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Word Lond

18 覚悟

 残してきたナノたちを心配しながら、地上に続く階段を上がっていく。上がりきっていたところに待っていたのは、皇帝の姿だった。

 「 ――― お兄様」

 そう呼びかけると、空を見上げていた皇帝がゆっくりと顔を向けてくる。その双眸には最後に見たあの、漆黒に染まった闇の瞳があった。皇帝の視線から庇うように、ロイルが剣を構えて前に立った。だけど、それでも皇帝の視線が突き刺さってくるような気がする。

 「お前も思い出したか。我も力を取り戻した。再び、我と共にこの地を ――― 」
 「お兄様……っ、あなたは支配するだけで、未来へ導こうとしない。いつだってそう! もう騙されないっ!」

 「 ――― 違う」

 皇帝の声が闇の中に落ちる。冷たい音なのに、なぜか切ない響きを感じ取って、目を瞠る。表情がないはずなのに、寂しげな影を落としているような気がして、胸が痛んだ。

 「我も最初はそうしようと思った。けれど、お前はこの地を心配するだけでずっと、我を見ようとはしてくれなかった。どんなに我が心を尽くそうと、この地だけを見つめていた」
 告げられた言葉が、ぐっと胸に突き刺さる。
 ( ―――― っ!)
 思いも寄らなかった告白に見つめてくる視線を逸らすことができなくなった。

 「やっと我のものだけにしたと思ったら、おまえは別の者を見るようになっていた。絶望したよ。あのカイルという男……」
 カイル、という名前に心が騒ぎ出す。身体が小さく震え始めた。喉の奥が張り付いて、問いかけることも出来ない代わりに、ロイルが訝るように口を開いた。
 「カイルと何があった? あいつはあんたに何を言ったんだ?」
 「あの男は我々の元となる闇の神と月の女神の話を持ち出してきた。それ故にフィアを閉じ込めているのなら、解放しろと言ってきた。それに、ああ。こうも言っていたか。フィアは自分が幸せにするから許して欲しいとも」
 その言葉を聞いた瞬間、ふらりと眩暈が起こった。カイルの面影が ―― 思い出が胸の中に溢れ出してくる。ずっと、自分の愛だけが大きいと思っていた。カイルは神官で、皆に優しくて、好きだと言われても、いつも皆に言っているような想いと同じなのかもしれないと自信がなかった。それに、カイルはとてもこの地を愛していたから。だから ――― だけど思うよりもカイルは。

 頬を熱いものが伝っていく。

 見つめてくる皇帝の顔が憎しみに歪む。向けられた漆黒の瞳には暗い炎が揺れ動いていた。

 「許す? 許せるはずがないだろう? 我がずっと求め続けていたものを横から奪うなど」
 「私はものじゃないわっ!」

 許せない。最初から、―― 闇の神と話しているときから思っていた。この地と引き換えにされたときも。幼い頃から閉じ込められていたときも。ずっと、自分の意思は無視されていた。

 「月の女神に力を封印され、人間として生まれてきた。この国の王として、時に導いてきた。しかし、幾百との年月が流れようとも、人間は変わらない。欲に揺れ動き、私服を肥やす。この地を穢してきたのは、我ではない。おまえが愛してきた人間たちだ」
 「でも、それだけじゃないっ。一生懸命に生きてる人だっているわっ。この地で生きようと、人を救おうと前を見てる者たちだっているもの!」
 「一滴の水では、地は潤わぬよ。全てを洗い流せばいい。全てを無に返して、新たに我とともに、」
 緩やかに首を左右に振って、皇帝は手を差し伸べた。

 フィアの言葉に耳を貸す素振りも見せずに、全てを拒絶している。闇の神を封印する前の姿と同じだった。彼の言う全てを否定しきることは出来ない。フィアだって、シーナたちと一緒にいるときに見てきた。私利私欲に傲慢になる貴族たちに、虐げられる者たちを。同じ人間だっていうのに、軽んじられる命を。ただ、その地位に生まれてきたのは偶然だというのに。
 だけど、彼らはそれでもこの地を愛しているという。だからこそ、理不尽な環境と戦ってる。それなのに、自分たちだけの勝手な判断で全てを無に返すなんて許されるわけない。たとえ、この地を作ったのが闇の神だったとしても。そこで生きているのは、彼らなのだから ――― 。

 「私はいや。あなたとは行かない。あなたがこの地を導こうとしないのなら、私が」
 「 ―――― ……仕方がない。いくら言っても聞かぬなら、再びおまえの記憶を封印しよう」

 フィアが剣を構えて立つと、一度静かに瞼を伏せて、皇帝はそう言葉を落とした。その手の中に、漆黒に染まる刃の剣が現れる。

 「覚悟はできているのか?」
 不意に問いかけられた言葉に、手の中の剣を確かめるようにぎゅっと握りこんだ。

 『 ――― 守ってください』
 夢の中でカイルが口にした言葉が脳裏に浮かんだ。守られているだけで、守ることができなかった、カイルの願いを ――― その想いを叶えたい。それは月の女神の ―― 自分の強い想いでもあるから。

 「フィア」
 優しい声で名前を呼ばれて、顔をあげる。ロイルの穏やかな瞳に見つめられて、頷いた。大丈夫。閉じ込められて、独りで寂しい想いを抱いていた頃の弱い自分じゃない。大切な人たちがいる。守りたいと願う想いがある。失いたくない。

 「覚悟はできてるわ」

 それならば、思う存分、歯向かうがいい ――― 。
 どこか愉しげに嗤ってそう告げると、皇帝は剣を構えた。
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