雨のち晴れ。ときどき、嘘つき。

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  暴風雨(1)  

 朝のニュースで流れる天気予報を見て、最悪、と思わず呟いた。きっと今、真っ青な顔をしているんだろう、と鏡を見るまでもなくわかる。それなのに、止めを刺すかのように、気象予報士は言った。

 ――― 今週末は暴風警報が出ているので、くれぐれも気をつけてお出掛け下さい。

 「佳澄、顔色悪いよ」
 リビングに入ってきた睦兄がかけてきた声に、慌てて手にしているリモコンでテレビ画面を消した。できるだけ普通に聞こえるように心がけながら、首を振る。
 「なんでもない。ちょっと、占いの順位が悪かっただけ」
 睦兄は、椅子に座りながら、ため息をつく。
 「そういう不確かなものは信じてないって、郁斗に二人の相性が最高だって言われたとき言い返してたと思うけど、気のせいだったかな」
 ほんの少し、機嫌の悪さが含まれた口調に気づいて、はっと顔を上げる。いつも優しく見守ってくれている目に、わずかな苛立ちがあるような気がした。
 「むっ、睦兄 ―― 」
 「夜遅くに郁斗に限らないけど、男の部屋に行くのは許されるべき行為じゃない」
 有無を言わせない口調。滅多に怒らない睦兄のそれとわかる表情に、息を呑む。確かに昨夜の自分の行動は今思い返しても、馬鹿だと思わずにはいられない。いつも郁斗先生には、甘えたくないと突っぱねているのに、肝心なところで泣きついてしまった。恥ずかしすぎる。思い出して、素直に謝った。
 「……ごめんなさい」
 心から反省してる。そう想いを込めて言った謝罪に、睦兄は不機嫌な空気を消し去ってくれた。私が一度反省して謝罪をしたとき、二度と繰り返さないことを知っているからだ。いつまでも、引き摺らない。そうして、信頼する。それが睦兄だった。
 「わかってくれたならいいんだ。さ、ご飯を食べよう」
 打って変わって優しく促されて、頷いた。箸を取って、ご飯を食べながら昨夜、郁斗先生に言われたことを思い出す。
 ( ――― 佳澄ちゃんはどうしたいの?)
 言ってしまえば、この気持ちはラクになる?
 だけど、睦兄に否定されたら? 妹としてしか見られないって言われたら? 私はたったひとりの家族を失ってしまう。きっと、睦兄はその後も今と変わらずに優しく接してくれると思う。けど。本当に変わらずにいられるとは思えない。きっとぎくしゃくして、一緒にいられないと感じた睦兄はここを出て行ってしまうかも。それは嫌だ。絶対に、嫌。睦兄を失いたくない。
 ふと、睦兄と目が合った。
 「話があるなら、聞くよ。まだ時間あるし」
 「えっ?」
 「そんなに見つめてくるから、何か言いたいことがあるんじゃないかと思った」
 柔らかく微笑んでくれる顔に、どきりと胸が高鳴った。最近は前に増して、睦兄を意識することが多くなった気がする。だから、感情が不安定になってしまう。
 (いつまで、隠せるかな。)
 ぐるぐると郁斗先生の言葉が頭の中を巡る。
 「睦兄 ―― 」
 言いかけて、脳裏に記憶が一瞬だけ閃いた。憎しみが込められた目。嫌悪に満ちた表情。なによりも、そのすべてが悲しげな雰囲気を纏っていた。ハッと息を呑んで、慌てて首を振った。
 「な、なにもないっ。そろそろ学校に行かなきゃ!」
 「佳澄!」 
 呼び止めるように名前を呼ばれたけど、立ち止まる余裕もなくて玄関に用意していた鞄を手に取った。睦兄が追いかけてくる前に、玄関を開ける。外に出てから、扉に寄りかかって、息をつく。胸に手を置くと、どきどきと音が鳴っているのがわかる。ぎゅっと手の平を握り締める。
 (好きだよ、睦兄。大好きなんだよ ――― 。)
 郁斗先生のように、村田君みたいに。ただ『好き』だと言いたいだけなのに、その一言を告げるには、あまりにも重過ぎて。どうしたら何もなかったように、この想いを上手に伝えることができるんだろう。
 睦兄を好きになってから、好きだと自覚してから、同時に抱え続けている疑問。溜息が零れ落ちる。空を見上げても、灰色よりも暗い雲が覆い尽くしていて、その答えは永遠に見つからないような気がした。


 気分が悪い、頭が割れそう。
 午後から降り出した雨に朝から体調は低下の一方を辿っている。流石に教室の椅子に座っているのもきつくなって、再び無理をして倒れてしまう前に早退の許可をもらった。
 傘を閉じて、マンションのエントランスまで入ったとき、ひとりの女性が待合室のソファに座っているのを見つけた。淡い茶色の髪をふわりとカールにしている彼女はとても可愛らしい顔をしていた。この前会ったばかりのサリナさんを思い出して、対照的なイメージを感じた。大人っぽく魅力あふれた雰囲気を纏うサリナさんとは違って、深窓のお嬢様といった、大人しい感じを受ける。だけど、その黒い瞳を見たとき、正反対の印象を受けた。彼女はきつく、鋭い、まるで研ぎ澄ました刃のような視線を突きつけてきていた。
 「……あなたが、佳澄さんね」
 ソファから立ち上がった彼女は眉を顰めて、確信めいた口調でそう言った。少なくとも、値踏みするような表情には、いい感情は含まれていない。
 「そうですけど、貴女は?」
 「私は村田紀子(のりこ)よ。聞いてない? 睦月さんの婚約者なの」
 婚約者、という言葉に息を呑む。
 (村田って……。)
 聞き覚えのある苗字に、睦兄がお見合いをした相手だと思い出した。断ったって言ったのに、どうして婚約者なんて言えるのかわからない。その図々しさにぞろりとお腹に嫌な感覚がわきあがってきた。
 「そんな話は聞いてません。睦兄はお見合いは断ってるって言ってましたから」
 「そうね。手のかかる妹さんがいれば仕方ないわ」
 冷たい響きが含んだ声が空気を張り詰めさせていく。
 「……何が言いたいんですか?」
 ずきずきと割れるように頭が痛んで、吐きそうになる。早く本題を言って、帰って欲しい。早く、ひとりになりたい。相手を思いやる気持ちも、今はとてもじゃないけど持てそうになかった。
 「さっさと睦月さんを解放してあげてって言ってるのよ」
 嘲りの含まれた声に、苛立ちが募る。
 「どうしてあなたにそんなことっ!」
 「 ――― あなたと睦月さん。血は繋がってないんでしょう?」
 勝ち誇ったような微笑みを浮かべている顔を見る。痛みも、気持ち悪さもすべて遠ざかっていく。たとえ今、どんなに体調が悪くても、私と睦兄の関係を否定する人の前で弱いところを見せたくなかった。正面から彼女を見据える。
 「素敵なお兄さんだもの。恋心を持つのはわかるけど、妹として育ったからってずっと面倒を見てきた優しいお兄さんを裏切るの?」
 (どうして、あなたが。何も知らないくせに。)
 気がついたら、感情のまま口を開いていた。
 「睦兄に断られた以上、あなたには関係ないっ!」
 「なんですって?!」
 彼女の手が振り上げられる。まるで、スローモーションのようにその動きが視界の中に入ってくる。

 ――― どうして、あんたなんかっ! あんたなんかっ!
 やめてっ。……お願いっ、やぁっ。

 頭の中に声が響き渡る。浮かび上がった残像に全身、鳥肌がたつのがわかった。急に恐怖が襲ってきて、ぎゅっと目を瞑る。

 「悪いけど、彼女に暴力を振るうなら相応の見返りは受けてもらうよ?」
 郁斗先生の声が聞こえた。瞑っていた目を開けると、紀子さんの手首を掴んでいる姿が見えた。その顔には、表情ひとつ浮かんでいない。だけど、目は鋭く紀子さんを睨みつけていた。いつもと違う雰囲気は恐ろしく、他人を排除する空気を作り出している。その空気は身動ぎするだけで、肌を切りつけるような感覚を与える。
 「郁斗先生……」
 目が合うと、すぐに優しい視線を向けてくれた。表情は柔らかくなって、普段の見慣れた郁斗先生に変わる。
 「早退したって聞いたから心配して様子見にきたんだ。抜群のタイミングでこれてよかったって、顔色悪すぎ。こんなの相手にしてないで、早く部屋に戻ろう」
 そう言って掴んでいた手を離すと、さっさと歩み寄ってきた。背中に手を添えられ、半ば強引にエレベータへ連れて行かれる。突き刺してくるような視線を感じたけれど、気にするほどの余裕はなかった。遠ざかっていた気持ち悪さと頭痛がぶり返してくる。
 「大丈夫?」
 部屋の階のボタンを押した郁斗先生が気遣うように訊いてきた。その声も遠くて、頭の中に鳴り響く鋭い音に痛みが走る。
 「佳澄ちゃん?」
 ( ――― 嫌っ! やめてっ。お願いっ!)
 襲ってくる吐き気にぐっと、唾を飲み込む。それでも、強い衝撃を感じて、頭だけじゃなく、全身を叩きつけられるような痛みを感じた。その激痛に堪えきれず、力が抜けていく。
 「佳澄ちゃんっ!」
 最後に呼びかけてくれる郁斗先生の声を聞きながら、意識が失われていくのを感じた。

 ――― 佳澄っ!
 「……助けて、睦兄」
 真っ暗闇の中で、切羽詰った様子で駆け寄ってくる今よりも幼い睦兄の姿が見えて、私は手を伸ばした。
 
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