Word Lond
07 迷走
―――― 約束してくれませんか。
ロイルは隣に立つ男を見て、目を瞠った。
穏やかな顔と柔らかい印象を受ける錆色の髪と月の光のような綺麗な目をする男は、
まだ物心もつかないうちから一緒に育ってきた幼馴染だった。お互いの間で遠慮なんてものは
存在なく、兄弟そのものの仲で育ってきた。だから珍しく、改まって真剣な顔を見せる男に驚いた。
「……なんだよ、改まってさ」
「もしも、姫が……」
そう呼んだ男を遮る。苦笑して、訂正を入れた。
「姫って呼んだらペナルティ、ってフィアのヤツ、言ってたろう?」
その言葉に思い出したように、男は笑う。そう言ったときのフィアの姿を思い出したのだろうか。
恐らく、今の自分も同じ目をしているだろう男の、優しい目つきを見て、確信する。
真剣な空気が和らいで、男も自然と口元を緩める。
「そうでしたね。危ないところでした」
「街外れの湖で魚を捕まえて来いだの。城の花瓶に活けてる花を集めて花束にして来いだの、
神殿の廊下を黒インキで水玉にしてこいだの、あいつのペナルティはもう散々だって」
指を一つ一つ折りながら、勝手に決め付けられた ―― 敬称で呼んだら「言うことをなんでも聞く」という
ペナルティを数えて言う。
スリルは味わえたが、見つかったときの叱られようは半端じゃなかった。言い出したフィアは見つかると
二度と出してもらえないから、と庇うわけでもなく、姿を見せるわけでもなくただ隠れて、沈黙を守った。
おかげで、ロイルと隣に立つ男 ―― カイルの二人は悪戯好きで有名になってしまった。
勿論、お仕置きと称して地下の一室に閉じ込められたときは鍵を盗んでフィアは助けに来てくれたし。神殿の神官たちから長時間の説教を受けているときには、姫の名前を出してその神官を呼び出し、救ってはくれる。フィアがどれだけ、姫という敬称を嫌がっているか気持ちはわかる。だからこそ、二人は甘んじてそのペナルティを受けながら、フィアと付き合っている。それが一番の理由とは言わないけれど。
そう肩を竦めて言うと、カイルは言い直した。
「 ―― もしもフィアがとても困った状況に陥ったときは、貴方が手を差し伸べてください」
その言葉にぴくり、と自分の肩が揺れるのがわかった。
「何を言ってる。フィアの恋人は……」
「もちろん、そうですよ」
カイルが遮って言う。その口調はいつもの穏やかなものとは違って、強いものを帯びていた。
見返してくる目にあるのは「譲るつもりはない」という何よりも真剣な光。
一瞬、息を呑んで。
その強さに、苦しくなりかける思いを抑えながら言った。
「……だったら、あいつを助けるのはお前の役目じゃないのか?」
「そうありたいとは思っています」
ふっと、瞼を伏せて微笑みながらカイルは言った。その微笑みに、寂しげな影がちらつく。
「でも、私が助けることができないときには……。もしも、私が彼女の傍にいられなくなった、そのときには
貴方が ――― 」
思いを振り切るように目を開けて、まっすぐとカイルは見つめてきた。
「傍にいて、手を差し伸べていてください」
その真剣な言葉に、―― まっすぐな目に、すぐに返事ができず、ただ見つめ返す。
突然、どうしてそんなことを、と訝る思いはあったが、幼馴染の……。親友の真剣な頼みを断ることはできなくて頷いた。
「わかった」
そう答えると、カイルは安心したようにほっと胸を撫で下ろす。
その様子を目の端に捉えながら、ふと空を見上げた。青い空はとても澄んでいて、カイルと二人で神殿の片隅に肩を並べながら柱にもたれてフィアを待つこの時間がロイルはとても好きだった。
約束の時間がもうすぐだということを考えても、恐らくあと少しで彼女は走りながらこの場所に来るだろう。「待たせてごめんね!」と、微笑んで。
容易に浮かぶフィアの行動を想像しながら隣で、間違いなく同じように青い空を見上げ、同じようにフィアを待つカイルに聞こえるように呟く。
「……もしもの話だろう」
「もしもの話しです……」
頷きながらの声は、わずかに諦めの混じった、ため息まじりのものだった。
貴方が。
傍にいて、手を差し伸べていてください。
ロイルはフィアの部屋にある窓辺に立って、あの時と同じように、青い空を見上げながら、カイルの言葉を思い出していた。
(まるでおまえはこうなることを知っていたみたいだな……。いや、)
あの時は無意味になると思っていた仮定の話し。だが、やたら真剣で ―― 決意にも似た意思を見せていたカイルを思い返せば、そう思わずにはいられない。
でも、それだって結局はロイルの胸の奥に刻まれた罪を思えば、ただの「もしも」という仮定でしかないことを思い知らせる。
ふっと、自嘲的な笑みがロイルの顔に浮かぶ。
(こうなることを知っていたら、お前は俺なんかにフィアのことを頼みはしなかったか……。)
無意識に握り締めていた右手が、ぎりっと更に強い音をたてる。
赤い筋が拳を伝って、ポタッと床に落ちた。
一年という年月が経って、フィアを探し続けてようやく見つけることができた。
……それなら、そこから先は?
ロイルはベットで眠るフィアを振り向く。
彼女が目を覚ました時に何か食べるものを、とシーナは階下に行ってしまった。シーナもナノも、信頼できる人間だとは思う。むしろ、幼馴染であるはずの自分よりも、記憶にないフィアにとっては好ましい人たちだろう。
このまま、過ごしていくことができたら、フィアは幸せになるのではないだろうか。
『必ず、フィアを見つけ出して連れ戻して来い』
威圧を含んだ声が脳裏に浮かぶ。
『そうすれば、お前の罪も不問にしよう』
フィアを見つけ出して、城に ―― 皇室に連れ戻して、自分の罪を不問にすること。
望んでいるのは、本当にそれだろうか。
そのために、一年という時間。フィアを探し続けてきたのだろうか。
――― 約束してくれませんか。
もしも、こうなることを知っていたら。
(俺が……おまえを…………。)
それでも、カイルとの約束を果たす権利は自分にあるのだろうか。
望んでいることがわからないまま、迷いの淵にいる。
だけど、後悔ばかりしている今のロイルにとっての望みは ―――― 。
もしも……。
……もしも、許されるのなら。