雨のち晴れ。ときどき、嘘つき。

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  暴風雨(4)  


 じゃあ、試着してみてくれる?
 学校が終わって、ドレスを受け取りに睦兄と訪れた事務所にひとりで向かうと、すぐにサリナさんが出てきて、待ってたわ、と綺麗な笑顔を浮かべてくれた。その笑顔は今日で二度目でしかないのに、表面的なものではなくて親愛が込められているみたいで、先日の冷たい視線に貫かれたときとは違って、ほっと安心できるものだった。
「家族を招いてのアットホームなパーティーって聞いたから、そう凝っていないシンプルなものに仕上げたのよ。勿論、春日君の意見を取り入れながらね」
 渡されたドレスは薄いブルーの色に染まっていた。雲ひとつない、晴れ渡った澄んだ空を思い起こさせる色。ラメが混ざっていて煌いている。手触りも柔らかくて、一目見た瞬間に気に入ってしまった。けれど、ふわりと揺れるスカートの裾に少しスリットが入っていることに気づいて、私には大人っぽいような雰囲気にも思える。似合うかどうかはともかく、とりあえず着てみようと、サリナさんに促された部屋で着替えることにした。
 「 ――― あらら。思った以上ね。似合ってるわっ!」
 サリナさんの前に姿を見せると、嬉しそうに手を叩いてそう言ってくれる。鏡はまだ見ないでと注意されてそのまま、化粧と髪をセットしてもらう。さぁ、できたと鏡の前に連れて行かれて、鏡の中の自分の姿に戸惑った。
 「これが私……?」
 普段見慣れているはずの顔が、他人のように見える。薄っすらとした化粧。毛先はウェーブがかけられて、いつもより大人っぽい。更に、薄いブルーのドレスは首から鎖骨部分はレースで覆われるようになっていて、開いているのに羞恥を感じるほどでもなく、丈の長いスカートはスリットが入ることでスッキリとした印象を見せる。大人っぽいけれど、色気があるほどのものでもなく、その中間を捉えていて、今まで自分が着ていたものとは違う雰囲気に圧倒される。
「あなた達くらいの年齢は大人になる前段階ってところよね。子どもであることを大事にして欲しいし、大人になるって心持ちをちゃんと持って欲しい。そういう感じを表現してみたわ」
 悪戯っぽく笑って言うサリナさんの顔は誇らしげに見える。仕事を達成した満足感があるその顔には、似合ってないとは言わせないという無言の圧力さえ感じた。これが他人なら賞賛の言葉を言うところだけど、着ているのが自分となるとドレスは確かに素敵だけど ―― と思ってしまう。自信のない顔に気づいたのか、ぽんっと肩を叩かれた。
「堂々としないと、せっかく似合ってるものもみすぼらしくなってしまうわ。作ったのは私でも、春日くんが選んだドレスなのよ。形も色も。イメージも。小さい頃からずっとあなたを見てきた春日くんよ? もっと自信持って。ね?」
 睦兄が私のために。私のことを考えて ―― そう思った途端に、着ているドレスが輝き出したような気がして、胸が熱くなる。大切に想われている。それは二人で過ごしてきた年月の中で疑うことができないほど感じてきた確かな、睦兄の愛情。それが罪悪感からだと拗ねることもできないほどに、睦兄に守られてきた。それで十分だと感じる妹として、家族としての自分と、好きだという気持ちが溢れてどうしようもない自分の気持ちで不安定になる。どんなに私が好きでも、睦兄は……。
 「佳澄ちゃん?」
 サリナさんの声に我に返る。
 「あ、はい。有難うございますっ! とっても気に入りました!」
 お世辞じゃなく、心からそう思っていることが伝わるようにまっすぐサリナさんを見て言うと、彼女は困惑したように苦笑した。
 「それは嬉しいけど……なにか、悩みがあるんじゃないの?」
 「えっ?」
 「パーティー前にそれを解決しないとね。話くらいなら聞いてあげられるわよ」
 じゃあ、ドレスを脱いで隣の部屋まで来てね。そう言って、サリナさんは返事も待たずに部屋を出て行った。
 ( ――― どうしよう。)
 郁斗先生とのこととか、睦兄への想いとか、もうどうしたらいいのかわからなくて、それがやっぱり表面にでていたんだ、と溜息が零れた。とりあえずドレスは脱いで、制服に着替えなおす。皺にならないように丁寧にハンガーにかけてから、サリナさんが向かった部屋へ行くことにした。

「佳澄ちゃんは、春日くんが男の人として好きなのね」
 紅茶が入ったカップを受け取ると、それまで私の話を相槌だけで聞いていたサリナさんがいきなり、そう口にした。
「えっ、あっ…!」
 あまりにも突然すぎて、動揺のあまりカップを落としそうになる。
「熱いから、気をつけて!」
 焦ったように言われるけれど、誰のせいですか、とほんの少し恨めしげに視線を向けると、ごめんごめんと苦笑を返された。悪気はないようで、その顔はすっきりと明るい。本当にさっぱりしている性格なんだ、と好感をもった。だからこそ、正直に頷く。
「まぁ、小さい頃からあんなに優しくて、キレイで、なんでもできる器用な男性が傍にいちゃぁね。しかもその全てが妹のためって言うなら、ブラコンを通り抜けて初恋を通り過ぎて、愛情を持っちゃうのもわかる気がするけど」
「そんなんじゃありません!」
 肩を竦めて、すらすらと言われる言葉に、慌てて否定する。優しいから、とか容姿がいいとか。ずっと傍にいて守ってくれたから、そんな理由で、睦兄を好きになったんじゃない。それが理由なら、憧れだけですんだかもしれない。或いは、ブラコンで終わったかも。だけど、私が睦兄を好きになったのは ―― 。
 手に持っているカップの中の琥珀色をじっと、見つめる。睦兄を兄としてじゃなく、最初に男の人として意識したときのことを思い返す。あれは初めて、睦兄が泣いている姿を見た日。どしゃぶりの雨の中で、ひとり墓石の前に立ち尽くして肩を震わせ、嗚咽を押し殺し、泣いていた。私は見つからないように隠れていて、だけどいつも弱さを見せることなく、強くあろうとし、守ってくれていた睦兄が、とても弱々しく ―― 儚げに見えたことに衝撃を受けた。私の母親や睦兄の父親が亡くなった時だって、睦兄が泣いているところは見なかった。それなのに。
 あのとき、私は誰からも睦兄を守りたいと思った。どんなことからも、守りたい。ずっと、傍にいたい。そんな気持ちで胸が一杯になっていた。今にも傍に駆け出したくなる足をぎゅっと抱え込んで耐えて、睦兄を抱き締めたくなる両手を握り締めて堪えた。家族に対してじゃない。胸が熱くなるような、そして誰よりも愛おしいという気持ちを初めて知った。
「 ―― そう、あなたの気持ちも真剣なのね」
 ふと、真面目な声でサリナさんが言う。その声にハッと、顔をあげると優しい眼差しを注がれていることに気づいた。試されたとわかったけれど嫌な気持ちはわきあがらない。むしろ、まっすぐ見つめ返して、頷いた。嬉しそうに微笑んで、サリナさんは自分が手にしているカップに口をつける。中身は私の紅茶と違って、珈琲だった。一口含んで、それから机に頬杖をつく。
「じゃあ、もう答えはでてるんじゃないの? 郁斗なんてさっさと振っちゃって、春日くんに告白すればいいわよ」
 じっと見てくる目には楽しげな光が宿ってる。表情が緩んでいるから、面白がっているのは一目でわかった。だけど、あまりにもあっさりと言われて、呆れるより笑ってしまう。
「そんな簡単に ―― 」
「あら。逆に複雑にする必要はないでしょう。それとも、郁斗を春日くんに振られたときのキープにしておくつもり?」
「なっ、サリナさんっ!」
 冗談よ、とカップを持っている手とは反対の手で軽く頭を撫でられる。まったくもう。呆れながら、カップに口をつけて紅茶を飲む。まるやかな味は舌触りも良くて、その温もりにほっと息が零れた。
「もちろん、そんなことを考えて恋愛して欲しくない。若いんだもの。傷ついても突っ走って、ちゃんと一度抱えた想いは昇華してほしいって思うわ。じゃないと、もっと大人になったときに、あの頃の恋愛は良かったのにって昔を懐かしがるようになったら、新しい恋を見失うことになるのよ」
 しみじみと言うサリナさんの口調に実感がこもっているような気がして、ハッと見つめる。
 (もしかして郁斗先生とのことをまだ ―― )
 私の視線に気づいたのか、サリナさんは苦笑を零した。
「いーえ。私はちゃんと終わらせたわ。郁斗にとって遊びにしかならないってわかってても好きだって伝えたし、付き合ってるときも、どんなに泣かされたって私なりに精一杯やったつもりよ。だから、今は幸せだといえる恋愛をできてるの」
 サリナさんの顔には、満足げな表情が浮かんでいて、きっと言葉通りなんだろうなと思った。彼女を素敵だと感じるすべては、そういうところから繋がってきているのかもしれない。本人自身も、それから彼女の作る服も。
 だけど、とそこで初めてサリナさんは懐かしげに目を細めた。過去を思い出すように、少し視線を遠くへ投げかけて。
「もしも、あのとき。友達という枠にしがみ付いて、郁斗に告白しなかったら、今も私は彼に未練を残してたと思うわ。今の恋人と出会っても、きっと郁斗と比較してばっかりで愛してることにも、愛されていることにも気づかなかったはずよ。そして今感じている最大の幸福を逃していたわね」
 そうして、愛おしげにほっそりとした薬指に輝いている指輪に触れた。その仕草でどれだけサリナさんが今の恋人を愛しているのかが伝わってくる。
 (……家族という枠、)
 それにしがみ付いている臆病な私には、サリナさんのような顔はできそうにない。彼女が知らない想いとか、出来事は確かにあるけれど、 ―― それでも、私もサリナさんのように、精一杯やった、と言えるようになりたい。後悔したくない。だけど、でも。
「だけど、私が告白したら、睦兄が……」
「それこそ、これまでの二人の絆を信じたら、どう?」
 私と睦兄の ―― ?
 首を傾げると、サリナさんはにっこりと優しい微笑みを見せた。
「ちゃんと培ってきたふたりの絆よ。うまくいくにしても、そうじゃなくても、それで壊れるような容易いものじゃないでしょ。ふたりで過ごしてきた時間って」
 ずっと、睦兄とふたりで手を繋いで、重ねてきた時間。
 その通りだと思った。私はあまりにもそれを大切にし過ぎて、臆病になりすぎてたのかもしれない。だけど、壊れない。たとえ睦兄に振られても、一緒にいられなくなっても、私にとって睦兄が家族だということは変わらなくて。きっと、睦兄も。
「…………私、ぶつかってみます」
 思わずぽつりと零れた言葉に、改めて自分で決意する。サリナさんを見ると、嬉しそうに微笑みかけてくれた。手に持っていたカップを机に置くと、私の両肩にそれぞれ手を置く。
「よし。じゃあ、決意記念に勇気の出る魔法の言葉をあげましょう」
 悪戯っぽく笑う。
 不思議に思ってじっと見つめていると、急に優しい眼差しを注がれて困惑した。まるで包み込んでくれるかのような、温かい気持ちが流れ込んでくる。
「 ――― 怖がらないで」
 ハッと息を呑む。紡がれた言葉は、しんみりと胸の中に沁み込んできた。
「大丈夫よ、佳澄ちゃん。怖がらないで」
 繰り返し言われて、その言葉に ―― 声にこもる、優しさに胸が熱くなる。眦からじわっと熱いものが溢れてきそうになって、ぎゅっと目を瞑る。
( ―― 怖がらないで。)
 温かくなる、それは本当に魔法の言葉で、臆病な気持ちをまあるく包み込んで、勇気へと変えてくれるような気がした。


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