第一節. 真を探せし者たち(3)
 ストン、と降り立つと、ルシファーは翼を消してセラを放した。
 セラは周囲を見回して、そこがラファエルの城の屋上だと気づく。見渡すと、一面に白い雲が広がっていた。

 柔らかく吹く風が、セラの髪をそっと揺らしていく。

「……もう、わからないや」

 視線を遠くへ投げかけたまま、セラはぼそりと口を開いた。

「セラ」

 どこか悲しげな光を瞳に浮かべて、ルシファーが呼んだ。

「アレクシエルも、聖もガブリエルも。結局は、ロシエルだって、みんな……みんな、私のせいでいなくなってくの」

「セラッ」

 ひときわ大きな声で、ルシファーが名前を呼ぶ。
 けれど、それを拒絶するように、セラは首を横に振って言った。

「どうしてっ?! 私はただ、聖と一緒に ―― 、皆と一緒にいたいだけだったのにっ! 結局はこの命を生み出した神様に力を注ぐためだけに作られた、ただの器でっ。そのせいで全てを破滅に向かわせてるんだってっ!!」

 セラの頬を涙が伝っていく。
 構わずにセラはルシファーを見据えたまま訊いた。

「…………知ってたの?」

 違う。セラはゆっくりと首を横に振る。
 視線を逸らさずに見つめてくる漆黒の目を見て、気づいた。
「知ってたのね。あなたはぜんぶ ―― なにもかも」

 それを肯定するかのようにルシファーは口を開いた。

「俺は魔王とまで呼ばれてるんだぜ。それぐらい把握してるだろうよ」

 からかうような表情で言うその姿に、セラは息を飲んだ。
 今までなにがあっても、こんな突き放された言い方をされたことはなかった。
 目を瞠るセラに苦笑して、ルシファーは言う。

「むかし、ある天使がこの天上球に存在した」

 唐突な言葉に、セラは訝るような視線を向ける。
 それをかわして、ルシファーはセラの隣に歩み寄ると広がる白い雲に視線を投げた。


 その天使はアレクシエルと同じように神を崇拝していた。仲間たちや、弟という存在さえあって、そいつらに囲まれて幸せに暮らしてた。

 弟、という言葉に、セラはハッ、と気づいた。
 けれど、ルシファーは構わずに話しを続ける。

 だが、ある日。その天使は神にある命令を下されるんだ。
 『力を集めよ』とね。
 それがどういう意味かわかるか?
 他に生み出された天使を殺して、その力を奪えってコトだ。
 天使は勿論、できないと言った。

 その天使に神は言ったんだ。
『神に逆らうのか』

 天使は愕然としたよ。
 信じてたものが音を立てて壊れていくようだった。

 全てのものを愛し。全てにおいて平等であると思っていた神が自らの力の存続のためにいちど生み出した命を殺せってさ。
 天使は断ろうとした。けど、自分が断ってもその役目は違う誰かが負う羽目になる。
 だから、従った。

 天地球に降りて、自らを堕天使に仕立て上げ、天使に戦いを挑んだ。天使の命を奪って、神に捧げてきた。

「けど、そうして神の言いなりになる自分に嫌気が差していた」

 静かに語りながら、ふとルシファーの視線がセラに向けられた。

「そんなとき、お前と会った」
「わたし?」

 自分を指差して不思議そうに聞き返すセラに「ああ、」と短く頷いた。
 フッ、とルシファーが優しい笑みを見せる。

 自嘲的なものでも、皮肉げに笑う様でもなく ――― 。

 今まで見たことのない柔らかいその表情にセラは戸惑いを覚えた。

「お前のことを知るうちに、俺は可能性に賭けることにしたんだ」

「可能性?」

 首を傾けるセラの姿にルシファーは目を細める。
 そっと、彼女の頬に手を伸ばした。

 ルシファーの手の平から伝わってくるぬくもりに、セラは知らず、泣きそうになった。

 ずっと ――― 。
 長い間、彼は独りで戦ってきたのだろう。
 真実を誰にも言えず、守りたいものからは敵視されて。まともな言葉を話せるものがいない天地球に身をおいて、暗い世界に留まっていた。

 (ああ ―――― )
 そのとき、セラにはルシファーを突き放せない理由がわかったような気がした。

 瞳の奥にある寂しさにいつも気づいてたはずなのに。
 誰も寂しさからは逃げられない。
 どんなに隠しても、いつだって求めてる。寂しさを癒してくれる存在を。

 見つめてくる漆黒の目を見返しながら、セラはその奥にある深い孤独に全てを悟ってしまった。

「セラ ―― お前は確かに器として生まれたんだ。その事実から逃げるな」

 凛とした声でルシファーが言う。

「けど、忘れたか? お前は人間に転生した身でもあるんだ。そして、天使の力も持ってる。つまり、神であり、人であり、天使。予測不可能な生命ってことだ。でも俺はザフィケルとは違う存在で、お前こそが唯一神に対峙でき、この世界のバランスを取り戻してくれる可能性だと思ってる」

「ルシファー……」

 真剣な声音で言う言葉がセラの心に響く。

「全てに決着つけようぜ。そのあとで、俺の愛に応えてくれればいいから」

 片目を瞑ったルシファーに、一瞬わけがわからずセラは呆然としたが、シリアスだった雰囲気が一気に崩れてることに気づいて、「もうっ!」とルシファーの胸を叩く。
 けれど、セラのその表情には微笑が浮かんでいて、ルシファーの顔にもいつもの飄々とした表情が戻っていた。

 ひとしきり笑いあうと、セラは「うーん」と、大きく背伸びをした。ルシファーに背を向ける。

「そろそろラフィー君も戻ってると思うし、ミカちゃんとこに戻るね」
「ああ、俺もあとで合流するさ」

 そう頷いて、ルシファーは不意に視線をセラの背中に止めた。

 風が吹きぬける。

「……有難う、先輩」

 流れていく風の合間にセラの呟きが聞こえた。
 それがルシファーの耳に届いたときには、セラの姿は彼の前から消えていた。


「……相変わらず、素直な奴だ」

 ひとり小さく呟いたその表情には苦々しい笑みが浮かんでいる。

 全てが真実で、全てが嘘で。
 矛盾だらけの想いのなかで、見つけたもの。

「セラ ――― ……お前は信じてくれるか?」

 背中に広げた黒い翼が、バサリと大きな音を立てた。



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