■ Black angel 03 ■
ガァーーンッ!! ガァァーーーン!
銃声が鳴り響く。六発全てを撃ち終えると、ずれることなく急所に当っている的が近づいてくる。
パチパチ。
ふと、ユウしかいないはずの地下射撃場で、拍手が鳴り響いた。
銃を手にしたまま振り向くと、髭を生やした細身の男が立っていた。
見た目、40過ぎといったところだろうか。
冷たい一瞥を向けて、ユウは一言告げる。
「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」
言葉に棘を込めて。答えを待つ気はなかった。新しい銃弾を詰めて、今度は早い間隔で
撃ち尽くす。
心臓部分に六発。
怒りに任せて撃っても、苛立ちは取れなかった。
いまだ消えない後ろに立っている男に更に苛立つ。滅多に覚えないほどの怒りに任せるように、
怒鳴りつけようと銃を置き、振り向いた。
「いい加減にっ!」
その瞬間、まるでユウの機先を遮るように男は小さく肩を竦めた。どこか、そのふざけた仕草に
ユウの記憶が閃く。
「叔父さん? ……もしかして、トオル叔父さん?!」
「忘れられたのかと思ったよ。久しぶりだね、ユウ」
親しみやすい笑顔を浮かべて、悪戯っぽく片目を瞑るとトオルは懐かしそうに言った。
そっと優しくユウを抱き寄せる。温かい抱擁を交わして、頬にキスを受けたユウは
久しぶりの再会に涙を流す。トオルは苦笑を零した。
「最後に会ったときはまだ3つか4つの小さな女の子だったのに、とても素敵な
レディに成長したね。10年足らずだから忘れられていても仕方がないと思っていたが、
涙を流してもらえるほど喜んでくれるとは思わなかった……。実に嬉しい」
最後の方にはトオルの声も震えていた。お互いとも、感極まった涙を見せるのが恥ずかしくて、
暫らく抱き合っていた。
地下射撃場から地上へ戻って、ユウとトオルは見習い生のために開かれているカフェテリアに
移動した。
「しかし凄いものだね。百発百中かい?」
楽しそうに言うトオルに、ユウは曖昧な顔つきを見せる。
代わりに答えたのは注文を取りに来たウェイトレスだった。
「凄いでしょ、凄いでしょ?! 彼女は射撃の腕は勿論、頭脳明晰、それに美人。
『Z』の創立から、今の統帥以来の優等生ってそれは皆の憧れの的なんだからっ!」
興奮するように言うウェイトレスを半ば追いやるようにユウは素早くアイスコーヒーと
アイスティーの二つを頼んだ。
トオルはユウを見つめて、優しい微笑みを浮かべる。
「自分の姪が憧れの的だと言われると、嬉しいもんだね」
その言葉に苦笑を返して、ユウも「有難うございます」と素直に礼を口にした。
「それにしても、突然でしたね。……驚きました」
ユウはこの実の母の兄であるトオルのことが大好きだった。
心を許せる数少ない一人でもあって、彼の前ではいつも幼い自分でいられるような
気がしていた。
ユウの祖父母は国籍の違う夫婦で、祖父は日本という国の生まれで、祖母は
この国の生まれだった。けれど二人は離婚し、兄であるトオルは日本の祖父に、母は
この地に祖母とともに残ったらしい。
だが、トオルはよく母のもとに遊びに来てくれていた。
幼くまだ言葉も上手く話せないユウを可愛がってくれて、よくいろんな話をしてくれた。
絵本のことだけでなく。世界中のいろんなことを。
特に、トオルが住んでいる日本のことを。
そう。10年前までは ―――― 。
母が死に、日本の祖父がその2年後になくなってからはパッタリと消息を絶っていた。
またこうして会えることが出来るなんて思ってもいなかった。
「 ――― 母に会いに行ったら、ユウはここにいるって教えてくれたよ。母も、君によろしくと。
君がZ団に入って王室を守っていってくれることを誇りに思っていると伝えて欲しいって
頼まれた」
トオルにとっての母 ―― 。ユウの祖母になるが、同じシリア王国に住んでいるとはいえ、
彼女の居住地は離れた島にあり、首都からはあらゆる交通手段を乗り換えて、
2,3日はかかる。そう簡単に会いに行ける場所ではなかった。
手紙は半年に一度の回数で出してはいるけれど、簡単な近況報告のようなもので。
ユウにとっては母が亡くなってから、それほど交流の持てる容易い関係ではなかった。
「そうですか……」
短く答えて、複雑な表情を浮かべるトオルにそれ以上何か問われることを避けるために、
逆にユウが訊いた。
「今までどこで何をしてたんですか? 叔父を尊敬する姪としては聞く権利あると思いますよ?」
話しを逸らすように問われた言葉に、トオルはふっと息をつく。
10年以上放っておいて、今更ユウの心に踏み込んでいくのは躊躇われた。
避けられてしまえば余計に。
そう感じたトオルは小さく肩を竦めて、しんみりとした口調で言う。
「趣味の絵を描きながら、世界中をいろいろ放浪していたんだよ。悪かったね、心配かけた」
「心配? 私が?」
ユウも肩を竦めて、小さく首を横に振る。そのおどけるような姿に、トオルは苦笑を零した。
二人の間に穏やかな空気が流れる。
ウェイトレスが飲み物を持ってくるのを待って、ユウは不意に切り出した。
「それで、突然の訪問は何かあったんですか?」
トオルはすぐには答えることをせずに、目の前に置かれたアイスコーヒーに口をつける。
からんと氷が揺れる音が響いた。
「 ――― 実はユウに頼みがあってな」
「頼み、ですか?」
促しながら、ユウはまっすぐとトオルを見つめた。
トオルはそれを受けて意を決したように言う。
「モデルをして欲しいんだ」
聞き慣れない言葉に、ユウは驚いたように目を見開く。
「モデル……」
驚いたのは一瞬で、すぐに冷静な表情に戻る。訝るような声で呟いた。
「今度友人が私のために個展を開いてくれるんだよ。それで一枚どうしても
ユウを描いてみたいんだ」
「個展ですか、凄いですね」
「勿論それを売るつもりはない。ただメインとなる絵がなかなか決まらなくてね。そのとき、
ユウのことを思い出したんだ。無理にとは言わないが……」
ふとユウは黙り込んだ。思案するように目を閉じる。
その雰囲気に無理だと悟ったのか、トオルは立ち上がってユウに優しく言った。
「いや、いいんだ。忘れてくれ……」
「 ――― それって、処女とか関係ありますか?」
目を閉じたままで、唐突にユウの口からつむぎ出された言葉を一瞬、理解できなかった
トオルだが、座り直して答える。
「モチーフが天使なんだ。できればそっちの方がいい。だが、ユウ。まさか君は……」
ユウは目を開いて、射抜くような視線でトオルを見た。
「まだ処女ですよ。そうですか……。あとひとつ聞いてもいいですか?」
ユウの答えにトオルはほっと胸を撫で下ろしたが、その言い方には引っ掛かりを覚えた。
けれど、どう聞いていいのかがわからずにただ、頷く。
「なぜ私なんですか?」
「昔からユウは人を惹きつける魅力がある。ただ黙って立っているだけでそうだった。
その魅力に私も捕らわれていたんだよ。それを絵として表現できたらと思ってね」
トオルが言い終えると、また沈黙が降りる。
今度は彼もユウが話し出すまで待った。
時間にして5分くらいだろうか。ユウはもう一度強く目を閉じた。何かを抑えこむように。
トオルにはそれが何かを諦めているような姿に見えた。
だが次に目を開けたとき、ユウは承諾の返事を聞かせて、トオルを喜ばせた。
「条件があるんです」
「なんだい?」
「ひとつは今すぐ取り掛かって欲しいんです。それもレセンテ海岸にある別荘で」
トオルの脳裏に、妹であるユウの母親のお気に入りの場所だった、海岸に建つ白色で
染められた綺麗な別荘が思い浮かぶ。懐かしい思い出がたくさん詰まった場所だった。
「ああ、あそこは私の好きなところでもあるしね。いいとも。それにすぐという点でも賛成だ。
私も時間が惜しいし」
笑顔でトオルは頷いた。
ユウはそれを聞いて、立ち上がった。
「もうひとつは行きながら教えます。さっ、急いで」
「行くって……どこへ?」
戸惑いながらトオルは不思議そうに聞く。
「行ったでしょう。今すぐって」
にっこりと笑ってユウは言った。
時間がない。
今の自分には時間がないのだから ―――― 。
その日の夜、屋敷に戻った統帥は一枚の紙を執事から受け取った。
『1ヶ月とはいいませんが、少しの期間だけ心の準備をする時間を下さい。
けして逃げないと誓います。 ―――― ユウ=クレイス』
くしゃりと、統帥は紙を握り潰す。
(一ヶ月か。まあ、十分だろう。)
暫らくは一人で我慢するか。
深く息をついて、統帥は苦い笑みを浮かべた。