第二節. 全てに還りし者たち(4)
「怪我はないか?」

 気遣うように見下ろしてくる淡いブラウンの瞳と視線が合う。

 (…………どうして?)
 突然のことに言葉を失う。

「世羅?」

 不思議そうに見つめてくる瞳。優しく問いかけるような声。
 目の前にいるのに、まるで夢を見ているようで。

「……セイ?」
 漸く確かめるように名前が口から零れる。
 ほっと胸を撫で下ろした彼が優しく微笑む。その姿が、懐かしくて。涙が零れる。

「……聖?」
 もう一度、確かめるように名前を言う。今度は聖もまるでそれが正解だというように頷いた。

「話したいことがたくさんあるんだ」

 そう言う聖の姿に、過去のセイの姿が重なる。

『君を苦しめたね……』

 そんなことない、と。言葉にしたかった。だけど、胸がいっぱいで声にならなくて、ただ首を横に振る。

『だけど漸くわかったんだ。過去の僕も、自分でも気がつかないうちに君に惹かれていた』
 そっとセイの指が頬に触れる。愛しむように、優しく。
『それでも復讐したいという気持ちがその想いを隠してしまった。見ないフリをさせたんだ』

 世羅の胸が痛んだ。零れ落ちる涙を、指先で彼が拭う。

『だけど、君への想いは変わらずここにあって ――― 』
 そう言って、セイは自分の胸をさした。
 優しい光を瞳に浮かべて。
 セイは想いを伝えるようにまっすぐ世羅を見つめた。

『いつのまにか復讐したいという気持ちを超えて、ただ君への愛だけでいっぱいになっていた』
 君を守りたいと。

 そうして一緒になる。過去と、今 ―――― 。

「世羅、愛してるよ」

 世羅はギュッ、と聖に抱きついた。
 過去がどうとか、器だとか。世羅はどうでもいいような気がした。
 ずっと信じてた。心が揺れたこともなかったとはいえない。

 だけど、ずっと会いたくて。信じたくて。ずっと、ずっと ――――。伝えたかった言葉。

「私も、聖を愛してる」

 結局はその想いに還るんだ。
 どんなに傷つけられても。嘘をつかれても。心から消えない想い。それどころか溢れてくる。
 そう告げる世羅に、ふわりと。聖は嬉しそうに笑った。

 過去でも現在でも見たことがない、そんな聖の笑顔に、二人の間にあった見えなかった距離が消えていくのを感じた。

[愚かなことよ]

 冷たい口調を含んだ声がふたりの耳に聞こえる。
 聖と世羅は改めて、光に視線を向けた。

「世羅が言ったとおりだ。貴方はもう ―――― 神なんかじゃない」

 静かな口調で、聖が告げる。
 光の輝きがいっそう、大きくなった。

[器や失敗作がなにを言う。神の思考がわかるものか!]

 力がいくつもの光になって、聖たちを目掛けて飛び掛る。聖は、空中から剣を取り出して構えた。
 襲い掛かる光は聖が剣を一振りするだけではね返る。

「勝てないよ。一度は世羅を守るために取り込まれるのもいいと思ってそうした。でも、教わったんだ。自分の想いに素直になることが今の世羅を守ることだって。
 ――― 約束したんだ」

 世羅を守ると。いつだって、信じるといってくれる世羅を失いたくない。暗い闇の中から救ってくれる彼女の「存在」を失いたくない。

 ―――― ぐっ。
 聖は剣を握る手に力を込めた。

「だから今の貴方は俺に勝てない。もう認めなよ。自分は神じゃないってことを!」

 光から放たれた力が、聖の言葉とともにその場で二人に届くことなく、爆発を起こす。
 悠然と浮かんでいた光が更に発光して、まるで怒り狂ってるかのように叫んだ。

[私は……っ! 私は!]

 その途端、世羅は地面が揺れるのを感じた。

 ウリエルの力の波動が伝わってくる。
 不意に世羅の頭の中にラファエルの声が響いた。

『セラちゃん! マズイ! ウリエルの力が暴走したっ! 僕とミカちゃんは他の天使たちを避難させるから、やばくなる前に塔からでるんだっ!』

「なんでそんなことになるのよっ!」
 動揺した世羅は思わず叫ぶ。
「ウリエルだけの力じゃない。俺たちやあの光が発した力に塔が耐え切れなくなったんだろ」
 冷静に判断する聖の言葉に、ハッと我に返って世羅は光に意識を戻した。

 光は小さくなっていた。まるで怒りを抑えるかのように。

[……よい。誰もが自分勝手に生きてみるがよいよ。そのような世界は、やがては滅ぶ。全てが消滅しよう]

 静かに光が言う。

[それならば我も滅びよう。全てとともに]

 小さくなった光がまた一際、大きく輝き始めた。
 塔の揺れが一段と激しくなっていく。

 一瞬、世羅の心に何かが触れた。

 全ての、星の、人の、生命を持つものたちの力が失われていく。バランスが崩れて、全てが砂のように消えようとしていた。

「世羅!」

 同じものを感じたのか、聖が切羽詰ったように世羅を見る。
 目が合った瞬間、世羅は嫌な予感を覚えた。予感というより、確信。

 聖はそっと世羅を引き寄せると、その肩に両手を置いた。

「世羅、よく聞くんだ。今のままだとこの世界のバランスが壊れる」

 確信していたことを突きつけられる。
 あの光を止める方法 ―――― 。

 同じものから生み出された聖と世羅だからわかる。
 それがどんなに危険なことか。
 暴走を始めた光の中に飛び込んで、力を抑えるしかない。

「それはわかるけど、だからって!」

 言おうとした言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、世羅はハッと口元を抑えた。
 (今……なにを言おうとしたの?)

『だからって、聖が犠牲になる必要ない!』

 神と対峙して、世界のバランスを失わせたのは最終的に自分なのに。

[誰もが自分勝手に生きてみるがよいよ。やがては滅ぶ。全てが消滅しよう]
 神の言葉が浮かぶ。

 身体が震える。

 ( ―――― 本当に私たちがしたことは正しかったの?)
 不安が一気に世羅を襲った。

「世羅、落ち着いて。俺は犠牲になるんじゃないよ。守りたいものがあるんだ。なによりも。失いたくないから。この世界に生きていて欲しいから。一緒に帰るべき場所へ帰りたい。だから、そのために守りにいくんだ。この世界を」

 世羅の不安を見透かすように、聖はそっと抱き寄せてその耳元で力強い声で言う。
 伝わってくるぬくもりと、心の中に染み込んでいくその言葉に、世羅は不安が消えていくのがわかった。

 聖の手を握って、小さく頷く。

「約束する。帰ってくるよ、世羅のところに」

「うん……」

 涙が頬を伝う。それでも世羅は笑顔を浮かべて、聖の顔を見上げた。

「待ってる」

 瞳から零れ落ちた涙をそっと指ですくって、聖は微笑んだ。
 唇に軽くキスを落として。

「行ってきます」
「行ってらっしゃい」

 精一杯の微笑みを見せて、世羅は応えた。

 聖は世羅の身体を離すと、光と対峙する。

 バランスを崩し始めた光は次第に黒く変色始めていた。
 全ての生命を取り込みながら。

[ヲォオオオオオォオオォ]

 悲鳴にならない叫びが光から発せられる。
 聖は剣を握り締めると、一気に光に向かって走り出した。

「聖ッ!!」

 世羅が叫んだ瞬間、聖は光の中へ躊躇いもなく飛び込んだ。
 同時に世羅もガブリエルからもらった一枚の羽根に力を込める。ありったけの、力。
 羽根が白い光に包まれる。

「ガブリエル、アレクシエル、……ミカちゃん。ラフィー君。ウリエル、ラジエル。全ての天使たち、そして ――― 、先輩。この宇宙にいる生命を持つものたち。どうか、力を貸して。それぞれの……、全ての世界を失いたくないから。どうか自分たちの住む愛すべき世界のために」

 世羅の願いに答えるかのように、羽根には力が満ち溢れ。白い光が部屋を ――― 、塔さえもを包んでいった。



 気がつくと、世羅は床に倒れていた。

「私……どうし、」
 状況がわからなくて混乱しかけたが、ハッと我に返る。

「聖?!」

 慌てて左右に視線をめぐらせる。けれど、返事はなくて、姿も見えなかった。
 重い身体を何とか起こして、立ち上がる。足ががくがくと震える。

「……聖っ?!」

 名前を呼んでも、返事はなくて。
 涙が溢れてくる。

[心配することはありません]

 不意に聞こえてきた声に、世羅は振り向いた。
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