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Word Lond

03 指輪

 城がある街には、クリセント市場という他国の品々が交易される賑やかな場所があった。市場からは常に 値段の交渉の声が飛び交っている。新鮮な野菜、果物といった食べ物を始め、珍しい品々、果ては動物までも 売り買いされていた。この市場で売っていないものはない。そう周知されているほど、この市場は有名だと、 初めてシーナに連れてきてもらったとき、教えてもらった。
 それ以来、フィアはこの市場で様々な物を見て歩くのが楽しみになっていた。その土地でのみ採れる宝石。 細工の綺麗な鏡、甘く美味しい果物。変わった魚など、とても高くて居候の身分では買えないものばかりだったが、 見ているだけで今の自分の状態を忘れることができるくらいには楽しい気分を味わえた。

 「シーナ、今日は何を買うの?」
 きょろきょろと視線を彷徨わせているフィアが聞くと、メモしてきた紙を見ているシーナは苦笑を浮かべて、
視線を移した。
 「たいしたものじゃないわ。ほら、少しだけどお小遣いをあげるから、何か物色しておいで。いつものように、噴水のところで待ち合わせましょう」
 「え…。お小遣いなんていらないよ?」
 慌ててフィアはお店からシーナに視線を戻して、首を横に振った。何もせずに、ただシーナの家に居候している身で、そんなものがもらえるはずない。だが、シーナは半ば無理矢理フィアの手を取ると、その手の中に一枚の紙幣を押し付けた。
 「いいのよ。ナノの仲間が傷ついたとき、あなたも手当ての手助けしてくれるでしょ。その代金なの。
 見合った金額はあげられないけど、その場では受け取ってくれないじゃない?
 だから、こういうときにね」
笑顔でシーナが言う。

 確かに、ナノの仲間が傷ついてシーナの家に運ばれてきたとき、手当てをしていたシーナを見ている
うちに、 何かに導かれるように、その人の怪我の部分に触って、そのとたん、心に浮かんできた言葉を
発した。 その瞬間、手の平から光が溢れてきて、その人の傷を癒してしまっていた。
 自分でもそんな力があるとは思わなかった。
シーナやナノが言うにはそれは「癒し」の術で、熟練した神官でないと扱えないものらしい。
どうして自分がそんなものを使えるのかはわからないまま、それでもただの居候で何もできない自分が
嫌だったこともあって、せめて手助けになればとナノの運んでくる怪我人の手当てをすることになっていた。

 「でも、あれは居候の代金で…。このうえお小遣いなんてもらえないもの…」
 「フィア。いいから、こういうときはありがたーく、受け取っておきなさい。ね。好きなものでも買って、
 後で見せてね。じゃあ、後で。遅れないでよっ!」
 握らされたお金を返そうとした手を避けて、シーナは踵を返すと市場に溢れる人ごみの中に足早に
去っていった。姿はすぐに見えなくなる。
 「……気を使ってくれたのかな」
 夢にうなされて気分が落ち込んでいたことに見かねて、街まで連れてきてくれたということ。
いつもは一緒に買い物して、帰るのに、好きなものを見ておいでといわれた言葉で、それがどうやら
本当のところだったんだと改めて気づいた。
 「これ以上、シーナに心配をかけるわけにはいかないものね!」
 よし、と。勢いをつけて手の平を握り締めると、何かシーナのために彼女が似合いそうなものでも
買おうと、心に決めて市場に並ぶ店を物色し始めた。

 色とりどりの手触りのいい布地、特定の地域でしか採れないという宝石。
そういったものは目で楽しみながら、通り過ぎて。
ふと、きらりと。目の端に捉えたものにフィアは足を止めた。
 「これ……」
そう言いながら、手に取ったものは真ん中にサファイアの小さな宝石がついた指輪だった。
 フィアの眼に止まったのは、その指輪の形が持っているフィアの指輪とまったく一緒だったからだ。
 (どこにでもあるようなものなのかな…?)
そう思いながら、指輪を持つ手が震えてしまう。
じっくりと指輪を眺めながら、フィアはそれの裏側を見た。

―――――― どくんっ!

急激に胸が高鳴る。

『−Kail』と彫られている文字が、まるでフィアの持つその指輪と対にでもなっているようだった。

 「……その指輪に見覚えが?」
 唐突に話しかけられて、フィアはハッと我に返った。
店主らしき髭の生えた男が目の前に立っている。
 「お客さん、運がいいね。これは近頃、手に入ったもので物は小さいが、質が良い。とてもね」
 商売を始めた店主に、フィアは何も答えることができなかった。ただ指輪を持つ手が震える。この指輪を
見ているだけで、わけもなく胸が締め付けられるようだった。
 「この指輪…、いくらなんですか?」
 「それがね、この指輪を売りにきた男の言葉でね。この指輪に目をつけたのが少女なら、その娘が
 もっているだけのお金で売ってやってくれってね。だから、お客さんが持っているだけのお金でいいよ」
 その言葉に、フィアは多少の疑問は抱いたが、それでも指輪をもっとじっくりみたいという気持ちのほうが
大きくて、さっきシーナにもらったお金を店主に渡した。
 「……これだけかい? ああ、まあ約束だからね。いいよ、もっていきな」
 渡されたお金にがっかりした顔を隠そうともせず、店主はそういうと、フィアを追い払うように
しっしっと手を振った。
 「ご、ごめんなさいっ!」
 フィアはそう謝って、慌ててその店から離れた。

 フィアの姿が見えなくなると、品が並ぶ店の後ろにあるテントから濃い色のフードを被った男が
出てきた。腰には長剣がある。
 「シルバーブロンドの髪、この空と同じ、澄んだブルーの瞳をもつ少女。容姿もおよその年齢も
 あんたが言ってた娘と同じだったよ。これでいいのかい?」
 店主は後ろに現れた男に振り向くこともしないで、ただ手の平をほい、と肩越しに向ける。
 「ああ…。1年か…。世話になった」
 男はそう言うと、懐から小さな袋を取り出して、店主の手の平に置いた。じゃらり、と。
お金が数枚ほど入っている特有の音が鳴る。
 「まいどーっ!」
 店主は先ほど走り去っていった娘と同じ方向へと姿を消していった男の背中に向かって声を投げた。


――― どくん。どくんっ!!
さっき…。指輪を見つけてからずっと、胸の高鳴りが収まってくれなかった。
 人通りのない路地に入って、フィアはようやく足を止めた。
握り締めていた右手を開ける。手の平に乗る指輪に、胸が震えた。

 『……僕と結婚して下さいますか?』

脳裏を掠める声。
ぼんやりと浮かぶ面影。それだけで、胸が切なく痛む。
 (……あなたはだれ?)
 指輪に彫られている名前。『−Kail』 。
浮かぶ姿がこの指輪の持ち主なのかはわからなかったが、それでも、フィアにはそうだと確信めいたものがあった。
間違いない、と。
 もしかしたら、情報網の広いナノなら、何かこの二つの指輪から手がかりを探し出してくれるかもしれない。
まして、この市場で売られていたというなら、売った人間とかを調べられるかもしれない。そう気づいて、
それなら一目散にあの店から離れてしまったことが惜しまれた。
 戻ろう、と指輪を大切に懐に入れて、踵を返したとき。
市場に続く道を塞がれた。ハッと顔をあげると、人相の悪い男たちがにやにやと愉しげな笑いを浮かべて、
立っていた。すぐに、夢中になっていたとはいえ、路地に入ってしまった自分の浅はかさを後悔する。
 初めてこの市場に連れてこられたとき、あれほどシーナとナノに、裏町に続くいくつかある細い路地には
入り込むなと厳しく注意されていたのに。
せめて、自分たちが一緒にいるときにしろ、と。ナノに約束までさせられた。

ヒュッー。男たちが嬉しそうに口笛を吹く。

 「上玉じゃん。お嬢ちゃん、一緒に楽しもうぜ」
 「……っ!」
 じりっ。後ずさって、背後にも気配を感じた。振り向いて、同じような笑みを浮かべた男が道を塞ぐように
立っているのを見つける。そこにひとり。反対に二人。
 「そうそう、俺たちとイイコトしようぜ」
 ニヤニヤと笑う男たちが気持ち悪くて、吐き気がこみ上げてくる。
背中に走る悪寒に、緊張が高まって、手の平にじんわりと汗が浮かぶ。
 「誰があんたたちなんかと…お断りよっ!」
 精一杯の虚勢を張って、そう怒鳴りつけてみても、余計に男たちを喜ばせるだけだった。
 「お断り、だってよー。可愛いねえ」
 「どうせ逃げられねえんだから、諦めろって」
 男たちとの距離が詰まる。押しのけて、走って逃げれば……。そう思って、せめて数が少ない
男ひとりだけが立つ方へ身体を向けた。
 「逃げられないぜ。大人しくしてれば可愛がって……ぎゃあっ!」
 覚悟を決めて走り出そうとしたその瞬間。
男の言葉は悲鳴に切り替わった。
何が起こったのか、呆然と男を眺める。ぽたぽた、と。男の左腕から赤黒いものが地面に流れ落ちる。
それが血だと、認識するまで暫らく時間がかかった。
 「大人しく出て行けば、許してやる。そうじゃないなら、次は腕を丸ごともらうぞ?」
 男の後ろでそう声がして、フィアはそこにフードを深く被っている姿があるのに気づいた。
長剣を構えて、言葉が嘘じゃないと殺気を纏わせている。
その鋭い気配に、男たちはひっ、と。悲鳴を上げて慌しく路地から走り去って行ってしまった。

 フィアは身動きができずに、フードを被ったその人が長剣を腰に身につけている鞘に納めるのを
呆然と眺めていた。フッと笑う声が聞こえて、フードが外される。現れたのは、漆黒の髪と瞳をもつ
青年だった。

 「……久しぶりだ。元気だったか?」
 懐かしそうにそう声をかけられて、フィアは一瞬なんて答えればいいのかわからずに、
言葉に詰まった。
 (知っている人なの…?)
 久しぶり、という言葉にそうは思うものの、記憶のない今の状態ではどうやったって思い出せない。
そんなフィアの様子に気づかないまま、青年はスッと足を踏み出して近づいてきた。
 「捜索を命じられて探しに来たんだ。俺は、死んだと思って諦めてたんだが、ほんとうに……」
 「あの……。私を知ってるんですか?」
 青年の言葉を遮って、思い切って尋ねてみる。
ハッ、と息を呑む声が聞こえた。青年の動きがぴたりと止まって、信じられないものを見るような目で、
見つめてきた。訝るように青年は口を開く。
 「……フィア?」
 そう呼ばれて、ため息をつく。やっぱり自分の名前は「フィア」で良かったのか。そう思った瞬間、目の前の
青年が探しに来たというのも自分だと気づいた。
 「私…一年前までの記憶がなくて……シーナさんという方にお世話になってるんです。あの、」
 私のことを知ってるなら教えてほしい、とフィアは言いかけて、それ以上は言えなかった。
目の前の青年が、急に肩を掴んで揺する。
 「冗談だろうっ?!」
 「ちょ、冗談なんかじゃ……」
 言いかけた言葉は青年のあまりに真剣な目に言えなくなった。
まっすぐに見つめてくる瞳。感情のまま拒絶するにはその目は必死すぎて。フィアの胸を突き刺した。
 「あれは……ちがう! 俺があの場にいたのはっ!」
 「フィア!!」
 どかっ、と。青年は乱暴に地面に倒された。
目の前に庇うように立つ背中と、名前を呼ばれたその声に、ほっと胸を撫で下ろす。
 「ナノさん……」
安心して名前を零すと同時に、ナノが振り向いた。
 「たく。お前が待ち合わせにこないって、シーナが連絡してくるわ。泣き出すわ。驚いたぜ」
 ごめんなさい、と言おうとした言葉は、ナノの「泣き出す」というところを反芻して、止まった。
 ナノが言うからには、恐らくその主語に当たるのはシーナのはず。あの気の強い彼女が、と。
視線に表れていたのか、ナノは苦笑気味に笑ってフィアの頭をぽんぽんと叩いた。
 「あれであいつは泣き虫なんだ」
 だから、あんまり心配させるな、と。普段からは伺えないナノのシーナへの愛情を強く感じ取って、
フィアは頷いた。
 「まあ、今日半日は説教されるのを覚悟しとくんだな」
 フッと軽やかに笑って言われるには厳しい内容に、物凄く怒っているだろうシーナの顔を想像して、
ごくりと息を呑んだ。よっぽど怯えた顔をしたのか、ナノは同情するような顔つきで、地面に倒れている
男を見る。
 「ま、変な男に絡まれたとでも言っとけよ。おお、酒樽を頭に投げつけてもまだこいつ意識あるみたいだぜ」
 そんなものを投げたんですか、と半ば呆れながら、楽しそうに起き上がる青年を見ているナノは「根性あるなあ」と 言いながら、身構える。
 「このひと……私の知り合いみたい」
 「……危害加えようとしてたんじゃねえの?」
 ナノはさっきフィアを見つけたときの、青年の詰め寄り方とその切羽詰った様子を思い出して言う。最も、その場に 殺気を感じていたら、酒樽ではなく、腰に添えてある剣を抜いて出て行った所だったが。
 「変な男たちに絡まれてたところを助けてもらったの」
 「……随分、物騒な連中と知り合いになったんだな」
 ようやく完全に意識を取り戻した青年は頭を振りながら、不機嫌に言った。
それでも油断なく隙を見せずに立ち上がる動作で、訓練を受けたものだとわかる。
ナノはフィアを背中に庇いながら、青年を眺めた。
 砂や土ばかりか、黒ずんではいるが、間違いなく血であることがわかる染みをつけた外套。そんな薄汚い
服装とは対照に、青年がいま手を伸ばして触れている長剣を納めている鞘は宝石が飾られていて、ここらの 市民、まして自分の周囲にいるような町兵ではとても持てない代物であることは一目瞭然だった。
 剣を抜くか、と身構えたところで、青年はそのまま立ち上がって、ナノの背中 ―― つまりは フィアに向かって言う。
 「取り乱して悪かった。……本当に記憶がないのか?」
 その言葉に、フィアはナノの服の裾を掴んだまま頷いた。
 素直に謝罪する青年に拍子抜けするような顔で、ナノはどうやら悪いやつではないらしいと判断する。だが、記憶がないと頷くフィアに微かに安堵するように息をついたのを聞き咎めて、信用するには足りないと
思った。

フィアは、ナノが身構えるのを解いたことで、青年に敵意がないと安心して訊いた。

 「私のこと、教えてもらえますか?」
 思案して、ようやく口にできた言葉は、なんだか違和感だらけで。それが自分のことを他人から聞くという
第3者から見たらとても滑稽なことだからかもしれないと無理矢理納得する。だって、手がかりは一ヶ月経って ようやく出会えたこの青年しかいない。記憶がないことが不安で、 心細くてたまらなかったフィアにとって、
それは逃がすことのできない機会だった。
 「それはかまわないが……」
頷きながら、青年の瞳に浮かぶ光が一瞬、翳った。迷いを隠すように。
 「よーし。話しが決まったところで、とりあえず場所を移そうや」
二人の間に、ナノの声が割り込む。ぽん、と頭を小突かれて、フィアは視線をナノに向けた。
 「お前が見つかったって、シーナも安心させてやらんと。このまま長話ししてたんじゃ、あいつ、切れて、
 それこそ一週間くらい食事抜き。説教攻撃浴びちまうぜ」
 それもほとんど俺が、と自分を指さして嫌そうに眉を顰めるナノを笑って。
フィアは「そうだね」と頷くと、青年に聞いた。
 「一緒に来てくれますか?」
その問いかけに、青年は「もちろん」と頷いた。
 「ああ、で。お前さん。名前はなんてーの?」
 何気ない口調で問いかけるナノに、そういえば聞いてなかった、とフィアも視線を向ける。
青年は一瞬、躊躇したが、すぐに「ロイルだ」と短く告げた。
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