■ Whaite day 02 ■
次の日、セイント学園の寮を訪れた統帥は、寮母に広間で待つよう言われた。
ふと、広間の中央に小さなマリア像が置かれていることに気づいて、側まで歩み寄る。
(相変わらず、偽善者のような顔をしているな。)
マリア像を見つめながら、彼はそう思った。
全てを愛することのできる女性など ――― そんな人間がいるわけがない。少なくとも、自分が知っているこの女性と同じ名を持つ彼女は、愛するという言葉には無縁だった。
面影が目蓋の裏に浮かんで、統帥の心を波立たせる。それを抑えようと、彼は目を閉じた。
「マリア像が嫌いなの?」
不意に届いた声に、驚いて振り向くとそこには昨夜みたユウ=クレイスの姿があった。淡いブラウンの瞳に探るような光を浮かべて、見上げてくる。
「どうしてそう思うんだい?」
「私も嫌いだから。それにマリア像に殺気を飛ばしてたもの」
―――― っ?!
即座に返ってきた答えに、統帥は思わず息を飲んだ。
殺気を飛ばしていた? 確かにそうかもしれないが、訓練を受けた者ならいざ知らず。それでも騎士団で称号を受けた者にしかわからない程度の、微々たるものだったはずだ。ただの一般人が…。それも、幼い子供が。わかるはずない。
内心の動揺を隠しながら、彼は冷静に問い掛けた。
「マリア像を崇めるべき生徒が嫌いとはね。理由を聞いても?」
だが、ユウは皮肉げに唇の端を上げた。
「会ったばかりの人にそこまで話す義務はないと思うけど? ……あっ、リラン!」
辛辣な答えが返ると同時に、もうひとりの少女が現れて、大人びた表情をしていたユウの顔が、急に年相応のそれに戻る。その変化にしばらく見惚れながらも、統帥は本来の目的を思い出した。
二人が座ったソファーの向かい側へ座り、改めて話しを切り出す。
「私は王室守護隊「Z」の統帥でね。昨日の事件について話しを聞きたいんだが、……いいかい?」
できる限り優しい口調で聞くと、昨日よりは顔色のいいリランが笑顔を浮かべた。
「昨日はありがとうございました。もう立ち直りましたので、大丈夫です。なんでも聞いて下さい。といっても、お話しできるようなことは……」
「いいんだ。ただ昨日のことをできるかぎりでいいから、思い出して話してもらえれば」
昨夜とは違う。穏やかな口調ではあるものの、はきはきとした話し方をする少女に少しばかり驚きながらも、そう促した。
「はい。昨日はあの宝石店に用事があるって言うユウと、待ち合わせしていたんです……」
リランは頷いて、昨夜のことを話しはじめた。
――― ・・・ ―――
……遅いなぁ、ユウ。
腕にはめた時計を見て、ため息をつく。
彼女が祖母への誕生日プレゼントを買うために、寮へお金を取りに行ってから、すでに一時間は経とうとしていた。
この宝石店までは30分あれば来れるはずなのに。
高価な宝石店は、初等部の自分がひとり待っているには、とても不釣合いに思えた。店内を見まわすと、すでに閉店時間も近いせいか客は2,3人しかいない。
再度リランがため息をついたとき。不意に店員から声をかけられた。
「あの、お客様。レーテさまでいらっしゃいますか?」
「はい…。そうですけど……?」
頷くと、店員はあちらに。といって指を差す。
「クレイス様からお電話が入っているのですが、」
――― ユウから?
訝りながらも、受け取る意を示すと電話のある場所まで案内される。
「ユウ?」
『あっ ―― リラン? ごめんね、寮母に捕まっちゃって……』
受話器の向こうから、申し訳なさそうな口調でユウの声が聞こえた。
「ほんと? じゃあ、もう出て来れないね」
規則に厳しい寮母が、門限を過ぎている時間にだしてくれるはずもなく。
『うん、だからもう帰ってきてよ。リランは図書館で勉強してるって言っておいたから、口裏あわせてね』
「わかった。じゃあ、すぐに ――――」
帰るから。
そう言おうとして、言葉を失った。
いきなり、店内が白い煙に包まれていく。
『リラン? どうしたの?』
「わかんなっ…けほっ、けほ! 急に煙が……けほっ」
吸い込んだ煙に咳をしながら、ポケットからハンカチを取り出し口元に当てる。
『聞いてる、リラン? 今すぐ電話を切って、机の下に隠れて!』
異変を感じ取ったらしいユウの切羽詰った声。
それは珍しく、戸惑いながらもリランは頷いた。
「う、うん…。わかった」
そう答えて受話器を切ったとき、どこからともなく銃声が聞こえた。
なっ、なに ――― ??
目の前さえなかなか見えない真っ白な煙の中で聞こえる銃声は、パニックを引き起こす。
悲鳴が周囲から聞こえる。恐怖に怯えながらも、リランにはユウの言葉が耳に残っていた。
机の下に隠れる ――― 。
なんとか目を凝らし、隠れることのできるものを探す。運良く電話台の側には、小さいもののそれでもリランが隠れるには十分なスペースのある机を見つけることができた。
慌てて、その下にもぐり込む。
後は目も耳も塞いでいて ―――― 。
「騎士団の方がいらっしゃるまで、隠れていただけなんです」
リランは恥ずかしそうに、頬を赤く染めた。
統帥は笑顔を作って、言う。
「いや、それでよかったんだ。本当に無事でよかったね」
話しを聞かせてくれてありがとう。
付け加えるようにそう言うと、統帥は立ち上がり玄関へと向かう。
「待って、そこまで送ってく!」
あとからユウが追いかけてくる。
「ミス、クレイス! 走ってはいけません!」
ちょうど階段を降りてきたらしい寮母の叱り声が耳に届いた。ユウがぴたり、と止まって寮母の方を見る。寮母は眉を上げてユウを睨み付けていた。
「それにもう7時ですよ。外に出るのは……」
「心配ありません。ユウはわざわざお越し頂いた方をお見送りするだけですわ。令嬢のとして当然のことでしょう?」
リランが寮母を制して、にっこりと笑顔で言った。
「えっ…、ええ。まぁ…そう、ねぇ……」
手を頬に当てて、考え込むような仕草をする寮母をよそに、ユウは素早く統帥の手を引っ張って「今のうち!」と、外へ向かった。
繋いでいる手のぬくもりが、なぜだかひどく懐かしく感じられる。離したくないような想いに、一瞬捕らわれてしまっていた。