第一節.天に戻りし者たち(4)
 天地球と天上球を結ぶ扉。
 『扉』といっても、天界へ入るときのように形として見ることはできない。
 両端にある汚れた柱が扉としての役目であり、結界だった。

 もとはきちんとした建物があったのだが、気が遠くなるほどの年月と数えきれないほどの戦いがその全てを破壊へと導いたのだ。
 残っているのは、瓦礫の山と充満する焼け焦げた匂い。

 それでも、結界になっている柱が健在なのは、この場所を守護しているミカエルの力が大きかった。
 他の天使ならば、柱などすでに吹き飛ばされているところだ。

 戦いの天使と呼ばれるミカエルだからこそ、結界が守られ、異なる生命の介入を防ぐことができる。
 そうして、それは天界のバランスを支えていることのひとつだった。



 積み重なった瓦礫のひとつに座って、結界を見つめる。
 ときおり、風が小さく吹いて赤い髪を揺らしていった。

「…………重症だな」

 忌々しそうに口にされた言葉は、誰も聞き咎めるものはいない。
 まあ、いたとしても意味はわからないだろうが。

「ミカエル様、こんな所にいらしたのですか?」
「ああ ――― こんな所がオレの守護する場所だからな」

 側に寄ってきた部下に、振り向くこともせずこたえる。
 白い翼を広げて飛んできたらしいその部下は、ミカエルの言葉に一気に血の気が引いた。

「も、申し訳ありません! そういう意味では……!」

 慌てて謝罪する彼にたいして気にする風でもなく、ミカエルはうんざりというような顔で遮った。

「それよりなにか用か?」
「あ、はっ、はい! ラファエル様より通信が入っておられます!」

 そこで初めて、ミカエルは部下に視線を向けた。
 血のように赤い瞳は驚きに染まっている。

「 ――――― めずらしい」

 言われた言葉の意図がわからず、部下は首を傾ける。

「は?」

 ラファエルはよくこの場所にミカエルを訪れていたし、「腐れ縁だ!」という二人の仲は天使たちの中でも特によかった。
 その彼が通信を入れてきたといって、なにが珍しいのだろう。
 最近、ミカエルの隊にきたばかりの新米には、わからなかった。

「用事があるときはいつも散歩がてらとか言って、来るんだよ。あいつは。通信なんてややこしいもんを俺が嫌ってるのを知ってるからな」

 とんっ、と瓦礫の山を蹴って、地面へ降りながらミカエルはそう説明した。

 性格的にも大雑把と言われる彼が、精密を主とする機械を苦手とするのは、有名だった。彼が触れれば、どんな機械でも一瞬で壊れる。別名、『破壊屋』の異名さえあった。
 だから、思わず彼の部下も「ああ…」と納得してしまった。そこに本人がいるにも関わらず。

「……おい、今。なにか言ったか?」
 ミカエルの瞳に剣呑な光が宿る。
 それに気づいて、部下の顔が真っ青になった。慌てて否定しようとしたが、別の声に遮られる。

「あーんまり、部下を苛めるもんじゃないぜ?」

 ぴくり。  背中からかかった声に、ミカエルの眉が動く。

 嫌と言うほど聞き覚えのある声。ぴりぴりと突き刺さってくる気配。頭の中を生め尽くす危険信号。
 そんなものを彼に与えることができるのは、たったひとりだけ。

「……堕天使」

 振り向き様、ミカエルは予想した通りの姿を見つけた。

「久しぶりだな、ミカエル。元気だったか ――― って聞くまでもねぇよな」

 お前は元気だけが取り柄だったか。

 呑気に笑いながら続ける彼とは対照的に、ミカエルは手のうちに剣を呼び起こす。

 それに気づいて、ルシファーは苦笑いを浮かべる。

「おいおい、いきなり随分な歓迎だねぇ」
「うるせえ! オレはお前と親しくするつもりなんかねぇんだよ!」

 力を剣へと溜める。

「ここで会ったが、最後だ。死にやがれ!」

 有無を言わせず、ミカエルは力を発動させた。

 彼をも巻き込んで、爆発が起きる。
 唯一、残っていた瓦礫が吹き飛び、砂利が勢いよく飛び交って、周囲を煙に包んだ。

 (…………やったか?)

 ミカエルは息を整えて、目を凝らす。
 剣の柄を握る手が、ずきずきと痛んだ。だが、そんなことにかまってはいられなかった。

「ひどい奴。お兄ちゃんに向かって死にやがれ、なんて言葉は……。育て方を間違ったか?」

 すぐ背後から声が聞こえて、振り向こうとしたミカエルは、だが自分の喉もとに剣があるのに気づいて、息を飲んだ。

「……誰がお兄ちゃんだ! オレはお前なんかを兄なんて思ったことはねえよ!」

後ろをとられたことに悔しさを覚えながら、ミカエルは叫んだ。
ため息が聞こえる。

「……やれやれ。まあ、そんなことはどうでもいい。お前。セラ、知らないか?」

 どうでもいい ―――― 。
 切り捨てるように言われた言葉が深く胸に突き刺さる。

「これがものを聞く態度かよ?」

 ミカエルはムッ、とした顔でルシファーの剣を遠ざけた。

「わからずやの弟にはな。悪いがお前と遊んでる時間がねえんだ。セラを知らないか?」
「知るかよ。 ――― あんた、」

 繰り返し聞かれた問いを即座に否定して、ルシファーを振り向く。

「今まで姿を消してたと思ったら、まさか。セラと一緒だったのか?」

 睨み付けてくるミカエルに、驚いたような顔でルシファーは答えた。

「それこそ、まさかだ。ちょっとセラに用事があって、な。俺は今までちゃーんと、天地球にいたぜ。まあ、お前と遊ぶ気になれなかったから」

 城にこもってただけさ。
 そう言うと、ルシファーはひらひらと手を振って、また姿を消した。

「てめ! 待ちやがれ!」

 ミカエルは言ったが、すでに遅かった。

 空から彼の部下たちが慌てた様子で、飛んでくる。恐らく、いきなりの爆発に驚いたのだろうが。

 そういえば ―――― 、

「ミカエル様!? 無事ですか?」

 至近距離で、そう声がする。
 顔を向けて見れば、それは最初に彼を呼びに来た部下の姿だった。

「お前……、無事だったのか?」
「あたりまえですよ! ミカエル様でしょう? 結界を張って救ってくれたのは……」

 ありがとうございます!
 尊敬する天使に守られた。そう嬉しそうな顔をする彼の部下は、ミカエルの驚きに気づかなかった。

 途端。
 心配そうに駆け寄ってくる部下たちを無視して、不機嫌そうな表情で、ミカエルは空にある彼の空中基地へ向かった。



 オレは、あの一瞬。ルシファーを殺すことしか考えてなかった。
 部下の命など、頭の隅にもなかった。死んでいたはずだ。



 結界を張って、救った?



 あの男が? 自分以外の命など、どうでもいいと思っているはずの男が?
 嘘だ。
 たまたまさ。ぐうぜん、気が向いただけだ。




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