Word Lond
06 幼馴染
「本当にフィアが……皇帝の妹なの?」
ベットの上で寝ているフィアを心配そうに見下ろして、シーナはその額に冷たい布を置きながら
傍で不安げな表情を浮かべているロイルに視線を向けて訊いた。
「……俺は近衛隊の隊員だった」
だが、ロイルから返ってきたのは質問に対する答えではなく、まるで昔を懐かしむような口調で
告げられた言葉だった。シーナは黙ってそれを聞く。
「でも俺は、皇帝に秘密裏の命を受け、それを除隊した」
させられた、というのが正しいかと、ロイルは自嘲気味に笑って付け足した。
その顔に浮かぶ表情はとても複雑すぎて、シーナはどう言葉をかけていいのかわからず、
代わりに、秘密裏の命、という言葉にフィアを見る。
「フィアを探し出せって?」
「ああ、俺は死んでいるだろうと言ったよ」
皇帝相手に、そう言えるロイルに思わずシーナは目を瞠る。驚いたように自分を見たシーナに
苦笑を零して、ロイルは続けた。
「だが、皇帝は引かなかった。必ず生きているから見つけ出せと。それまで戻ってくるな。見つけたその
ときには、昇進とともに再び雇ってやると言われた。ほとんど追い出される形で俺は城を出たんだ」
「それでフィアを……」
シーナはロイルの言葉に衝撃を受けた。
自分たちが ―― ナノが反皇室派として敵対しているその皇帝が、そこまで妹想いだとは
想像もしなかった。民には残酷な主でも、身内には優しいのだろうか。
そう思って、シーナはフィアの額に置いたぬるくなった布を取り替えようと伸ばしかけた手を止めた。
引っ掛かったことがある。
「ちょっと待って。でも、え……そういえば私たちは皇帝の妹姫が行方不明にしても、亡くなったにしても
そんな話しはまったく聞かなかったのよ?」
ナノのように情報網が広ければ、そんな大事はどんなに隠しても知れ渡るはずである。それにその情報があれば
もっと早くフィアの正体に気づくことができたかもしれない。最も、ロイルに彼女がそうだと言われても、いまだ信じられない部分が残ってはいるが。
ロイルはそれにはまるで当たり前だというような顔で返した。
「替え玉がいる。そっくりな、替え玉が。もともと表には出ず、城の奥で育てられている姫だ。顔を知る者も、
そう多くはない。姫の情報も最初からないも同然だっただろう?」
その言葉で、シーナは納得した。
なぜなら、公の場にしても、妹姫は全く出たことがないからだ。
皇室から聞いたのは、生まれたときにそう名づけたと公にされたときだけだろう。皇室や、貴族たちがよくパーティを披露する中でも、妹姫の誕生日を祝うでもなく、記念日に
何かをするわけでもなく、ただ沈黙を守っていた。それ故に、忘れ去られていたのか。
そういえばそうだ。皇帝の話はナノからも、それに国の城下町を歩けば嫌でも耳に入る。だが、その妹姫の話となると
噂好きな女性たちの間でかろうじて時々は交わされるものの、その真偽は確かめられることがないままだった。
そうだ。だから、フィアを助けたときもまさか皇帝の妹なんて思いつきもしなかった。
今だって、話しを聞いても違和感を覚える。フィアがあの皇帝の妹なんて。
シーナは深いため息をついた。
「……フィアは昔からほとんど監禁状態で城の奥で育てられたんだ。周囲にいるのは、年齢の長けた
女官が数人だけ。外に出ることも許されていなかった。勿論、彼女のいる場所へ特に男が入ることは
許されなかった」
監禁、その冷たい韻を含む言葉に、シーナは息を呑む。
信じられなかった。
それほどに皇室は狂っていたのだろうか。止めていた手をようやく動かして、
シーナはひんやりとする布をもう一度フィアの額にそっとのせた。
彼女にそんな過去があるとは思いもしなかった。
「だが、フィアも成長するにしたがって、納得できなくなりよく抜け出していた。ある日、俺たちは神殿で
出会ったんだ」
「月の神殿?」
城にある神殿といえば、そうだ。
シーナの言葉に頷いて、ロイルは懐かしむように目を細める。
「俺たちは城を抜け出していろんな場所で遊んで過ごした。――― 幼馴染だったんだ」
――― 幼馴染だったんだ。
ぼんやりと、焦点の合わない目でフィアは瞬きを繰り返した。
意識を取り戻して、耳に届く落ち着いた声色に次第に目の前の光景がはっきりと定まってくる。
「フィア……? 起きたの?!」
それに気づいて、シーナが声をかけてきた。フィアは頷いて、ゆっくり上半身を起こす。
心配そうに見つめてくるロイルの目を見返しながら、口を開いた。
「私と、貴方は幼馴染だったの?」
ロイルは一瞬言葉に詰まった。
だがすぐに、意を決したようにまっすぐ真剣な目でフィアを見つめ、言った。
「……もうひとりいる。お前と、俺と。そして、カイル。3人が幼馴染だった」
「カイル……」
その名前に、強い衝撃を受ける。
『kail-』指輪に彫られていたのと同じ名前。その名前だけで、胸の奥から温かいものが溢れてくる。
どんなに思い出そうとしても、面影も何も浮かばないのに、その人に会いたいと思う気持ちだけが
ただ強くなって、フィアの気持ちを揺るがす。
胸ポケットに入れたままの指輪がある場所を服の上から押さえて、フィアは掠れる声で訊いた。
「……は?」
「フィア?」
「その人は……どこにいるの?」
フィアの問いかけに、ロイルはハッと顔を強張らせる。小さく息を呑む音が聞こえた。
黒い瞳に陰がちらついて、それを隠すようにロイルが瞼を伏せる。まるで感情を抑えるように、
強く目を瞑る姿を見て、フィアの心の中がざわり、と波立った。
「……あいつは」
ゆっくりとロイルの口が開かれる。
フィアは視線を向けることができずに、自分に掛けられている上掛けを見つめていた。
「カイルは……」
ただ聞こえてくる声に、悲しげな音があるのだけがわかる。
指輪が ―― 布地を通して、熱くなっていく。同時に、心臓がぎゅっと押し潰されていくような気がして、
フィアは息をするのも苦しくなる。それでも、ロイルの声だけは、鮮明に聞こえていた。
「カイルは、神殿の火事の時に一緒に ――― 」
焼けて亡くなった、と。
堪えきれずに、フィアは意識を失った。