雨のち晴れ。ときどき、嘘つき。

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  曇り日(4)  

 「やっぱりこの時期はなかなか上天気にはならないねー」
 開け放した窓から空を見上げて上総が溜息をついた。私もお弁当をつつきながら頷く。今日も薄っすらとした灰色の雲が空を覆っていた。
 「今日は郁ちゃん先生の手伝いに行かなくていいの?」
 「今朝は先生の部屋まで行って、お弁当を渡してきたから」

 一週間に三日、火・水・金は私が学校まで持ってきて、お昼に一緒に食べるようにしてる。勿論、授業の手伝いをするという名目で。それが学校では他人のフリをするという約束のひとつ。人気のある郁斗先生の知り合いだなんてバレたら楽しい学校生活がそれこそ、今の空の様に灰色になってしまうから、私がなんとか説得した。最初は毎日だったのを交渉して三日にしたけれど、郁斗先生は何事も自分に有利に運ぶから初めからそれくらいを狙っていたんだろうとは思うけど。友達である上総との時間を大切にしていることもわかってくれているから。

 「ってことは、今日はなんかあるわけ?」
 察しがいい上総はそう言って、空に向けていた視線を私へと動かす。お弁当の中に入っている卵焼きを箸で取って、上総の口の中に放り込んだ。むしゃむしゃと食べる姿を見ながら、首を縦に振った。
 「放課後、睦兄と洋服を買いに行くの」
 「それを郁ちゃん先生に邪魔されたくないわけだ?」
 見透かすように言われて、もう一度頷いた。

 睦兄と洋服を買いに行くことは言っていない。知ればきっと、自分も一緒にと言い出すに決まっているから。暗黙の了解というわけではないけれど、睦兄も郁斗先生には言っていないみたいだった。

 「そっか。お兄ちゃんが好きなんだね」
 ギクリと動かそうとしていた手が止まった。
 上総には睦兄が好きなことを言っていない。むしろ、義理の兄妹であることさえも。郁斗先生が睦兄の親友ということと、アプローチをかけられていることは話してあるけれど。驚いて、どういえばいいのか戸惑ってると、だってさ、と肩を竦められた。
 「お兄ちゃんのために家事を頑張って、お兄ちゃんと二人で出掛けるために郁ちゃん先生を振るんでしょ? それはまさにブラコンだ!」
 ずばり、と指摘する上総の目は好奇心に満ちている。私は苦笑して、再びお弁当のおかずに箸をつける。クリームコロッケを頬張りながら、拗ねるように言った。
 「優しいし、かっこいいし。大好きですよー」
 「まあ、ふたりっきりの家族だもんね。そうなるのも仕方ないかー」
 私の言葉にうんうん、と頷いて上総は納得する。その言葉に胸がずきりと痛みを訴える。ふたりっきりの家族、それは間違ってはいない。だけど、もう。睦兄への好きという感情は家族へのものじゃない。でも家族としての睦兄を失いたくないという気持ちもあって、素直に告白できなかった。
 「じゃあ、まあ、ってどうしたの?!」
 突然、上総が私を見て瞠目した。その顔は動揺していて、困惑する。

 「泣いてるよ、佳澄」

 そう突きつけられて、慌てて頬に触れる。濡れている感触に気づいて、スカートのポケットからハンカチを取り出す。
 「わっ、わかんない……。なんか、急に、曇ってるからかな……?」
 頭の中がぐるぐるして、わけのわからない言い訳が勝手に飛び出していく。どうして泣いているのか、どうしてこんなに悲しいのか、自分でもわからない。
 「うん。とりあえず、落ち着こう」
 そう言って、上総ができるだけ周囲から見えないように動いてくれる。幸いにもこの学校には学食があって、お昼時間の教室は人が少なく、しかも隅っこの窓際で食べていたから気づかれる心配はないみたいで、上総が優しく頭を撫でてくれる。
 「ねぇ、佳澄。そんなにつらいなら、苦しいなら、話してよ。佳澄が信じてくれるまで待ってようって思ったけど、それは我慢させるためじゃないの。私が佳澄と友達でいるのは佳澄が好きだからだよ? 裏切ったりしない。だから怖がらないで」
 いつになく真剣な口調はゆっくりと胸の中に染みこんでいく。同時に驚いた。いつも何も言わずにいてくれた上総がそんなふうに考えていたことに。私が友達という関係 ―― 誰かと絆を作ることを怖がっているということを見透かしていた。やっぱり察しがいい。高校に入って、上総と友達として付き合ってきたこの期間を思って、信頼できると感じていた。黙っている私をずっと見守ってくれていたことを知っているから。話さなくても、それでも離れていかなかったから。上総の性格は十分すぎるくらい知っている。その言葉で私は決心した。
 「今度、上総のところに泊まりに行ってもいい?」
 「えっ、あ、うん、もちろんっ!」
 突然の申し出にも関わらず、一瞬だけ戸惑ったけどすぐに理解した上総は笑顔で頷いてくれた。
 「そのときね、たくさん話したいな」
 「うん。夜更かしして、いろんなことを話そう。私も聞いて欲しいことがあるし」
 上総の言葉に、えっと声を上げる。訝るように見ると、ふふんっと得意げに笑って上総が悪戯っぽく片目を瞑る。
 「私にだって、内緒にしていることのひとつやふた ―― ひとつ? あるのよ!」
 そう言われて、思わず笑ってしまった。
 楽しみだね、と言いながら、その実行日について相談することにした。

 学校が終わって、放課後は無事に郁斗先生に捕まることなく、睦兄との待ち合わせ場所まで急いだ。運転席で座席にもたれて目を閉じている睦兄は、客観的に見てもやっぱりかっこいいらしい。歩道で通り過ぎる女性たちがうっとりと視線を向けているのがわかった。その間を通り抜けて、助手席側の窓をこつんと叩く。そうして、ドアを開けた。
 「お待たせ」
 私がそう言うと、睦兄はにっこりと笑ってくれた。
 「僕も今着いたところだった。タイミングよかったよ」
 突き刺さるような視線を背中に感じながら、私は助手席に座ってシートベルトをつける。
 「どこに行くの?」
 「知り合いのデザイナーが店を出してるんだ。そこで作ってもらおう」
 「友達?」
 車を動かしている睦兄に視線を向けて訊くと、少し考えるような間があって、答えてくれた。
 「郁斗も知ってるよ。友達というか、まあ。うん」
 「睦兄?」
 歯切れが悪い睦兄の様子に目を細めると、小さく肩を竦めて内緒だけどな、と言われた。
 「郁斗の元カノのひとり」
 「えーっ。そ、それって……私が行くのは……」
 「彼女は一風変わってて、まあ。大丈夫だ。もう郁斗とのことは割り切ってるし、ちゃんと恋人がいるよ」
 焦ったようにそう宥められて、少し疑問に思った。
 「睦兄、郁斗先生のモト彼女とも付き合いあるの?」
 「誤解はするな。僕も忘れてたけど、ドレスを作るっていうので思い出したんだ。その女性は有名だから恋人がいるのはマスコミであげられてたし、連絡して話したら快く承諾してくれたから。郁斗のことはすっかり割り切ってるみたいだったよ」
 「じゃあ、私のためにわざわざ、連絡してくれたんだ……」
 そう考えると嬉しい。
 どんなに引き締めようと思っても、頬が緩んでくる。睦兄が私のためにしてくれるひとつひとつが嬉しくて、幸せになる。ふと、有名という言葉を思い出して、首を傾げた。
 「その女性って、誰なの?」
 「名前は ――― 」
 そうして睦兄が口にした名前に驚愕した。

 ライムノートというブランド。新進気鋭のデザイナーが立ち上げて、今は最先端のデザインと世界的にも有名になってきている。ハリウッド女優たちが映画祭などでテレビに出るときは必ずと言っていいほどライムノートのドレスが映り、女性達の憧れになっていた。そのデザイナーが、サリナ。睦兄が紹介してくれた女性だった。本人がモデルみたいにプロポーション抜群で、淡い茶色の長い髪をさらりと後ろに流している。すっきりした顔立ち、碧の瞳と色白い肌に赤い唇。纏う爽やかな香りが大人の色香を醸し出していて、対面するとあまりにも自分とは差がありすぎて、居心地の悪さを覚えた。睦兄と並んでいても、見劣りしない女性。

 「久しぶりね、春日くん」
 「ご無沙汰してます。今日は妹のために無理を言ってすみません」
 「いいのよ。私も噂の春日くん秘蔵っ子、妹さんには会いたかったもの。楽しみにしていたわ」
 サリナさんは悪戯っぽく笑みを零して肩を竦めた。その言葉に苦笑しながら睦兄は、すぐに私を紹介する。
 「サリナさん。妹の ―― 」
 「はっ、初めまして。春日佳澄です!」
 促されて、慌てて頭を下げる。顔をあげると、きらきらとサリナさんの目が煌いているのが見えた。
 「初めまして、サリナよ。よろしくね」
 にっこり笑って言われて、ぎゅっと手を握られた。そうしながら、頭から爪先まで遠慮なく見つめられてしまう。それは嫌味のあるものじゃなくて、まるで商品を品定めしているかのような視線だった。
 「痩せてもなく、太ってもなく。うん。年頃のキレイなスタイルしてるわね。時間がないから早速、お仕事させてもらうわよ」
 ハキハキそう口にすると、隣の部屋が仕事場だからと促された。
 「春日くんはここで待っててね。三十分くらいですむと思うから」
 付いてこようとした睦兄に向かってサリナさんはにっこりと笑って言った。はいはいと苦笑する声が聞こえて、ぱたりと扉が閉められる。

 仕事場だと言うだけあって、室内は雑多に物が散りばめられていた。机の上のミシンやら、作り掛けらしい型紙、ハサミ。マネキンに着せられている服。布着れ。デザインが描かれている紙もいたるところにあった。

 「まずはサイズを正確に測りたいから、下着まで脱いでくれる?」
 言われた通りに服を脱ぐ。メジャーでいたるところを測りながら、サリナさんはメモに書き込んでいった。
 「睦兄とは大学の頃の知り合いなんですか?」
 「……あら。春日くん、私のことをなんて紹介したの?」
 逆にそう訊かれて言葉に詰まった。素直に答えてしまっていいものだろうか。迷っていると、見透かしたように目を細められた。
 「もしかして、郁斗の元カノ、とか」
 声がわずかに低くなって、その剣呑な響きに思わず頷いてしまった。はぁ、と大きく息をつくと、サリナさんは再び手を動かし始める。
 「ごめんなさい」
 沈黙が居た堪れなくてそう謝ると、違うのよと、苦く笑う声が聞こえた。動かないでね、と言われているからウェストを測っているサリナさんの顔は見ることができなかった。
 「佳澄ちゃんが謝る必要はないわ。それに、それは事実だし。消したくても忘れられない過去ってやつね」
 もっていたメジャーを置いて、服を着るように促される。その間、サリナさんはメモになにやら書き込み始めた。
 「春日くんと郁斗とは大学二年まで一緒だったの。そして、二年のそうね、三ヶ月もつかもたないかっていうくらい、郁斗と付き合って別れて、そのあとは私はデザイナーの勉強をいちから始めたくてパリの知り合いのもとへ留学したのよ」
 淡々と説明するサリナさんの顔には懐かしささえ欠片も浮かんでいない。そのことに驚いていると、視線で気づいたのか苦笑を零された。もっていたメモを側にあった机に置いてもたれる。
 「郁斗はね。もともと女性遊びが派手で、それがわかってて私は好きになっちゃったし、付き合ったの。気持ちが一方通行過ぎて散々泣かされたけど、今は別の人と真剣に付き合って、あのときの恋愛が私にとっても意味のない薄いものだったとわかったのよ。芸能人に恋する少女ってところかしら」
 「睦兄とはどういう……?」
 郁斗先生の女性遊びが派手だったということは知っていたけれど、想像よりも酷かったのかもしれないと思って、呆れてしまった。そうして、睦兄の大学時代のことが気になった。郁斗先生に訊いてもはぐらかされるから、この機会に知りたい。好奇心むきだして訊くと、サリナさんは頬に手をあてて記憶を探りだすようにして、教えてくれた。
 「そうねぇ。春日くんは逆に、女性に対しては真面目だったわね。付き合ってと迫る女の子達は断ってたし、ああ、そうそう ―― 」
 何かしら思い出したのか、いきなりサリナさんは笑い出した。
 「あんまり誰とも付き合わずに郁斗と仲良かったから、ふたりがゲイなんじゃないかって噂もあったわね。だから郁斗は女性遊びが派手になったのかもしれないけど」
 「睦兄と郁斗先生が?!」
 驚きながらも、どこか納得できるような気もした。確かにあの二人は男友達というには仲がよすぎるときもある。一見、睦兄は嫌そうな態度をとっているようにしているときもあるけれど、常に連絡を取り合っているのも、家に連れてきたのも、郁斗先生だけ。他の男友達の名前を聞いたことさえなかった。
 「まあ、どちらかといえば、郁斗が春日くんに懐いていたみたいだったわ」
 それは今もあまり変わらない気もする。なぜあの郁斗先生が睦兄に懐いているか疑問には思うけど。
 「あのふたりは似たもの同士なところあるしね」
 「えっ?」
 付け加えて言われた言葉に首を傾げる。サリナさんは服を着るように言って、寄りかかっていた机から離れた。
 (睦兄と郁斗先生が似てる……?)
 どちらかというと、二人は正反対のような気がする。いつも落ち着いていて物静かな印象を受ける睦兄と、明るく動き回る郁斗先生。纏う雰囲気からして違う。どういうことだろう、と服を着終わってもサリナさんに視線を向けたままでいると、気づいた彼女が苦笑を零す。
 「……根底がね、似てるの。ただ、春日くんは大切なものを持っていて、郁斗にはなにもなかったってだけよ。大学の頃はわからなかったけれど、今ならわかるわ」
 「大切なもの……?」
 疑問はあったけれど、それ以上は訊けるタイミングでもなくてサリナさんは隣へ続く扉を開ける。我に返って、急いでその後に続いた。
 ソファに座って雑誌を読んでいたらしい睦兄は、「お待たせ」と言ったサリナさんの言葉で顔を上げた。雑誌を置いて、肩を竦める。
 「早かったね」
 「形とか色はあなたと相談することにしたの」
 睦兄は驚いたように目を見張った。くすりと笑みを零して、サリナさんが微笑む。その微笑みは何かを含んでいるかのようで、悪戯っ子のように片目を瞑る。
 「何を企まれてるのかな?」
 「秘密。ドレス代はそれでまけてあげるわ」
 睦兄は苦笑して、降参するように軽く両手を挙げると、頷いた。それを見て、サリナさんの視線が私に向く。
 「ドレスはパーティー前日にはできるから、学校帰りにでも取りにきて」
 「はい。ありがとうございます」
 丁寧に御礼を言って、私と睦兄はサリナさんの事務所を後にした。

 車に乗り込んでからずっと、睦兄は無言だった。二人っきりでいるときの沈黙は嫌じゃないけれど、それとは違う気がする。
 「……睦兄、何か気になることでもあるの?」
 ハッと我に返って、ちらりと視線を向けてきた睦兄は苦笑する。
 「いや……。なんでもないよ」
 「うそ。サリナさんの言ったことが気になってるんでしょ?」
 「僕はドレスのアドバイスなんてしたことないし、佳澄が気に入るようでよかったのにと思ってね」
 自信なさげに言う睦兄の口調と表情は珍しくて、その横顔を思わずじっと見つめてしまう。睦兄のセンスはいつだって素敵だし、自信を持って選んでくれて良いんだけど。そう思って、ほんの少しサリナさんが考えてることがわかったような気がした。
 (えっ、……ってことは、もしかして、サリナさん。気づいたの?!)
 まさかまさか、と頭を振る。今日初めて会ったのに ―― 睦兄とは大学の頃の知り合いかもしれないけど ―― 気づくなんて。いくらなんでも。
 「佳澄?」
 呼びかけられて、我に返る。
 「なっ、なんでもないよ!」
 「……これから、夜御飯でも食べに行こうって言っただけなんだけど、嫌なのか?」
 「わっ、うん! 行こう、行こう!」
 慌てて言うと、睦兄は面白そうに笑って、それから片手が伸びてきた。大きな手の平でぽんぽんっと軽く頭を叩かれる。
 「大丈夫か?」
 「……うん。へいき」
 膝に置いた手をぎゅっと握り締めて、その優しい声に溢れてきそうになる感情を押さえつけた。

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