Word Lond
11 事実と偽り
ああ、ったく。なんてザマだ。
ナノは苦い顔で息をついた。静まり返った場所では、その気がなくても自分の無様振りを
思い出してしまう。あっさりと皇帝に捕まるなど、このナノ様ともあろう者が。
それでもいつまでも引き摺っているわけにはいかない。
「ナノ……?」
うっ、とうめき声とともに目を覚ました男たちに気づき、ナノは牢屋の中央に移動した。
「おっ、ようやく起きたか」
下手な不安を最初から与えると混乱を招く。そのために、ナノは明るい口調でそう声をかける。
次々に目を覚ました男たちは、自分たちの状況を把握しようと暗闇に目を凝らした。
「捕まったのか……」
絶望めいた声があがった。
すっ、と目覚めてすぐに現状を把握したランクがナノの傍に寄り、同じように油断なく周囲を見回して小声で発した。
「どうする、地下牢は脱出するのは困難だぜ」
ナノは作戦を立てたときに見た見取り図を思い出す。確かに地下牢は犯罪者を放り込むだけあって、
厄介な場所にあった。容易な策では全員無事に脱出、とはいかない。だが、ナノには仲間を
見捨てることはできなかった。
――― なにか方法が。
抜け目なく、周囲を見回す。
牢の側に見張り番の兵はいないが、唯一の出入り口がある階段を上がっていった先には、数人の見張りがしっかりと立っているだろう。
牢は頑丈な岩で隙間なく作られている。苔臭さが広がる中で目覚めたばかりの数人が具合悪そうに青ざめた顔をしている。最もそれだけが理由ともいえないだろうが。
「ラン……」
仲間の名前を呼ぼうとした瞬間、出入り口を塞ぐ重厚な扉が開いた。暗闇の中に明るい日差しが差し込み、
兵士たちが姿を見せた。
(なんだ……?)
ざわめく牢の中の男たちをよそに、兵士たちは無言で階段を下りてくる。よく見ると、
何かを引き摺っていた。がちゃり、と牢の扉が開いて引き摺ってきた者を無造作に放り込んだ。
「ロイル?!」
兵士たちはすぐに踵を返して地下牢を出て行った。
ナノは慌ててロイルの傍による。他の仲間たちも同じように囲んだ。
「おいっ、大丈夫かっ?!」
「ああ……。たいしたことじゃない。騒ぐな」
やけに落ち着いた態度でロイルはそう口にした。
「まったく。どうなってんだ、おまえまで」
苦々しく呟くと、ロイルが不意に宙を睨んだ。ナノはその様子に眉を顰める。同時に思い出した。
自分たちが捕まってしまった原因を。懐に手を忍ばせる。こっそりと隠していた小指ほどの大きさの短剣の柄を握った。取り出して、刃の部分を二本指で数回擦る。小さく呟いた呪いに、ロイルがハッと小さく息を呑む音が聞こえた。かまわず、その剣をロイルが見ていた方向に投げつける。
――― シュッ。
鋭く切っ先が宙を切り裂いた。だが「パンッ!」と破裂するような音を立てて剣は弾き飛んだ。
緊張感が漂う。仲間たちも驚いたように剣が破裂した場所を息を呑んで見つめていた。
「……はずしたか?」
「いや、かすった。気配が消えた」
間を置いてそう問いかけると、ロイルが頭を振って答えた。ほっと、胸を撫で下ろす。
命中することは期待していなかった。ただ追っ払えればいい。しかし ――― 。
「皇帝は、闇の者を味方につけているのか」
「ああ。皇帝の腹心だ。他の貴族たちは何も知らないがな」
「おい、ナノ。闇の者ってなんだよ?」
ランクが眉を顰める。どう説明したものか、とナノが思案していると先にロイルが口を開いた。
「そんなことより、あんたたちはここから脱出してくれ」
話を逸らされてムッとしかけたランクを視線で抑えて、困惑したように言う。そんなことあっさり言われても、脱出できるならとっくにしている。不満げな周囲の視線に構わず、ロイルは立ち上がると牢の隅に歩み寄った。岩壁の一番端にある大きな岩をこつん、と拳で軽く叩く。
「ロイル?」
訝る声を無視して、ロイルは叩いた場所の岩に手の平を重ねた。不意に手の平から光が溢れ出して、ひとつの光文字が現れる。それは吸い込まれるように、岩の中に消えていった。途端、その岩を中心にいくつかの岩が微かな光を放ち始めて、スッと消えた。
「ここから出られる。先は、城外だ」
ロイルの言葉に牢内がざわめく。
唐突に現れた抜け道を素直に通れるほど、場数を踏んじゃいねえわな。罠だと訝っても仕方がない。
案の定、先ほど無視された意趣返しかランクが鼻で笑った。
「信じられるかっ。おまえは、裏切り者だろっ?!」
「ランクっ!」
「思い出したぜ、ナノ。ロイルってあれだろ。元近衛隊の ――― っ」
その言葉に、他の奴らも騒ぎ始める。
「近衛隊っ?!」
「しっ、信じないぞっ。俺たちを逃がすふりして殺す気だっ」
混乱の始まった仲間たちに、舌打ちしたい気分になりながら、あくまで冷静に声をかけた。
「おい、静かにしろっ。衛兵に見つかったらそれこそ終わりだ」
そう告げると、ようやく静まり返る。ランクがどうする、と探るような視線を向けてきた。
どうするったてなあ。冷静に考えたところで、答えはひとつしかない。このまま牢屋に入っていても、殺されるのは確かだ。ロイルに視線を向ける。まっすぐと見つめ返してくる目は、嘘を隠しているようには思えなかった。
「ランク……」
右腕でもある男に、視線を向けてそう名前を呼ぶと、それまでの剣呑な雰囲気を消して、やれやれと小さく肩を竦める。
「ったく、わかったよ。わかりました」
そう言って、ランクは躊躇いなく抜け道に足を踏み入れた。ランクに続いて緊張が解けたのか、仲間たちが次々と進んで行く。ナノも最後に続こうとして、ふと足を止めた。
「ロイル、お前は行かないのか?」
振り向くと、ロイルは格子に背中を預けて、目を閉じている。動こうとしない様子に訝り、そう問いかけると、目を開いて真剣な顔つきで言った。
「俺は残る。フィアがいるんだ」
――― なんだって?!
気づいたときにはロイルの胸倉を掴んでいた。
「何でフィアがっ……まさかっ!?」
頭の中で疑問に思っていたことが繋がる。闇の者を従えている皇帝が自分たちをあの瞬間に容易く殺さなかった理由。それは恐らく、そこまで考えて怒鳴りつけた。
あのときの皇帝の言葉が、背筋が凍りつくくらい暗く冷たいあのときの声が、脳裏によみがえる。
「どうして止めなかったんだっ?! 危険だとわかってただろっ!」
「……俺にはあいつを止める権利はない。俺はただ……」
ロイルの目が悲痛に揺れるのを見て、言葉を失った。ぎゅっと拳が強く握りこまれていて、感情を押さえつけていることがわかる。それでもただひとつの決意であるかのような声が、牢の中に響く。
「どんなことがあっても、あいつを守るだけだ」
その言葉に、掴んでいたロイルから手を放す。冷静になって考えれば、どうせ止められたはずがないと思い直した。思い込んだら一直線。そういう性格は自分の恋人とそっくりで、そうなると気がすむまで見守るしかない。勿論、恋人という存在と、長年の付き合いという関係から相手の引き際を見極めているため、止めることも難しくはない。それを思うと、ロイルのフィアに対する態度はどこか一線を引いているように思えた。
幼馴染だけ、という枠をとっても。ロイルのフィアを見る目が罪悪感に揺らめいていたことを思い出す。だからこそ、完全には信用できないと思っていたことも。
(……このまま独りにするわけにはいかねえよな。)
即座にそう判断する。それに一人で帰ったとあれば、シーナの激怒は想像するまでもない。
ふっ、と力を抜くように息をついて、がしゃん、と音を立ててロイルの隣に寄りかかった。
「……行かないのか?」
驚いたようにロイルが目を見開く。小さく肩を竦めて、抜け穴に視線を向けたままその問いに答える代わりに、別の言葉を口にしていた。
「聞かせろ。フィアは何だ。皇帝と闇の者の繋がりは?」
小さく息を呑む音が聞こえる。暫くの沈黙。
重い空気が二人の間に圧し掛かる。だが、ロイルは諦めたように口を開いた。
「あんた、月の神殿の役目を知ってるか?」
「ああ。国のシンボルである月の女神を崇めるために、作られたもんだろ。だから、一般国民にも開放されていた」
「じゃあ、月の女神がどうしてこの国で崇められているかは?」
それはこの国の者なら幼い頃に必ず聞く、言い伝えだ。
昔、暗闇が支配する国だったこの地に降り立った月の女神が、荒れ果てた姿に哀れみ、一筋の光を差し込んだ。その一筋の光に希望を得た民が、その光を集めて神殿に奉った。民が光に願いを捧げると、ひとつ、またひとつと望みが叶って、やがてこの地は暗闇を退け、人々が暮らせる豊かな地になったという伝承 ―― 。
「実はその中でもうひとつ、隠された話がある。月の女神が降り立ったとき、国を支配していた闇の神は月の女神に惹かれた。だが、月の女神は荒れ果てた地を放っておく闇の神が許せずに、封印したんだ。人として生き、この国を導いていくように。だが……」
闇の神にはその想いは通じなかった。
牢屋に響くロイルの声がやけに冷たく感じた。ひんやりと周囲を包む空気に、思わず身体が震えそうになるのを、ぎゅっと手を握り締めることで堪えた。それでも、握り締めた手の平がじんわりと汗ばんでいるのを感じる。
「闇の神も月の女神を封印した。常に、自らの傍にあるように。互いのその力を封印した場所にやがて、建てられたといわれるのがあの、月の神殿だ」
壊れた月の神殿。闇の者を従える皇帝。皇帝により存在を隠されていたフィア。ひとつの導き出される答えに、ぞわりと背筋に冷たいものが走る。それでも、聞かずにはいられなかった。
「……つまり、皇帝がその闇の神の生まれ変わりで、フィアが月の女神の」
「生まれ変わりなど恐らく、この国が成り立ってからいくらでも現れただろう。だが、あの男は、記憶を持ってるんだ。だから、自らの力が封印されている月の神殿を壊したんだ」
――― 記憶。
それを持っているあの皇帝の望みは何なんだ。
『国民の望み……。豊かな土地、飢えることなどない食料。それと、なんだ。争いのない国か?』
嘲笑いながらそう告げた皇帝を思い出す。すべて叶えようとまで、まるで夢見るように言ったあの真意には何があるのか。思案しながら、ふとあの時見た、壊れて瓦礫と化していた月の神殿が浮かんだ。
「待てよ。その力を封印した月の神殿が壊されたってことは、皇帝の……その闇の神としての力は戻ったってことか?」
そう言ってロイルを見たとき、漆黒の目に悲しげな光が宿った。小さく首を振って、痛みを押し隠すように告げる。
「……多分、その事実にいち早く気づいたカイルが何かをしたんだ。だから月の神殿を壊しても皇帝に力は戻らなかった」
カイル、という名前にぴくりと反応するのがわかった。シーナからフィアとロイルの幼馴染だったと聞かされた。同時にフィアの恋人だったとも。
推測の範囲でいうなら、神官だったカイルは皇帝の思惑に気づき、力を戻さないために何かを行なった。そのために殺されたのか。
「ロイル。お前は何か聞いてないのか? 皇帝が力を取り戻すにはどうする?」
カイルの言葉を思い出そうとするように、ロイルは考え込んだ。だが思い当たることがないのか、首を左右に振る。最も、わかっていれば阻止しているだろうが。
嫌な予感がする。そうまでして皇帝に力が戻ることを止めようとしたカイルを思うなら、けしていい方向にその力を使おうと考えているはずがない。
「とりあえず、フィアを助けることが先決なんだ。皇帝の傍に置いてはおけない」
その言葉に頷く。それは勿論だ。だが、何かが心の中で引っ掛かっていた。
重大なはずなのに思い出せない ――― 。
心の中で燻る疑問を抱えたまま、どうやってフィアを救い出すか、ロイルと計画を立てることに専念した。
リーファン=ロイル?
――― あの神殿を守れなかった責任を取らされたんだよ。