オレさ。いつか兄貴のようになりたいんだ。
『なれるかな?』
年の離れたあいつは、力に満ち溢れていて。いつだって強く、優しい存在だった。心から尊敬してた。
『なれるさ。あたり前だろう、おまえはオレの弟だぜ』
頭に手を置いて、自慢するような顔で言ってくれて、それだけで、あいつの特別な存在だと思えてた。
なのに ――― 。
『なんでだよ! なんで天地球になんか行くんだよ! 堕ちる気なのか?!』
天地球へ向かうと聞いて、怒りも露わに問い詰めた。
『おまえには関係ねぇよ。こんなとこ、いい加減。飽きちまったんだ』
どうでもいいような言葉に、胸が張り裂けそうになった。
関係ない?
たった二人の兄弟なのに……。オレはあんたをずっと尊敬してたのに。
あんたのようになりたかったのに!
今まで築いてきたものが、音を立てて壊れていく。
『じゃあな』
たった一言。
あいつはそう言って天地球へ堕ちていった。
止めることができなかった。
そんなに簡単に切り捨てることができるのか。
オレノ ソンザイハ アイツニトッテ、ナンダッタンダ ――――?
あれから。
天地球の魔王として、あいつが天使たちと戦争を起こしていることを知り、必死で上級天使を目指した。
誰があいつを殺させるものか。
オレが殺してやる。
裏切ったあいつをオレのこの手で! 必ず!!
そう決心したんだ。
「ミカちゃん、おかえりーっ!」
自分の城へ降り立ったミカエルは、過去を思い出していたが、扉を開けたとたん、聞こえてきた明るい声で我に返った。
「セラ、てめっ!」
人がせっかく物思いに耽ってたってのに……。
「なに? なにかあった?」
きょとん、とした顔で見つめられて、ミカエルは文句を言う気は失せた。
かわりにジロッ、と睨んで聞く。
「おまえ、勝手に通信機つかったろ?」
「あっ…、ばれた? でもミカちゃん所の通信機、埃かぶってたよ。機械が苦手だからって扱わなかったらどんどん嫌いになるだけなんだから」
セラの言葉で一気に、不機嫌になる。
「いーんだよ! そんなことはどうでも! 大体おまえなぁ! オレのとこにいさせてくれって言ったとき、絶対迷惑かけねぇって言っただろ?!」
「うん、まだかけてないでしょ? 通信機借りただけよ」
意味がわからない、とばかりに言われてミカエルは深いため息をついた。
(こいつのこういうところが嫌いなんだ……。)
通信機を使えば記録が残る。それを管理してるのはアレクシエル直属の天使軍。
内容が知られることはないだろうが、埃が被るほど使ったことのないミカエルの通信機が使われた記録がでれば、誰が使ったかアレクシエルに気づかれるのは時間の問題だ。
「……わかってて使ったんだな?」
確信を得ているミカエルは訊いた。
セラは黙り込んだが、彼の視線に耐え切れなくなり仕方なさそうに口を開く。
「私が戻ってることがわかれば、アレクシエルが動きを見せるでしょ? そうすれば、ガブリエルの居場所がわかるかなぁ―って思って」
予想した通りの答えを聞きながら、ミカエルは傍にあった椅子を引き寄せ無造作に座る。
「まあ、ガブリエルを救出するのは協力してやるよ。ラファエルにも情報を頼んでおいたし。だけど、オレたちはあんまり動けないからそれは理解しとけ」
「ミカちゃん、冷たい」
セラが上目遣いで拗ねるように言うと、ミカエルはふん、と顔を背ける。
「なんとでも言え。オレはお前が大ッ嫌いなんだよ!」
そんな彼をじっ、と見つめていたが、セラは不意ににっこりと笑って言った。
「うそ、ありがと。私は大好きよ」
それには答えず、ミカエルは立ち上がって扉に向かうと、「着替えてくる!」そう背中ごしに告げた。
けれど、ふと扉の前で立ち止まる。
「もしかして、地球であの堕天使もずっと一緒にいたのか?」
顔だけ向けて尋ねてくるミカエルから、スッ、と視線を外してセラは答えた。
「まさか。ルシファーは天地球にいるんじゃないの?」
「なら、いいさ」
セラの言葉にミカエルは素っ気無く答えると、扉を閉めて出て行った。
ひとり残された部屋で、彼女は眉をひそめて長いため息をつく。
『あいつの性格は、燃え上がる炎そのものだ。』
下手に水を注げば、手がつけられなくなる。だから、俺はなにも言わない。
たった一人の弟だぜ。巻き込めないさ。
それに天上球に必要なのは、あいつのような奴なんだよ。
俺じゃない。
―――― お前なら、わかるだろ?
いつだったか。
どこか寂しそうにルシファーが言っていたのを思い出す。
確かに彼の気持ちは痛いほどわかった。
地球へ一緒に行くことも誰にも言うな、と口止めされた。
だから知らないフリをするけど。ミカエルもばかじゃない。きっと気づいていて……。そんなふうに、ルシファーと通じ合っているところがミカエルにとって、面白くない感情をわきあがらせているのかもしれない……。
セラはふと、窓ガラスにうつる自分の姿を見つけた。
人間に転生する前とはちがう色の、髪と瞳。
考えてみれば、変わったのはそれだけのように思える。
『逃げてて解決することなんて、ないんだよ』
ルシファーの言葉が胸に突き刺さる。
そんなことわかってる。ううん……、わかってた。だけどあの時は、「全てを忘れられるなら……!」それしか頭になかった。
記憶を取り戻した今でも、本当は怖い。
怖くてたまらない。
今すぐ聖のところに戻って、抱き締めてもらいたい。強く抱きしめて、「大丈夫だよ」って言って欲しい。
でも、もう逃げないって決めたから……。
それでもセラは窓ガラスにうつる自分の瞳が涙を流していることに気づいて、苦笑した。
◆――◆
「 ――――― 以上が、本日の記録です」
通信記録を纏めた報告書に目を通しているアレクシエルに、彼の部下は畏敬の念を込めて敬礼する。
「わかった。もう下がっていい」
視線を落としたまま彼がそう言うと、部下は「ハッ!」と口を開いて即座に踵を返し、部屋から出て行った。
規則正しい足音が遠ざかると、アレクシエルの傍に控えていた士官クラスの制服に身を包んだ女性が話しかけた。
「なにか動きがありましたか?」
アレクシエルは答えずに椅子から立ち上がると、窓の方へ歩み寄った。
天上球の内で最も高い位置に建てられている彼の城から景色を見渡せば、まるで全ての支配者。それこそ神にでもなったような気持ちに捕らわれる。
「バービエル、彼女は罠にかかったよ」
夢を見ているような瞳で、うっとりと笑みを浮かべながらアレクシエルは言った。
(アレクシエル様……。)
その様子をバービエルと呼ばれた女性は、どこか苦しそうな表情で見つめる。
だが、彼はそれに気づかずに続けた。
「問題はないだろう? ミスは ――― 許されない」
バービエルを振り向いたアレクシエルの目には、剣呑な輝きが浮かんでいた。
彼女は見つめ返すことができず、わずかに視線を下げて言う。
「わかっています。ガブリエル様の領域を継いだときから、私は……」
「わかっていればいい。私はしばらく休む」
続く言葉を遮ってそう言うと、アレクシエルは彼女の横を通り過ぎ、部屋を出て行った。
ぎゅっ…、バービエルは震えている手を強く握り締める。
私は貴方にどこまでもついていくと決めたのですから……。
それでも彼が自分をたとえ心の片隅のわずかでも、想うことがないのを知っている。
あの方が愛されているのはセラ様だ。
狂ってしまわれるほどに……。そのことに気づかれないほどに。
許せない、と思った。
光に満ち溢れておられたあの方をあんなふうに、変えてしまった彼女を。
セラ様に協力したガブリエル様を。
だから苦しめばいい。
私は後悔はしない。けして ――――― !
バービエルは熱いものがこみ上げてくるのを感じて、天井を見上げると強く瞳を閉じた。
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