Word Lond
14 裏切りの過去
「おいっ、ランク! ナノっ! ここだっ!」
外壁に向かって走っていると、一部崩れている場所で、他の仲間たちが見張りをしていた。周囲を警戒しながら、仲間たちが外に出る。後に続いて、ランクが飛び出し、ナノが出る。そのまま、ロイルがフィアを引っ張って出ようとして、
「 ―――― っ?!」
フィアの手が、びりっ、と弾かれた。
「フィアっ?!」
驚いたナノたちに名前を呼ばれるが、呆然としてしまう。恐る恐る、足を踏み出そうとして、バチッ、と同じように痺れる感覚が走り、慌てて退ける。まるで、外との境界線を引かれたように、外に出ることを阻んでいた。
「……フィア」
手を繋いだまま背後に庇うように立っているロイルに視線を向ける。あの男に言われた言葉の意味を悟って、二人とも息を呑む。
近衛兵たちが追いかけてくる音が聞こえてきた。
このままだと、また全員が捕まってしまう。それはできない。
ロイルの目をまっすぐ見つめる。
「ロイルは行って。私は大丈夫。殺されは……しないから」
笑って言う。繋いでいた手を外そうとして、しっかりと握り締められた。
「だめだ。一人にはできない。俺は、お前を守る」
「ロイルは殺されるわっ! 大丈夫っ、私ひとりなら何とかなるからっ!」
「俺はっ、お前を守るって決めたんだ!」
どんなに手を外そうと抗っても、強い力が込められた手は握り締められたまま、その言葉に、胸がぎゅっと押さえつけられる。伝わってくる想いが、嬉しくて ―― だけど、どこか切なさが残る。それでも、見つめ合うロイルの目にはまっすぐと真剣な光が浮かんでいて、逸らせなかった。
不意に近づいてくる近衛兵の声に、ハッと我に返る。ロイルは外にいるナノに声をかけた。
「フィアは絶対に守るからっ、だから、信じて待っててくれっ!」
「ロイル! とりあえず、これを持っていけっ!」
ナノはそう言うと、懐にまだ隠していた数本の短剣が包まっている黒い布をロイルに渡した。ひとつ頷いて、ロイルは「行くぞっ」とフィアの手を引っ張った。フィアも頷いて、ナノを振り返る。
「……皆のこと、きっと、守ってみせるからっ」
ナノもフィアの言葉に頷き返して、優しい眼差しを向けてくれた。信じてる、と強い光を宿している。それを受けて、フィアは意を決してロイルと繋いでいる手に力を込めると、共に走り出した。
二人の後ろ姿を見ながら、ナノはランクに声をかける。
「今から光術に詳しい神官の元に行くぞ。闇の者に対抗できるのは光術しかない。急ぐぜっ」
真剣な面持ちのナノに余計な言葉を挟まず、ランクたちはお互い頷いて、走り出した。
ロイルは追いかけてくる衛兵たちを避けながら、開け放たれたままの窓から建物の中に足を踏み入れた。室内に入って、壁際に身体を落とす。外を駆け回って探している音を身体を潜めて聞いていた。
「……兵士たちは誤魔化せても、あの男には気づかれるよね」
それはきっと、皇帝にも繋がる。そうだろうな、と同意しながらロイルは周囲を見回していた。
離れていく声にとりあえずほっと胸を撫で下ろす。すでに夕刻になっているために、明かりのない部屋は薄暗く、騒ぎ立てなければ一先ず気づかれることもないはず。そう考えて、改めて部屋を見回す。
とても質素な部屋だった。古木で作られた本棚にはぎっしりと古書が並べられている。他に物と言えば、使い古された机と椅子。布団が綺麗に片付けられているベットである。片隅に、数着しか置くことができないような、小さなタンスが置かれているだけだった。
先刻見た自分のいた部屋に比べればあまりに質素な部屋だった。
けれど、懐かしい想いがよぎる。
そっと、机のうえに触れる。この空間が優しい、と感じるからかもしれない。
「此処は……、カイルの部屋だったんだ」
ふぅっ、と溜息をついたロイルが自らの髪をくしゃり、とかきあげて言った。
――― カイル、の部屋……。
そう言われて、それはすんなりと納得できた。指輪を見たとき、あの声を聞いたときと同じ、感覚。
「あいつは、皇帝のことを調べていたんだ。そこで、闇と月の伝説を知った」
「闇と月の伝説?」
それなら、と言いかけた言葉を遮って、ロイルはナノにも話したという、国民に伝わっているものとは違う、もうひとつの伝説を教えてくれた。
「それって……」
聞き終えた瞬間、嫌な予感が一気に駆け巡る。
皇帝が執着する理由が他にわからない。だけど、事実として受け止めるには、重すぎる気がした。自分が月の女神の生まれ変わり?
そんな記憶など欠片もないのに。
「カイルからそこまでは聞いていたんだ。だけど、あいつは、皇帝を止めてみせるから、って言ったまま ――― 」
死んだんだ、という言葉を飲み込んで、ロイルはそっと瞼を伏せた。
それを見て、フィアは自らの指に嵌めているカイルの指輪に視線を落とした。反対の手で触れようとして、ちりっと火傷するような痛みを受ける。
「 ――― っ!」
慌てて手を離した。
その瞬間、再び脳裏に火が燃え上がる光景が浮かんできた。同時に、低く誘うような甘い声が、頭の中に強く響く。
(「神殿に火を放ったのは」)
あのとき、男が言いかけた言葉。
「 ――― フィア?」
異変を感じたのか、訝るようにロイルが名前を呼ぶ。その声が、どこか遠く聞こえた。
「あ……ああっ……」
まるで神殿全てを燃えつくすように、炎は勢いよく、燃え広がっていく。
目の前の祭壇には、倒れている青年の姿。呆然と立ち尽くす自分、そのとき、腕を強く引いたのは ――。
『フィアっ! 何でこんな所にっ?!』
『カイルっ、カイルがっ! ロイル……カイルがっ!』
炎に包まれていく祭壇を示しながら、必死で叫ぶ。傍に駆け寄ろうとしたとき、強く腕を引かれて、抱き締められた。
『だめだっ、もうあいつは死んでる! 火に巻き込まれるぞっ、逃げるんだ!』
――― 死んでる。
ずっと一緒だった幼馴染をそう切り捨てることができる、ロイルが信じられなくて、見上げる。ふっと、ロイルの近衛隊の服装が目に入る。同時に、違和感を覚えた。脳裏に刻まれているカイルの姿 ―― その胸を貫いていたのは、
『逃げるぞっ、フィア!』
手を引っ張って、走らせようとするロイルの手を逆に強く引っ張って動きを止める。
『……フィア?』
困惑したように眉を顰める。その目には不思議そうに問いかけてくる光があって、それをまっすぐ見返しながら、繋いでいた手をむりやり外した。
『……ロイル。あなた……剣は?』
衛兵の ―― それも近衛隊ともなれば、剣の所持はどんな時であれ、必須である。しかも、身元がわかるように、その剣の柄部分はひとりひとり、それぞれ違う細工が施してあった。ロイルの場合は、柄のところに小さなルビーが二つ上下に向かい合わせて埋められている。近衛隊に入隊したときに与えられたその剣をロイルはとても大切にしていた。
『……っ!』
一気にロイルの顔が強張るのを見て、脳裏に記憶が閃く。
月の光に反射して紅く煌くルビー。
『……フィア』
『いやっ、来ないでっ!』
後退り、呆然と見つめてくる目を睨み返す。
――― 信じられない。
『嘘でしょ、あなたが……』
喉が焼けつくように熱くなって、言葉が途切れる。何かを言おうと、ロイルの口が開いた。
『 ――― ロイル、役目は終えたのか?』
視界に広がる炎の奥でそう、声が響いた。炎と煙に遮られて、その姿はわからなかったが声は ―― 言葉だけはしっかりと聞こえてきた。
『役目?』
疑惑を覚えながら、それでもロイルを信じたいという気持ちが、壊れていく。
ごぉっ、と大きな音を立てて全てを焼き尽くすかのように燃え上がる炎に気づいて、ロイルはハッと我に返ったのか、切羽詰った表情を浮かべた。
『フィアっ! お前には後できちんと謝罪するっ! だからっ、逃げよう!』
つかもうと伸ばされた手から、更に後退さる。
(謝罪する? なにを? ――― なんでっ?!)
カイルの微笑む顔。祭壇の上に倒れていた姿 ――― その胸に深く突き刺さっていた剣。月明かりに反射したルビーの……。
『いやぁぁ ――― っ!』
捕まえようとする腕から必死に逃げて、炎に包まれていく神殿を後にした。追いかけてくる兵士たちの声が聞こえたけれど、ただ、逃げることで頭がいっぱいで。
『フィア姫っ! お待ち下さいっ!』
背中にかかる声。だけど、追いかけてくる気配は、ざわりとどこまでも捉えようとする闇のようで。
捕まってはいけない、とそれだけで必死だった。
(カイル! カイル! カイル……!)
ぎゅっと手の平を握る。
不意に背後からかかる声に切羽詰った口調を感じ取って、瞑っていた目を開けると、目の前に崖が見えた。
( ――― 私。)
きっと、いま捕まったら、二度とあの部屋から出してもらえなくなる。今まで以上に厳重に監禁されてしまう。そんなのはイヤ。お兄様以外とは会うことも話すことも許されず、友達もできないで、ずっとひとりだった。それでも生きてこれたのは、カイルがいたからだったのに。ロイルがいたからだったのに。
信じられるひとが、いないなら ――― 。
『カイル、私も一緒に ――― 』
そう心で告げて、カイルからもらった指輪にそっとキスをする。そうして、躊躇うことなく崖を飛び降りた。
落ちていく中で、指輪が眩く光り温かく包んでくれるのを感じたような気がした ――― 。