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Word Lond

17 戸惑い

 夢を見ているのだ、と思った。目の前で対峙している二人の男女の姿に、フィアは何度も目を瞬かせた。男は髪も瞳も、闇を思わせる色。美しく整った容貌に、その色は人外を感じさせた。向かい合う女性もまた同じ雰囲気を持っている。違うのは、女性は優しい月の光を紡ぎ上げたような髪の色と琥珀の蜜を思わせる瞳をしていた。さっき見た月の女神の石像、そして幼い頃に読んだ本の挿絵になっていた月の女神と、闇の神に酷似していた。

 「あなたはいつまでこの地を放っておくつもりです?!」
 「何かをする必要があるのか?」
 冷たく返される声に、聞き覚えがあった。脳裏に、思い起こされる皇帝 ―― 兄の声と重なって、背筋がひやりとした。

 「このままではせっかくこの地に与えられた命のすべてが失われ、やがてこの地は滅びますよっ!」

 必死に告げる月の女神をその漆黒の瞳でじっと見つめて、闇の神はふっと嘲るような笑みを顔に浮かべた。

 「何が悪い?」
 虚を突かれた顔で瞠目した月の女神は、戸惑うように聞き返した。
 「今、何と ――― ?」
 「何が悪いのだ? この地が滅びようと、そこで勝手に育った命が滅び逝こうと、我に関係ない。まして、この地の支配者でもない、そなたにも、な」
 滅び逝くものは滅びればいい ―― そんな含みが聞こえたような気がした。

 「支配者であるというのなら、命続くように導くことが」
 「そんなに大事か。この地が。この地にある命が」

 月の女神の言葉を遮って、不意に闇の神は視線を周囲に向けた。それにつられるように目を向けて、ハッと息を呑む。二人が立っている場所は、荒れ果て ―― からからに乾いている地が続いているだけの場所だった。見上げれば、空も真っ暗に染まり、吹き荒む風も淀んでいる。

 「あなたが導いてくだされば、変わります。きっと。この地にはまだ命が在り続けているのですから」
 月の女神が大地を見渡す瞳には、まるで愛しい者を見るかのように優しい光が浮かんでいた。その顔を食い入るように見ていた闇の神は、目を細めて一歩、月の女神に近づく。

 「そこまで言うのなら、我と共にこの地を支配するか? 導いていくか?」
 月の女神は驚いたように闇の神に視線を戻した。
 「それは ――― 」
 戸惑うような震える声を発っして、月の女神はきゅっと唇を結んだ。更に一歩近づいて、闇の神は俯いた月の女神の顎に手を伸ばし、くいっと持ち上げる。

 「おまえが共にいるのなら、 ―― 我の傍にいるというのなら、この地を支配しよう」
 「 ――― 約束して下さいますね?」

 ごくりと、喉が鳴ったのは月の女神だったのか、フィア自身だったのかわからないまま、はっきりと頷いた闇の神を見た瞬間、強い風が吹いて、顔を覆った。

 「なぜですかっ?!」
 切羽詰った顔で月の女神が突っかかっていた。さっき見た月の女神の姿からすると、その美しさは損なわれてはいなかったものの、やせ細っているように見えた。顔色も悪い。けれど、対する闇の神は冷たい光を宿して月の女神を見ていた。
 「なぜ……、あなたはきちんと、この地を導くと私に約束を……」
 「さあ。そうだったかな。支配はするとは言ったが、導くと約束した覚えはない」
 聞いているだけで背筋がひやりとする口調でそう切り捨て、月の女神に背中を向けた。怒りで震える手をぎゅっと握り締めて、月の女神はその背中を睨みつける。

 「あなたという方はっ!」
 沈黙を守る闇の神に、限界を覚えたのか、月の女神は毅然とした態度で言い放った。

 「あなたに神でいる資格などありませんっ。大地を、命を導けない神など ――― っ!」
 光を纏った剣が月の女神の手に握られていた。躊躇うことなく、背中を向けた闇の神に向かって斬りつけ ――― 。

 「フィアっ!」
 急に名前を呼ばれて、意識を取り戻した。目の前には、心配そうに覗き込んでくるロイルの顔があって、目が合うとほっとしたように肩の力を抜いたようだった。

 「……よかった。大丈夫か?」
 気遣うようにそう問いかけられて、うん、と頷きながらロイルの腕から起き上がろうとして、右手に固い感触があることに気づいた。

 「これ……」
 視線を向けると、光を纏った剣が手の中に納まっていた。起き上がってから、剣を持ち上げて戸惑うように隣に視線を向けると、ロイルは不思議そうな顔つきで剣を見ていた。闇の中でほわり、と光を放っている剣は、まるで月の光を思い起こさせる。
 同時に、そういえば、月の女神が持っていたものと同じものだと気づいた。

 「フィア様。それをこちらに渡していただきましょう」

 不意にそう声が響いて、ロイルが咄嗟に腕を引いて庇うように背中に身体を押した。手に持っていた松明を揺らすが、姿どころか、気配さえもつかめない。ロイルは空いている手に剣を構えて、周囲に油断なく視線を向ける。

 「無駄だ。闇に仕える者にこの闇の中で勝てるはずない。大人しくしていろ」
 「うるさいっ。もうお前たちの命令など二度と聞くものかっ!」

 ロイルがそう言い放った瞬間、風を切るような鋭い音が鳴った。
 「 ―――― っ!」
 ロイルの頬に一筋の傷が走っていた。ロイル、と声を上げようとして、その横顔に押し黙る。静かに、と言っているように見えた。

 「闇に切り刻まれ、恐怖に怯える姿を見るのは、我々にとっては糧になる」
 声は闇の中に反響する。ロイルは手に持っていた松明を放って、両手で剣を握り直した。

 「フィア様。その剣を渡し、皇帝陛下のお傍にお行き下さい」

 語る言葉がフィアに向けられる。ロイルへの口調とは違って、柔らかい言葉遣いに小さく息を呑んで、フィアは気にかかったことを問いかけた。
 「皇帝の目的は何なの……?」
 不意に降りた沈黙が、返事を迷っているように感じられた。
 「……あの方の望みはたったひとつです」
 その望みが何かを知りたいのに。
 フィアが更に問いかけようとしたとき、ロイルが何かの気配を掴んだのか「そこだっ!」と声を上げて闇の中に切りかかった。
 「ロイル!」

 シュッ、と空気を切り裂く音を立てて、闇の中に一瞬だけ光が煌く。ロイルはすぐに身体を翻して、戻ってきた。

 「くそっ。結界があって踏み込めなかった……」
 「だから無駄だと言っただろう」
 その声と同時に再びロイルの腕と足に傷ができる。
 「 ――― っ?!」
 闇の中でもぬるりと滴り落ちる赤い血だけはわかった。気配さえ掴めずに、どこから攻撃されるのかわからなくて、避けることもできない。次々とロイルの身体が傷ついていく。耐え切れずに、がくりと膝を突いた。
 「もうやめてっ!」
 そう叫ぶと、ロイルへの攻撃が止んだ。

 「剣を渡すから……。私、皇帝のところに……」
 「フィア!」
 制するようなロイルに、視線を向ける。
 これ以上、誰かを失うのは嫌だった。大切な幼馴染を失いたくない。大丈夫、と微笑んで、今度はロイルを背中に庇った。一歩前に出て、剣を前に差し出す。

 「いいでしょう」

 闇の中からそう返事があった瞬間、反対側から切羽詰った声が響いてきた。

 「フィアっ、ロイル! 目を閉じてろっ!」

 言葉を理解する前に、急に腕を掴まれて引っ張られると、視界を覆われた。けれど、それさえも突き抜けてくるかのように、光の洪水が闇の中に溢れてきていた。
 「 ――― っ、うわああっ!」
 いつも冷静な闇の塊から、叫び声が上がった。

 「大丈夫か?!」
 「ナノ!」
 ロイルが呼んだその名前にハッ、と顔をあげる。光は収まっていて、静まり返った闇の中でロイルの腕の中にいたことを知った。同時に、松明を手にして心配そうな顔で覗き込んでくるナノに気づく。

 「ナノ、それにランクさんたちも。どうして……」
 「お前たちが心配で。相手が闇の者だっていうから、光術に詳しい神官のところに行って対策をもってきたんだ」
 「まあ、切羽詰ってたから、あれくらいしかできねえけどよ」
 ナノの言葉を引き継いで、ランクが得意げに笑った。

 ほっ、と息をついてロイルの腕の中から離れて視線を周囲に向けると、光に包まれて苦しそうに眉を顰めながら、闇の塊が膝を突いていた。ナノが短剣を構えながら、前に立つ。

 「フィア。ロイル。ここは任せて、早く出るんだ!」
 「ああ、なんかやばいぜ。月が消えかけてた」
 その言葉に衝撃を受けて、息を呑む。
 ( ――― 月が消えかけて?)
 戸惑いながらロイルに視線を向けると、同じように困惑した目を向けてきていた。

 「……月の女神の剣が戻ったと同時に封印が解けたか」
 ふっ、と息をついて愉悦を含んだ声が響いた。気がつくと、苦しげにしていた闇の塊が光を収めて、立ち上がっていた。それでもダメージは強かったのか、ふらり、と足元が揺れている。

 「行くぞ、フィア」
 ロイルに引っ張られて、首を振る。ナノたちを置いていけない。
 「フィアちゃん。俺たちもすぐ行くって」
 ランクが安心させるように笑って、言った。ナノがいつもの飄々とした口調も表情もなく、真剣に見据えて口を開く。

 「お前にはやらなきゃいけないことがあるだろ?」
 呆然と見つめ返すと、その顔には柔らかい微笑みがあった。

 「シーナのもとに一緒に帰ろう」

 その言葉に、胸の中に温かいものが溢れてくる。実際に帰れるかはわからない。 ―― だけど、シーナが待っていてくれるあの場所へ帰りたい。戻りたい。

 「約束だからね」

 ナノに笑顔で言って、頷くのを確認してからロイルの手を握りなおした。ぎゅっと繋がれる手に戸惑っていた心が解かれていく。淡く光る剣をしっかり握って、ナノたちに背中を向けた。

 「 ――― ってことで、おまえの相手は俺たちがしてやるぜ」
 ナノは闇に見据えた目を向けて、輝く光を纏った短剣を構えた。闇は含んだ笑い声を発して、ゆらりと佇んだ。
 「人間など相手にもならない」
 「さあ。どうかな。人間ってヤツは意外な力を隠してるもんだぜ」
 蔑む闇に向かって、ランクはナノの隣に立ち、口の端をあげて言った。




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