還っておいで……。私のもとに。
全てを生み出し、おまえを作りし私のもとへ。
還っておいで……。
あの声は ――― っ!
「危ねぇっ!!」
キン…ッ!
鋭い声と同時に甲高い音が響いた瞬間、セラは自分が突き飛ばされたことに気づいた。
「ミカちゃんっ!」
さっきまで自分が立っていた床に数個の短剣が突き刺さっていた。
セラを庇いながら床に倒れこんだミカエルは、殺気を感じて急いで立ち上がると剣を構えた。
無数の短剣がセラを目掛けてどこからともなく飛んでくる。
ミカエルは素早い動きで剣先を動かし、全て跳ね返す。
唐突の出来事に動揺していたセラも、ハッ、と我に返って叫ぶ。
「ミカちゃん! 右っ!!」
「おうっ!」
その言葉を受けて、ミカエルは飛んできたひとつの短剣をセラの指した方向へと跳ね飛ばした。
不意にその短剣が風船が割れるときのように破裂する。
「……ミカエル。邪魔をするでない」
静かな声が響き渡った。
金と銀の髪が揺れる。淡いブルーの瞳が埋め込まれた美貌の女性がまっすぐとセラに視線を向けて立っていた。
「ザフィケル……てめぇ。なに今頃のこのこと」
セラを背中にして、ミカエルが牽制するがザフィケルは彼にはかまわず口を開いた。
「セラ、お前は消滅すべき存在だ」
呆然とセラは目を見開き、息を呑む。
「……なに言ってやがる」
吐き捨てるようにミカエルが低い声で言う。
つと、ザフィケルの視線が剣を構える彼を向いた。
「ミカエルよ。そなたはセラを嫌っておろう。なぜ庇う?」
「関係ねえよ。オレはやりたいようにやってるだけだ。ただ、不意打ちのような卑怯なマネは許せねぇ」
ザフィケルは唇の端をわずかにあげた。皮肉げな笑みが刻まれる。
「やはり、兄弟だな。ルシファーよ」
空間が揺らぐ。
ルシファーが姿を見せた。
「……俺に任せるんじゃなかったか?」
嫌そうに問いかけるルシファーに肩を竦めて、平然とした口調でザフィケルは応じた。
「時間切れだ。もはや、猶予はない」
含みのあるふたりの会話に、セラが不安そうに呼びかける。
「……先輩?」
だが、ルシファーは軽く肩を竦めるだけで、視線は隣にいる無表情のザフィケルに向けたままだった。
「全ての始まりは神が狂い始めたことだ」
ザフィケルの視線がまっすぐとセラを射抜く。
「すでに神はその力を失っていた。そう、セラ……いや。セイが生み出される前より」
「なっ?!」
言葉にならない声がミカエルから発せられる。
セラも驚愕に、膝が震えるのを感じた。
それなら。
神の力によって生み出されたと思ってきたこの命は……。
「だったらっ! 私は……どうして……」
問い掛けようとして、セラの脳裏に何かが引っ掛かった。
なにが ――― ?
アレクシエルが言っていた。
『ロシエルの力を還元して……』
『貴女はあまりにもロシエルに似ていたんだ』
セラの身体から力が抜ける。
がくり、と膝を突いた。
「……私は、」
声が震える。
身体中が冷えていく。
脳裏に浮かぶ言葉を否定して欲しくて、先輩へ視線を向ける。けれど、ルシファーはただ軽く頭を横に振るだけで、何も言わなかった。
それが真実だと、言ってるようで。
セラは縋るようにミカエルを向く。
だが、彼も言われた事実を飲み込めず、セラから視線を逸らしていた。
ただザフィケルだけが突きつけるように口を開いた。
「そうだ。セラ、お前は次代の神として作り出されたわけではない。ただ、神が力の喪失を誤魔化すためだけに作られた記憶のないロシエルのコピーだ」
…………全てが嘘だった。
力を封印してるということも。元から、力などないのに。
呆然としているセラに容赦なくザフィケルは言葉を紡ぐ。
「力と記憶を吸い取られた器なのだ。アレクシエルもそこまではわからなかったみたいだが ―― 、まあ。当然だな。あやつは神を崇拝していた。疑う心など微塵もあるまいて」
「やめてっ!」
セラは自分の耳を抑えながら、叫んだ。
強く目を瞑って首を横に振る。
もう何も聞きたくなかった。信じていたものが足元から崩れ落ちていく。けれど、腕を掴まれて乱暴に引っ張られる。
「なぜ器が生かされているのだと思うっ? 器の役目がわかるか?! 神はその器に力が溜まるのを待っていた。そうしてまた自分の力に還元しようとしてるのだ! いわばお前は神に力を運ぶためだけに存在する本来なら在りえない……」
セラの腕を乱暴に揺するザフィケルを不意に払いのける力があった。
「もう十分だろ、ザフィケル」
背中にセラを庇うようにルシファーが立ちはだかる。
その目は先ほどまでと違って怒りに満ちていた。だが、ザフィケルは構わずに言う。
「まだだ。言ったはずであろう。私の役目は本来、在りえないものを消すことだと。セラが存在する限り、狂ったままの神がこの全てを支配し続ける。それではやがて、今ある全ては破滅していくのみ、だ」
逸らされないザフィケルの瞳に、悲しい光が一瞬だけ過ぎった。すぐに睨むようにルシファーを見る。
「ルシファーよ。契約だったはずだ。セラの命を奪う、と」
「ああ。だが、俺の好きなようにさせるってのが契約内容だったはずだ。先に破ったのはそっちだ」
「嘘をつくなっ!」
叩きつけるようにザフィケルは言い放った。
金と銀に混ざり合う長い髪がばさり、と揺れる。
「私がセラに会って、こうした事実を告げるのをかわすために契約をしたのだろう。おまえ自身、のらりくらりと誤魔化してセラの命を守るために ―――― っ!」
一瞬で空気が変わる。
ルシファーが醸し出す威圧がザフィケルの口を閉ざした。
部屋の中に重い圧力がかかって、その場にいる全員が驚いたようにルシファーを見つめる。その背中には黒い翼が広がっていた。
「ザフィケル、おまえは全てを知っているつもりでいるんだろう? セイ、セラ。そして、神」
圧されながらも、ごくりと息を呑んでザフィケルはこたえた。
「……当然だ。私は前代の神から全ての均衡を守り、裁くものとして生み出された存在なのだから」
「所詮、昔の話しだ。お前は過去に与えられたその使命に捕らわれて、今を見失ってるのさ」
言いながら、ルシファーはそっとセラを抱き寄せる。突然のことで、セラは抵抗することもできなかった。
「なっ、どういうことだ?!」
「簡単なことだろ。時間は流れてて、歯車は動き続けてる。そこに感情が存在する限り、変わらないものなんてないんだ」
そう告げた瞬間、ルシファーとセラの姿が消えた。
「待てッ!」
慌てて追いかけようとするザフィケルの首元に短剣が押し当てられた。
ザフィケルが投げた短剣 ――― 。
それが誰かは見なくてもわかる。
「ミカエル、邪魔をするな!」
「別に邪魔をする気はねぇよ。けどさ、今あいつらを追いかけたら、間違いなくルシファーは本気であんたを殺すぜ」
その言葉に、ザフィケルは目を見開く。ゆっくりとミカエルを向いた。
脅してるわけでも、嘘をついてるわけでもなく、ただミカエルの目を見ればそれが確かなことだとわかる。
一瞬で変わったあの威圧感は今もザフィケルの身を包んでいた。
諦めたように、立ち尽くすザフィケルに喉元へ押し当てていた短剣をくるりと反転させて、ミカエルはその柄を手の中に渡した。
空いた手でそのままがしがし、と自分の髪をかく。
「ま、俺もさ。ごちゃごちゃ面倒なことはわかんねーけどよ。とりあえず見逃してやっといてくれ」
ザフィケルは目を細めて、赤い髪の天使を見つめる。
「それで全てが破滅したらどうする?」
その言葉に、困ったようにミカエルが言う。
「そうはさせねーさ。守りたいものがある以上、破滅には向かわせねぇよ。その覚悟はアイツらもできてると思うぜ。それに俺は信じてんだ」
ツカツカ、と。部屋の扉まで歩きながら応えるミカエルに訝るような視線をザフィケルは向けた。
「 ――――― さ」
短く言い切ると、ミカエルは扉を開けて、素早く部屋を出た。
パタン、と扉の閉まる音を聞いて、ザフィケルは皮肉げに唇の端を吊り上げる。
「似合わぬことだ」
表情とは裏腹に、その口調はどこか楽しむ含みがあった。
(だが、それこそが天使の在り方でもあるのだ。)
そうして、ザフィケルも空間を渡った。
それに俺は信じてんだ。
俺たちを生み出した神をさ。
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