飲む干す。
「息子がうつつを抜かしているのは、第2船室に泊まっている素性の知れない女だ」
「それは……」
 言葉に詰まった男たちは、お互いの目を合わせる。
「その女の名前は?」
 1人の男が興味にそそられて、レイズ氏に聞く。彼はその名前も口にするのがイヤだったらしく眉を顰めて言った。
「確か……セリカ=ラオリーンだった」

「ラオリーン!?」

 眼鏡をかけた男がひどく動揺した面持ちでレイズ氏を見た。
 レイズ氏と他の二人の視線がその男に注がれる。
「あっ、い…いや。なんでもないんです……」
 まさかね……。
 浮かび上がった思いを否定して、眼鏡の男は慌てて取り繕う。
 奇妙に思いつつも、他の男たちはまた別の話題へと移っていった。




 確か、第2等船室はこっちだったよな……。
 一度だけ見た、船室案内を思い出しながら歩いていく。

――――― あった。あった。
 ええっと、……205…206,207、ここだ。
 とりあえず身だしなみを整えて、咳払いをする。思い切ってドアを軽くノックした。

「……はい?」
 すぐに返事があり、ドアが開かれる。だが、部屋から出てきたのはセリカではなく、別の女性だった。
 胡散臭そうな瞳で見る彼女に、名前を言う。
「クリスと言いますが、ミス・セリカはいらっしゃいますか?」
 優しく尋ねると彼女は急に何かを思いだしたように、「あっ、」と声を出して、部屋の中を気にしながら、外に出てきた。パタン、とドアを静かに閉める。

「クリス……クリス=レイズ様ね?」
 どこか皮肉めいた口調で彼女は僕の名前を口にする。それから、彼女は改めて笑顔を浮かべた。
「私はメニエ=レンスウェット。セリカの親友です」
「君のことは、セリカから聞いてるよ。よろしく」
 彼女は握手を求める僕をじっ、と見つめると、小さく息をついた。突き放すような冷たい視線が注がれる。
「もう、彼女に会わないで欲しいのよ」
 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 (会わないで欲しい ―― ?)
 動揺を感じ取ったのか、彼女はもう一度繰り返した。
「会わないで欲しいの、セリカに」
「なぜ ――― 」
 そんなことを君に言われなくちゃならない。
 そう言おうとしたが、彼女の強い視線に阻まれる。
「あなたみたいな男なら、遊びでも良いって言う女はたくさんいるでしょう? わざわざセリカに手を出さないで」
 「僕は本気だっ!」
 叫ぶように言うと、彼女は少し驚いたように目を開いた。
「セリカに会うためなら、僕は一晩中ここに立っててもいい。身分が気にくわないのなら、全てを捨てても良い。だから頼む!彼女に会わせてくれないか!?」
 必死の想いで口にすると、メニエはまるで何かを探すかのように見つめてきた。それに対して強い想いで見つめ返す。
 (世間体も身分もどうでも良い。今はただ ―――――― セリカに会いたい。それだけが全て。)

「しかたないわね」
 メニエは諦めたように言う。
「セリカを泣かしたら承知しないわよ?」
「約束する」
 笑顔で答えると、メニエはドアから離れた。
「セリカに伝言をお願いするわ、クリス。私はデートの約束があるから、今日は戻らないって」
 よろしく ―――。
 そう言うと、彼女は笑顔を見せて廊下をスタスタと歩いて行った。

 それを見送ってからもう一度、服装を整えドアをたたく。
 返事はなかったが、ドアがかすかに開いた。
「セリカ、いるのか?」
 ドアを開けて一歩、中に入ろうとすると、すぐ側にセリカが立っていた。
「セリカ……」
 彼女の美しい瞳からは涙が次々と溢れ出していた。

 どうして ―――――――― ?
 そう訊こうとして、セリカは言葉に詰まった。
 どうして、私なの?
「君以外に何もいらない。君が教えてくれたんだ。人を心から愛するということの素晴らしさを」
 その思いを読み取るかのようにクリスは答えてくれた。
「私も、私もよ ――…… 」
 あなたに生きていくことの素晴らしさを教わったわ。そして、愛することの素晴らしさを ―――――。

 心に溢れ出す想いが伝わるように、クリスを抱きしめる。
「愛してるわ、クリス」
 言えなかった想いを言葉にする。
「愛してるよ、セリカ」
 交わす口づけは二人の想いを表すかのように、どこまでも熱く、幸せに包まれていた。

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