「怪我はないか?」
気遣うように見下ろしてくる淡いブラウンの瞳と視線が合う。
(…………どうして?)
突然のことに言葉を失う。
「世羅?」
不思議そうに見つめてくる瞳。優しく問いかけるような声。
目の前にいるのに、まるで夢を見ているようで。
「……セイ?」
漸く確かめるように名前が口から零れる。
ほっと胸を撫で下ろした彼が優しく微笑む。その姿が、懐かしくて。涙が零れる。
「……聖?」
もう一度、確かめるように名前を言う。今度は聖もまるでそれが正解だというように頷いた。
「話したいことがたくさんあるんだ」
そう言う聖の姿に、過去のセイの姿が重なる。
『君を苦しめたね……』
そんなことない、と。言葉にしたかった。だけど、胸がいっぱいで声にならなくて、ただ首を横に振る。
『だけど漸くわかったんだ。過去の僕も、自分でも気がつかないうちに君に惹かれていた』
そっとセイの指が頬に触れる。愛しむように、優しく。
『それでも復讐したいという気持ちがその想いを隠してしまった。見ないフリをさせたんだ』
世羅の胸が痛んだ。零れ落ちる涙を、指先で彼が拭う。
『だけど、君への想いは変わらずここにあって ――― 』
そう言って、セイは自分の胸をさした。
優しい光を瞳に浮かべて。
セイは想いを伝えるようにまっすぐ世羅を見つめた。
『いつのまにか復讐したいという気持ちを超えて、ただ君への愛だけでいっぱいになっていた』
君を守りたいと。
そうして一緒になる。過去と、今 ―――― 。
「世羅、愛してるよ」
世羅はギュッ、と聖に抱きついた。
過去がどうとか、器だとか。世羅はどうでもいいような気がした。
ずっと信じてた。心が揺れたこともなかったとはいえない。
だけど、ずっと会いたくて。信じたくて。ずっと、ずっと ――――。伝えたかった言葉。
「私も、聖を愛してる」
結局はその想いに還るんだ。
どんなに傷つけられても。嘘をつかれても。心から消えない想い。それどころか溢れてくる。
そう告げる世羅に、ふわりと。聖は嬉しそうに笑った。
過去でも現在でも見たことがない、そんな聖の笑顔に、二人の間にあった見えなかった距離が消えていくのを感じた。
[愚かなことよ]
冷たい口調を含んだ声がふたりの耳に聞こえる。
聖と世羅は改めて、光に視線を向けた。
「世羅が言ったとおりだ。貴方はもう ―――― 神なんかじゃない」
静かな口調で、聖が告げる。
光の輝きがいっそう、大きくなった。
[器や失敗作がなにを言う。神の思考がわかるものか!]
力がいくつもの光になって、聖たちを目掛けて飛び掛る。聖は、空中から剣を取り出して構えた。
襲い掛かる光は聖が剣を一振りするだけではね返る。
「勝てないよ。一度は世羅を守るために取り込まれるのもいいと思ってそうした。でも、教わったんだ。自分の想いに素直になることが今の世羅を守ることだって。
――― 約束したんだ」
世羅を守ると。いつだって、信じるといってくれる世羅を失いたくない。暗い闇の中から救ってくれる彼女の「存在」を失いたくない。
―――― ぐっ。
聖は剣を握る手に力を込めた。
「だから今の貴方は俺に勝てない。もう認めなよ。自分は神じゃないってことを!」
光から放たれた力が、聖の言葉とともにその場で二人に届くことなく、爆発を起こす。
悠然と浮かんでいた光が更に発光して、まるで怒り狂ってるかのように叫んだ。
[私は……っ! 私は!]
その途端、世羅は地面が揺れるのを感じた。
ウリエルの力の波動が伝わってくる。
不意に世羅の頭の中にラファエルの声が響いた。
『セラちゃん! マズイ! ウリエルの力が暴走したっ! 僕とミカちゃんは他の天使たちを避難させるから、やばくなる前に塔からでるんだっ!』
「なんでそんなことになるのよっ!」
動揺した世羅は思わず叫ぶ。
「ウリエルだけの力じゃない。俺たちやあの光が発した力に塔が耐え切れなくなったんだろ」
冷静に判断する聖の言葉に、ハッと我に返って世羅は光に意識を戻した。
光は小さくなっていた。まるで怒りを抑えるかのように。
[……よい。誰もが自分勝手に生きてみるがよいよ。そのような世界は、やがては滅ぶ。全てが消滅しよう]
静かに光が言う。
[それならば我も滅びよう。全てとともに]
小さくなった光がまた一際、大きく輝き始めた。
塔の揺れが一段と激しくなっていく。
一瞬、世羅の心に何かが触れた。
全ての、星の、人の、生命を持つものたちの力が失われていく。バランスが崩れて、全てが砂のように消えようとしていた。
「世羅!」
同じものを感じたのか、聖が切羽詰ったように世羅を見る。
目が合った瞬間、世羅は嫌な予感を覚えた。予感というより、確信。
聖はそっと世羅を引き寄せると、その肩に両手を置いた。
「世羅、よく聞くんだ。今のままだとこの世界のバランスが壊れる」
確信していたことを突きつけられる。
あの光を止める方法 ―――― 。
同じものから生み出された聖と世羅だからわかる。
それがどんなに危険なことか。
暴走を始めた光の中に飛び込んで、力を抑えるしかない。
「それはわかるけど、だからって!」
言おうとした言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、世羅はハッと口元を抑えた。
(今……なにを言おうとしたの?)
『だからって、聖が犠牲になる必要ない!』
神と対峙して、世界のバランスを失わせたのは最終的に自分なのに。
[誰もが自分勝手に生きてみるがよいよ。やがては滅ぶ。全てが消滅しよう]
神の言葉が浮かぶ。
身体が震える。
( ―――― 本当に私たちがしたことは正しかったの?)
不安が一気に世羅を襲った。
「世羅、落ち着いて。俺は犠牲になるんじゃないよ。守りたいものがあるんだ。なによりも。失いたくないから。この世界に生きていて欲しいから。一緒に帰るべき場所へ帰りたい。だから、そのために守りにいくんだ。この世界を」
世羅の不安を見透かすように、聖はそっと抱き寄せてその耳元で力強い声で言う。
伝わってくるぬくもりと、心の中に染み込んでいくその言葉に、世羅は不安が消えていくのがわかった。
聖の手を握って、小さく頷く。
「約束する。帰ってくるよ、世羅のところに」
「うん……」
涙が頬を伝う。それでも世羅は笑顔を浮かべて、聖の顔を見上げた。
「待ってる」
瞳から零れ落ちた涙をそっと指ですくって、聖は微笑んだ。
唇に軽くキスを落として。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
精一杯の微笑みを見せて、世羅は応えた。
聖は世羅の身体を離すと、光と対峙する。
バランスを崩し始めた光は次第に黒く変色始めていた。
全ての生命を取り込みながら。
[ヲォオオオオオォオオォ]
悲鳴にならない叫びが光から発せられる。
聖は剣を握り締めると、一気に光に向かって走り出した。
「聖ッ!!」
世羅が叫んだ瞬間、聖は光の中へ躊躇いもなく飛び込んだ。
同時に世羅もガブリエルからもらった一枚の羽根に力を込める。ありったけの、力。
羽根が白い光に包まれる。
「ガブリエル、アレクシエル、……ミカちゃん。ラフィー君。ウリエル、ラジエル。全ての天使たち、そして ――― 、先輩。この宇宙にいる生命を持つものたち。どうか、力を貸して。それぞれの……、全ての世界を失いたくないから。どうか自分たちの住む愛すべき世界のために」
世羅の願いに答えるかのように、羽根には力が満ち溢れ。白い光が部屋を ――― 、塔さえもを包んでいった。
気がつくと、世羅は床に倒れていた。
「私……どうし、」
状況がわからなくて混乱しかけたが、ハッと我に返る。
「聖?!」
慌てて左右に視線をめぐらせる。けれど、返事はなくて、姿も見えなかった。
重い身体を何とか起こして、立ち上がる。足ががくがくと震える。
「……聖っ?!」
名前を呼んでも、返事はなくて。
涙が溢れてくる。
[心配することはありません]
不意に聞こえてきた声に、世羅は振り向いた。
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