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Word Lond

15 深哀

 「嘘ッ!」

 突き刺す声で叫ぶと、ロイルの目が驚愕に見開かれた。

 「死んだんだ、なんてそんな……っ、カイルを殺したのはっ!」
 「……っ! フィア、記憶が……っ?!」

 訝りながらロイルが近寄ってきた。それに首を振りながら、一歩ずつ後退さる。

 「カイルを殺したのは、ロイ……」

 「違うッ!」

 酷く狼狽した顔つきで怒鳴られて、小さく息を呑んだ。

 沈みかけている太陽の光を受けているロイルの表情は、苦しみに歪んでいて、悲しげに揺れる光が瞳に浮かんでいる。胸がずきり、と痛んだ。それでも、自分で見たあの光景は、変わらない。確かにカイルの胸に刺さっていたのは ―― 。
その姿が脳裏に閃いて、感情が爆発する。

 「何が違うのっ!」
 「フィア?」
 「あの剣はロイルのものだったじゃないっ! カイルの胸に刺さってたのは、確かに ―― 」

 再び思い出した光景に、眩暈を覚えてぐらりと足元がふらついた。抱きとめようと、ロイルが腕を差し伸べてくるのを、反射的に振り払う。

 「 ――― いやっ」
ぱしん、と乾いた音が部屋の中に響いた。

 呆然とロイルを叩いてしまった手を握り締めて、顔をあげる。ハッと、我に返った。深く傷ついた光を宿す目が、じっと見下ろしていた。陰りを帯びたその目は、寂しげに揺れている。
 ( ――― どうして、そんなに傷ついた顔をするの?)
 愛する人を殺されて、親友だと ―― 幼馴染だと思っていた人に裏切られて、傷ついているのは自分のはずなのに。深く刻まれたその暗く、傷ついた目に、戸惑う。その目に見つめられていることが耐え切れなくて、じりっ、と後退さった。もう、どうすればいいのかわからない。自分の気持ちに混乱したまま、フィアは手の平をぎゅっと握り締めた。

 「フィア。俺は本当にカイルを殺してはいないんだ。ただ ―――……」
 優しい、だけど苦しげに、まるで懺悔を告白する罪人のような悔恨の響きを含ませた声で、ロイルは言葉を続けた。

 「神殿に火をつけたのは、確かに俺だ。でもそれは、皇帝に命令されたからだ」

 だが、と悔しそうにロイルは手の平を握り締めた。憎悪を込めた光を宿して、続ける。
 「カイルの死体を貫いてるのが俺の剣だと気づいたとき、皇帝の思惑に気づいた。あいつはカイルを殺すだけじゃなく、おまえを俺たちから引き離すつもりだった」
 「だったらどうして、あなたに私を探させたの?」
 引き離すつもりがあったなら、ロイルでは不向きだと思う。もしも記憶喪失でなければ、ロイルを見つけた途端、また逃げ出していたかもしれなかったはず。少なくとも、城に戻る気にはならなかった。
 そう問いかけると、ロイルも顎に手をかけて思案する。

 「それは俺も推測できる範囲だが、恐らく皇帝や闇の者にはおまえの気配すら掴むことができなかったんじゃないか。居場所を探すことが出来なかった。だから唯一、おまえを知っている俺に探させるしかなかったんだ」
連れ戻せるかどうかはともかく、居場所さえわかれば後はどうとでもなると。
そう聞きながらも、まだ信じられない気持ちが残る。嘘じゃないとは思う。
 (でも ――― 。)
 戸惑いながら視線を彷徨わせていると、不意にちりっと嵌めている指輪が熱を持った。同時に首にかけてある指輪が淡く光り始める。

 「えっ…あっ……?!」
 「フィア!」

 唐突にロイルに抱き締められる。だけど、不思議と怖いとは思わなかった。あの崖から飛び降りたとき。そうして先刻、皇帝に襲われそうになったときに救ってくれた光。熱はなく、優しく温かみをもっている光がほわりと、二つの指輪から離れてひとつになり、形を作る。まるで、光に覆われた人のようだった。

 錆色の長い髪と整った美貌には穏やかな面差しがあった。月の光と同じ澄んだ金色に煌く瞳が優しい光を宿していて、静かな眼差しで見つめられている。その姿を見た途端、懐かしさと愛しさが一気に心に溢れてきていた。

 胸がぎゅっと切なく痛む。

 名前を呼ぼうと開きかけた唇は、ただ震えるだけで言葉を紡ぎだすことはできなかった。

 「 ――― カイル」
代わりに、ロイルが驚いた声で呼ぶ。

 『久しぶりですね』

 悪戯が成功したような顔つきで、ふっと微笑むとカイルはそう口にした。

 「……っ!」
 聞き慣れた、誰よりも愛しい声に、胸が詰まる。無意識に駆け寄ろうとしていたのをカイルが困惑した顔つきで止める。
 『すみません。触れられないのです。これは、光術による幻影ですから』

 ――― 幻影。

 その言葉に足を踏みとどめる。気がつくと、ロイルの手にぎゅっと繋がれていた。まるで、引き止めるように。それを見たカイルが少し寂しげに微笑む。

 『今は光術で気配を誤魔化していますが、すぐに見つかるでしょう。時間がありません』
フィア、とカイルの声に名前を呼ばれる。ただそれだけで、胸が熱くなる。まだ、こんなにも。――― こんなにも、愛してるのに。

 まっすぐと見つめ返される目には、穏やかでありながらも、芯の強い光が浮かんでいる。溢れてくる感情を押さえ込んで、続く言葉を待った。

 『月の神殿があった場所へ向かって下さい』
 思いもがけない言葉に小さく息を呑む。目を逸らさずに、カイルは更に続けた。

 『月が消えたとき、皇帝は闇の力を取り戻すでしょう。彼はその力でこの世界に住む人間を支配するつもりです。いえ、支配というより、滅ぼすというほうが正しいのかもしれません』
 「そんなっ……」
 『神殿が壊されることに気づいて、咄嗟に月術を施し、闇の力を封印しました。しかし、月が消えてしまえば闇の力は強まり、私のかけた封印はすぐに破られてしまうでしょう』
だから急いで、と言うカイルの言葉に戸惑う。不安げな顔をしていることに気づいたのか、カイルはふっと優しく微笑んだ。少し、懐かしむように目を細める。

――― 覚えてますか。
そう問いかけてくる声はとても穏やかだった。

 『ロイルと地下牢に閉じ込められたとき、貴女は泣いて謝りながら地下牢の外壁に必死に術をかけ、壊そうとしていました。でも、ひとりではわずかに穴を作るだけにしか至りませんでしたね』
 我侭を聞いてくれたロイルとカイルの二人が悪戯の主犯として捕まってお仕置きだと、地下牢に入れられた。お姫様暮らしの自分にとって、地下牢という冷たい言葉の響きは想像を膨らませ、とても人間が入っているような場所ではないと絶望した。だから慌てて部屋を抜け出して自ら助けに向かった、あのとき。
 「だけどカイルとフィアがそれぞれ内と外で術を重ね合わせて抜け道を作ることに成功したんだよな。あれ、さっきも役に立ったんだぜ」

 それまで黙っていたロイルも懐かしげに言う。その言葉に微笑み返して、カイルは再び真剣な光を宿した。

 『あの時と同じ要領です。神殿のあった場所で私の封印の力を感じ取ってください。指輪が導いてくれるでしょう。そこで、あなたの力を重ね合わせて ―― そうすれば、路が開きます』

ゆらり、とカイルの幻影が揺らぐ。

 「待って!」

 まるで空気に溶け込んでいくかのように少しづつ薄れていくカイルの姿に慌てて叫ぶ。駆け出したかった。傍に行って、まだ ―― まだ伝えたかった言葉が、伝えたい言葉が今も胸の奥から溢れてきている。
 ( ――― 待って、待って!)
 フィアの言葉に微笑んで、カイルはその後ろに佇むロイルを見据えながら、強い口調で言う。

 『ロイル、フィアを守ってください』

「……俺でいいのか?」

 緊張感の孕んだ声でロイルが戸惑うように問いかける。カイルはまっすぐと見つめ返しながら頷いた。言葉には出さなくても、その動きにロイルも同じように頷き返す。それを確かめてから、またカイルは優しい笑みを浮かべた。そうして、フィアに視線を移す。

 「……もう、会えないのっ!?」
 不安で胸が押し潰されそうになる。こんなのは夢だと言ってほしい。全て夢で、目が覚めたらやっぱり優しく微笑んでくれるカイルがいて、「怖い夢でも見たんですか」と慰めてくれる。

 『また、いつか会えますよ。きっと。貴女が前へ進んで行く限り。この地が続く限りまた、きっと』

 その言葉に涙が溢れてくる。拗ねるように答えた。

 「結局、あなたはこの世界を私より愛しているのね」
何度問いかけても、そうだった。この世界を何よりも愛している、と躊躇いなく口にするカイルにいつもヤキモチを妬いていた。

『だけど、忘れないで下さい。私はあなたがいるこの世界が愛しいのですよ』

だから守って。

 そう続けたカイルは不意に手を伸ばしてきた。まるで頬に触れるかのように。それを感じて、頬に伸ばされた手の平に摺り寄せる。触れている感触はないけれど、まだ覚えてる。カイルの優しくて温かい手の平の温もり ――― 涙が零れる。その一滴が頬を伝って零れ落ちる瞬間には、カイルの姿は消えてしまっていた。

( ――― いかないでっ!)

 心の中の叫びは言葉にならないまま、ただ「カイル…ッ!」そう名前を呼ぶだけで精一杯だった。

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