08. すれ違い
――― また、来たのか。
 いつも背中に背負っている大剣を振りかざして、兵士の剣と打ち鳴らしていたソーマが、練習を中断して他の兵士にその場を預けると、座り込んで、じっと眺めていた私のもとに歩いてきて、第一声そう言い放った。

「最近、いつも此処にきてるじゃねぇか。それも眉をこーんなつりあげて、押し黙ってさ」
 覗き込んできたソーマは、自分の眉尻を押さえてぐっと、上にあげていた。からかうような仕草に、ムッと怒りが沸き立つ。顔を背けて否定した。
「そんな変な顔はしてないっ!」
「してる、してる。怒りのオーラがバシバシ伝わってくるぜ」
 背は同じなわりに、感情に関しては一癖も二癖も上らしく、彼はにやりと笑って、受け流す。その言葉で怒りは消え去り、我に返った。
 真剣に兵士達に訓練をつけ、また自分の剣の腕を磨いているソーマの周囲でこんなふうに怒りを纏っていたら、気にかからないわけがない。だからこそ、いつも此処にきたときに、ソーマは練習をやめて、傍にきてくれていたんだ、と今更ながらに気づいた。
「ごめん。練習の邪魔だった?」
「気にかからねぇって言ったら嘘になるだろ」
 正直な言葉に、思わず吹き出しそうになる。もう何でこんなに素直なんだろう。視線を向けると、ソーマはうっすらと赤く染まった頬を照れたようにかいていた。言葉にしても、態度にしてもソーマには嘘が欠片も見つからない。それが今は、とても慰めになっていた。
 見知らぬ世界で、友達も家族もいない場所では、正直に話せる人がいるのは、嬉しい。アレスもシエラも、確かに優しく接してはくれるけど、何かを隠しているような気がして、彼らが言うように思うまま、頼ることができなかった。
「……おまえも、剣を振ってみるか?」
「えっ?」
 唐突に言われた言葉に、我に返って、ソーマを見る。まっすぐとした視線を落とされていて、戸惑った。
 (剣 ―― って。)
 ソーマが持っている剣に視線を向ける。形が大きいだけあって、どっしりと重さもある。最初の頃に此処へきたとき、一度持たせてもらったけれど、身長が同じなのに、軽々と扱うことができるソーマに尊敬の念を抱いた。地面から持ち上げることさえ、困難だったことを思い出して、眉を顰める。
「ばか、ちげぇよ。これじゃなくて、もっと軽いやつ。ちゃんとした剣で、女にも扱える軽いのがあるんだよ」
 見透かしたようにそう言って、ソーマは身を翻した。
 その後ろ姿を視線だけで追いかけていると、練習している兵士たちの合間をぬって、道具が置いてある場所に向かうのが見えた。なにやら悩んでいる素振りを見せていたが、すぐにひとつの剣の柄を選んで掴む。それを持って戻ってきた。
「ほら、これ。持ってみろ」
 目の前に差し出された剣を前に、恐る恐る、その柄を握る。剣なんて、向こうの世界では見たことも触ったこともなかったけれど、この世界に来て、何度かこの訓練所に足を運ぶようになってから、慣れてはいたし、ソーマに剣の握り方は教わりもした。剣を振る兵士達も、冗談交じりではあったけれど、扱い方を説明してくれた。
 ソーマの剣を握ったときと違って、意外とすんなり握ることができた。持ち上げると、容易にあがる。
「わっ、軽いね」
「その代わり、切れ味は悪いぜ。浅い切り傷を与えることができるくらいだけど、それくらいがいいだろ? いきなりスパッと切れたら怖いだろうし」
 物騒なことを軽い口調で言われて、慌ててコクコクと頷く。誰かを切ることを前提に言わないでほしい。そうは思ったけど、すぐに剣を手にする時点でそれが前提なんだと気づいた。
「やっぱり ―― 」
 必要ないや、と言おうとして、ソーマの言葉に遮られる。
「まぁ、月の国の戦闘に加わるなら、身を護れるくらいにはならないとな」
「そ、そうだね」
 頷くしかなくなって、剣の柄を握り直す。とりあえず、教えてもらったことを思い出しながら、振りかざしてみる。ソーマに形を直されていくうちに、素振りのコツはなんとなく掴めたような気がした。
「……これでいい?」
「そんなもんじゃねぇか。初心者にしては、上出来だと思うぜ」
 にっ、と満足そうに笑う顔に、嬉しくなる。
「そう?」
「ああ。後は練習次第だ」
「じゃあ、やっぱり此処に通わなきゃ」
 訓練所まで来る理由ができて、ほっとする。ソーマを見ると、彼は少し考え込むような顔をしていて、首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや、いいけどさ。アレスにはちゃんと許可をもらっとけよ」
 ぎくり。思わず身体が強張った。柄を握っている手がじとりと汗ばむ。確かに此処はアレスの王宮で何かをするなら許可がいるかもしれないけど ―― 。恨めしげな視線を向けると、ソーマは戸惑うように身を引いた。
「なっ、なんだよ?」
「ソーマから話しておいてほしいなって思って」
 お願いっと気持ちを込めてみていると、彼は困ったように頬をかいて、握っていた自分の剣をぶんっと振る。訓練している兵士達に視線を向けて、溜息をついた。
「……そうやって、逃げてたって仕方ないだろ」
 ムッと頬を膨らませる。
「だって、隠し事されてるのよ? 勝手に此処につれてきて、協力して欲しいって言いながら、隠し事なんてむかつくんだもの!」
 不貞腐れて言うと、ソーマはぷっと面白そうに笑い出した。
「あっ、あんたって、面白いよな……いいじゃん、そのまんまアレスにもぶつかってやれよ」
 そう言われて、ふと考え込む。
 本来なら ―― こんなふうにはっきり言わないと気がすまない性質のはずだった。それなのに、どうしてかアレスには言いたい言葉のほとんどを飲み込んでしまう。王子様とか婚約者とか最初にそう意識してしまったことが原因かもしれない。
 ソーマにするように、素直に感情を曝け出すことに躊躇ってしまって、苛立ちだけが心の中で燻るだけになった。
「俺はさ……」
 真剣な口調になったソーマに気づいて、ハッと視線を向ける。
「この世界のバランスを崩すまいと、本当なら三つの国全体でしなきゃいけないことをたった一人で背負ってるアレスを素直に凄いと感じた。あくまで俺は中立者ってのは変わらないからな。だからこそ、あいつは本当のところ、独りで戦ってる」
 それまで兵士達を眺めていた金色の目が、ちらりと私を見た。
「そんなあいつの……、あんたはたったひとつの我侭なんだ」
 ――― たったひとつの。
 会いたかった、と抱き締めてきたアレスの姿が脳裏に浮かぶ。いつも見つめてくるときの彼の青い瞳に揺らめく熱い光。それを押し隠して優しく微笑んでくれるその心はとても重いものを抱え込んでるのかもしれない。
 ソーマの言葉が胸にしみじみと入り込んできて、そんな思いがわきあがってきた。
 手にしている剣に視線を落とす。細い刀身は、きちんと手入れをされているのか私の顔を映し出した。随分と複雑な表情をしていることに、自嘲する。そうまでして求めてくれているアレスを避けることは卑怯な気がした。勿論、前世の関係を受け入れることは別にしても ―― 。
「さっきも言ったけど、俺は中立者だ。あんまり深入りできねぇんだよな」
 本当は、と苦笑するソーマに顔を向ける。その目は、まったく言葉通りにはできていないことを語っていた。だけど、きっとそういうところがソーマらしい、となんとなく思って、不意に気づいたことがあった。
「だから、私がアレスやシエラと話すときはさっさと離れていくのね」
 思いもがけない言葉を聞いたとでも言うように、ソーマは大きく目を見開いた。何度か瞬かせて、それから誤魔化すようにそっぽを向いた。
「ソーマ?」
「あーいや、……ばれた?」
 問い詰めるように呼ぶと、がしがしと赤い髪をかいて、気まずげな声を出した。
「しょうがねぇだろ……。俺は部外者なんだから」
 言われた言葉に、突き放されたような気分になった。同時にお腹の中からわきあがってくるものがある。それが怒りだと気づいたときには、口を開いていた。
「何が部外者よっ。ソーマだって私をこの世界に連れてきた張本人じゃないの!」
「そっ、それは元々あんたがこの世界の ―― 」
「たとえ、前世でそうであっても、今の私はこっちの世界の住人じゃないわよ!」
 思わず、手にもっていた剣先をぶんっと振り回すと、ソーマが焦ったようにそれを避けながら、待てっと声を上げる。
「わっ、ちょっ、と、待てって。わかった、わかったから!」
「なによっ、わかったんなら少しくらい当たりなさいよ!」
 振り回した勢いがなんだか止まらなくて、腹立ち紛れに狙っていると、スレスレの位置で避けながら、ソーマは自分の剣を取った。流すように、払いのける。
「少しでも当たったら怪我するって!」
 キンッ、と甲高い音が鳴って、握っていたはずの剣はあっという間に叩き落されていた。地面に落ちたのをかがんで拾ったソーマは、やれやれと自分の剣を再び背中に納めた。
「あのなぁ、そんな気持ちで振り回してンなよ!」
「だって……」
 咎めるような、少し厳しい顔つきで見られて、気まずさに視線を逸らす。手持ち無沙汰になった両手をなんとなく握り締める。とりあえず剣を振り回したことで膨れ上がっていた怒りは静まったみたいだった。
「……俺も」
 躊躇うような口調で言う声に、顔をあげる。ソーマが持つには違和感のある細い剣の柄を持て余すように、握ったり開いたりしながら続けた。
「悪かったよ。連れてきて後は知らねーってのは、確かに無責任だった」
 素直に謝られて、思わず戸惑った。勢いでつい、言ってしまっただけで本当はソーマがちゃんと見ていてくれたのは知ってる。いろいろ説明してくれたし、夢の話も聞いてくれたし。
「ごめん。私も言い過ぎたね……」
 私も謝ると、ソーマは苦笑した。気分を変えるように、よしっと声をあげて、空を仰ぐ。太陽が真ん中に差し掛かろうとしているときで、この時間の訓練ももう終わりを告げようとしてる。
「とりあえず、アレスには言ってこいよ。そしたら、俺が剣の扱い方をちゃんと教えてやるよ。振り回すのはナシでな」
 その言葉に勇気を貰って、私も今度は頷いた。
(アレスにちゃんと向き合ってみよう ―― 。)
 その気持ちが消えてなくなる前に、アレスがいる執務室に向かって歩き出すことにした。

 宮殿の廊下を進んでいるうちに、女官に会って、アレスはこの時間は執務室ではなく、自室にいると教えてくれた。前に彼に連れられて歩いた道を辿って、部屋を訪れる。
 コンコン、とノックを繰り返すけれど、返事はなくて、疑問に感じながらそっと、ノブを押してみる。扉は容易く開いて、中を覗き込んだ。見渡せる場所にはいなくて、奥の部屋かもしれないと思った。いつでも訪れていい、と言われた言葉に甘えて、部屋の中を進んでいく。人のいる気配はまったくなくて、部屋の中はしんと静まり返っている。奥に向かうと、窓際にあった揺り椅子にアレスが座っているのが見えた。
( ―― 眠ってたんだ。)
 ゆらゆらと小さく前後に動く揺り椅子に座って、目を閉じている姿がほんの少し、幼い感じがした。邪魔しちゃいけないと思いながらも、足は彼の元に向かう。覗き込むと、柔らかい日差しを浴びた顔はほんの少し、青褪めているように、見える。重荷を抱え込んで疲れているかもしれない。独りで戦ってる、と言ったソーマの言葉が浮かんだ。胸がざわざわと騒ぎだす。大変だな、とどこか冷めたように思う気持ちとは裏腹に、助けたい。もっと、なにかできることがあればしてあげたいと身体の内側から訴えてくる気持ちがある。その気持ちが膨れ上がって、突き動かされるように、手を伸ばしてアレスの頬にそっと、触れた。温かな感触に、なぜか熱いものがこみあげてくる。
(あなたを…………。)
 不意にぎゅっと手を掴まれた。
「シア……?」
 瞬きを繰り返して、アレスが呟いた。驚いたように息を呑んで、だけど再びハッと目を見開くと、息をついた。いつもの穏やかな微笑みを浮かべて、優しい声で訊いてくる。
「驚いたよ。どうかした?」
「うっ、ううん……。ごめんね、邪魔しちゃった」
 慌てて首を振る。
(もしかして ―― 。)
 シア王女と間違えられたのかもしれない。彼女の夢を見ていて、それで。一瞬だけだったけど、彼の青い目に浮かんだ熱。焦がれるような、その熱に胸が疼く。
 動揺しているのを悟られたくなくて、壁にかかっているシア王女の肖像画の前に移動した。視線を向けると、夢の中で見た笑顔がある。その笑顔がなんだか『頑張って』と応援してくれているように感じた。
 静かな足取りで近づいてきて隣に並んだアレスの気配に緊張しながら、思い切って口を開く。
「……私ね、夢を見たの」
「夢?」
「うん。シア王女と、彼女の双子の姉であるリア王女の ―― 」
 ハッ、と小さく息を呑む音が聴こえて顔を向けると、あからさまにアレスが動揺を浮かべていた。それはすぐに真剣な表情に変わり、青い目には痛みを堪えるよな、苦しげな光が揺らめく。アレスがすべてを押し隠してしまう前に、私は続けた。
「お願い。私の協力が必要だって言うなら、隠してることを全部話して。そうじゃないと、あなたを信頼できない」
「シア……」
 戸惑った表情で私を見て、アレスはまるで何かを求めるかのようにシア王女の肖像画に視線を移す。まっすぐに見つめる横顔は、悲しげでさえある。彼はそっと、瞼を下ろした。
 暫く沈黙が続いたけれど、やがて彼は迷いを断ち切るように目を開けて私に向き直った。
「月の第一王女はね」
 その声が僅かに震えているように聴こえ、思わず手を握り締める。緊張しているせいか、手の平が汗ばんでいた。それなのに、握り締めた手がどんどん冷たくなっていくような感覚がある。悪い予感、そんな言葉が脳裏の片隅に浮かぶ。
「アレス……」

「月の第一王女は、シアを殺したんだ ―― 」

 告げられた言葉に衝撃を受ける。だけど何よりも、そう言ったアレスの口調に宿る悲しみや苦しみそして憎悪に、胸を貫かれるような鋭い痛みを覚えた。




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