雨のち晴れ。ときどき、嘘つき。

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  晴れ日(3)  


 郁ちゃん先生。そんな可愛らしい呼び名でも、眉を顰めるわけでもなく愛想よく笑って返事をする男を最初は軽薄なひとだと思った。それなりに真剣に生きている年代の子を表面だけで受け流して、「先生」という職業を給料分だけ働いて過ごせればいいと適当にしか考えていないんだろうと。だから、どんなに他の学生から人気があっても、興味ひとつ持てなかった。

   高校に入学してから仲良くなった、春日佳澄。落ち着いた雰囲気を持っている彼女は、美人とかキレイといった類ではないが、わりと可愛らしい顔をしている。丸っこい目やふっくらとした頬。薄い唇。小さな鼻。細い眉と全てのパーツが可愛らしい。普段はそう目立たないけれど、この顔が微笑むと本当に春の花が咲き誇ったようにパッと華やかになることを知っていた。周囲を一気に明るくする微笑みは、そう滅多には見られないけれど、その笑顔には心が癒される。身長やスタイルが年齢のわりに成長しすぎて大人っぽいと評価される私には羨ましい存在だった。可愛げや愛想ってものがないと言われる私には。
 昼休み。
 二人で机を並べてお弁当を食べていると、不意に佳澄が思い出したように言った。
「そういえば、上総は郁斗先生が苦手なの?」
 あまりにもその質問が唐突過ぎて、弁当箱に伸ばしていた箸を止める。視線を上げて佳澄を見ると、不思議そうな顔をしていた。
「どうして?」
「郁斗先生を見るとき、なんとなく目がね。冷たくなるから」
 そう言われたことに驚いて、目を見開く。まさか。気づかれるなんて思いもしていなかった。佳澄は苦笑を零して、ごめんねと謝った。
「私……ひとの空気を敏感に感じ取っちゃうとこあるみたいで。ちょっと気になっただけだから、言いたくないなら言わないでいいよ」
 ああ、まただ。いつも私が言い出す前に、引いてしまう佳澄の言葉には、打ち解けてもらえてないみたいで、ほんの少し、がっかりしてしまう。小さな白身魚を箸で挟んで、口の中に放り込んだ。お弁当用の魚は、骨がないのはいいけれど、味が濃くなる。
「……なんか、軽薄なひとって苦手なのよね」
 佳澄の言葉は聞かなかったフリをして、そう口にする。佳澄はそれが聞き慣れないもののように繰り返した。
「軽薄? 郁斗先生が?」
「うん。あの薄茶の髪とか。青い目とか。流石に耳にピアスーとまではいかないけど、一見軟派風な雰囲気がお近づきにはなりたくないタイプだなって」
 肩を竦めて正直に言うと、うーんっと佳澄は唸りだす。
「色素薄いのは、ハーフだから遺伝性のもので郁斗先生のせいじゃないよ? まぁ、確かにそんな雰囲気はあるけど、あれはわざと ―― 」
 言いかけて、はっと我に返ったように口を噤んだ。気まずげに目を彷徨わせて、なんでもない、と首を振る。けれど、そんな佳澄に気づくわけもなく話題を続けた。
「確かに顔はいいけど、だからなにって感じでしょ? 必要なのは、教え方のうまい先生だと思うわ」
「郁斗先生、他の先生より授業上手いと思うよ。教え方上手じゃない? プリントにしても、要点を纏めてあるし、英語の成績あがった生徒いっぱいいるよ?」
 次第に佳澄の声は真剣になって、ムキになってきているのがわかる。それがわかっていても私も譲る気にはなれなかった。言葉にすると、苦手な理由としては違和感を覚える。思いついたことをあげても、違うと心が否定する。そうじゃなくて。私が、郁ちゃん先生を苦手なのは。―― だけど、それは掴もうとする前に、消えてしまう。
「他の生徒がどうであれ、私はとにかく、苦手なのよ」
 話はこれでおしまい、とばかりに最終的な結論を突きつけて、私は手早くお弁当箱を片付けると、部活のミーティングがあるからとまだお弁当を食べている佳澄を残して、教室を出た。また後でね、と言う声を受けながら。
 教室を出た廊下から、見るとはなしに窓の外を見ていると、ふと、さっき話題にしていた郁斗ちゃん先生の姿があった。
 幾人かの女の子達に囲まれていて、楽しげに歓談している ―― ように見える。だけどよく見ていると、郁ちゃん先生にさりげなく触れようとしている女の子をそうとわからないように避けているし、時折話題をだしているだけで、会話自体に参加はしていない。その証拠に女の子達が視線をはずす一瞬一瞬、目には冷たいものが宿ってる。まるで人間じゃなく、なにかしら無機物を見ているかのような、目。
 ずきり、と胸に鋭い痛みが走る。  あの見えない壁を壊すことができるのは、たったひとり。
 親友の佳澄だけと気づいたとき、私は ――― 。

 あ、しまった。お弁当、忘れちゃった!
 本日のどじっぷりに溜息をついていると、不思議そうな顔で覗き込まれる。
「どうしたの、上総」
「お弁当忘れたわ。食堂 ―― 」
「もういっぱいだと思うよ。購買も人気のないパンしかないだろうし」
 現実を突きつけてくる佳澄の言葉に、項垂れる。時計を見ればそれが事実だとわかる時刻だし、お昼にも部活の集まりがある以上、食堂が空くまで待っているということもできそうにない。
「……今日はお昼抜きかな」
 愕然とした思いで呟くと、佳澄がふと、考え込んだ。少しして、いい案思いついた、と言いながら顔を輝かせた。佳澄が笑うと、まるでパッと華が咲いたかのようにとても可愛らしく、見ていると胸に温かいものがこみあげてくる。見惚れていると、佳澄は私の手をとって、行こうと誘った。
「どこに?」
「英語資料室。そこでお弁当をお裾分けしてもらおうよ。ふたり分合わせれば、十分三人分になるから」
 計算的に理解できないことを言いながら、混乱する私に構わず引っ張っていく佳澄のなすがままついていくしかなかった。
 佳澄が進んでいく廊下の先にあったのは、英語資料室とプレートのある場所。彼女は慣れたようにノックして、中からの返事を聞くと躊躇いなく開けた。
「郁斗先生!」
「おぅ、佳澄ちゃん。いらっしゃーい」
 出迎えた声と姿に、思わず身体が強張る。
 見間違えようもなく ―― 第一、ここまで整っている顔。まして青みがかった目に淡い髪なんてこの学校にはひとりしかいない。私達の入学時に新任として紹介され、その見目姿だけで気絶者をだしたと伝説の、神木郁斗先生。
 英語の授業担当で、彼の発音にはみんな、うっとりと聞き惚れていたりする。顔よし、頭よし、性格も明るく皆に公平で優しい、女生徒みんなの郁ちゃん先生、とファン倶楽部まであり、個人的に近づこうとすると制裁を受けるため、実は生徒だけじゃなく女教師さえも入会済みと噂じゃなく、事実だと聞いた。
 そんなカリスマ性のある郁ちゃん先生と、やたら親しげに話す自らの親友の存在を見せ付けられて、呆然とした。
「今日は友達も一緒だけどいい?」
「もちろん、どうぞどうぞ。両手に花でオレも嬉しいよ」
「そういうことばっかり言ってるから、その年で恋人ができないんですかね」
 呆れたようにため息をつく佳澄は遠慮というものがなく、対して、郁ちゃん先生は怒る様子も見せずに面白そうに笑いながら応じた。
「意地悪だなぁ。オレの恋人募集の空きはたったひとりだけのためにとってあるの」
「え? 誰なんですか?」
「もちろん、それは――」
 思いもがけない発言に興味をそそられて尋ねると、会話を遮るように佳澄が言う。
「あっ、上総! 早く食べないと部活行く時間なくなるよ!」
 その慌てた様子に、時計に視線を向ける。確かにその通りだと頷いて、郁ちゃん先生が用意してくれた椅子に座った。同時に佳澄が取り出したふたり分のお弁当箱に驚く。ひとつは佳澄自身のものとして、もうひとつは郁ちゃん先生の――でも、どうして佳澄が?
 疑問がそのまま顔に出ていたらしく、佳澄がお弁当の中身を三等分―ほんの少し郁ちゃん先生の取り分が多いのは仕方ないとして―に取り分けながら口を開いた。
「郁斗先生はお兄ちゃんの大学時代の親友なの。ひとり暮らしなの知ってるから、お弁当を作ってくる約束したんだ」
「そうそう。愛妻弁当って男の願望だよねー」
「もうっ、ふざけないで下さい!」
 佳澄の説明に茶々を入れる郁ちゃん先生はいつになく、にやにやしていて、それでももとの顔がいいから崩れることなく、逆にやわらかさが表面にでていて、なんだか惚気られているような気になる。
 親友と、単なる新任教師と思っていたひとの意外な一面に戸惑いながら、佳澄から差し出されたお弁当の中身を食べ始めた。その間も、ふたりの会話を耳にしながら初めて郁ちゃん先生に興味をもった。どこがと言われるとはっきり口にはできないけれど、普段と雰囲気が違う。飄々とした気安い態度は変わらないものの、佳澄に向き合うときは瞳に甘さが混じって、とろけるようになっている。けれど、私を見るときはその甘さは即座に払拭されて、まるで無機物を見るかのような冷たさが宿っていた。そうはいっても、あからさまというわけじゃない。注意して見ていないとわからないくらいで、けれど恐らく本人にとっても隠し切れない想いが溢れているんだとわかる。
(うわぁー……。なんか甘いよ。甘い!)
 それでも居心地の悪さを感じないのは、佳澄がまったく気づいていないからだ。
 お弁当を食べているふりをして見ていると、不意に郁ちゃん先生と目が合った。青い目が悪戯っぽく煌く。そこで、わざと佳澄への想いに気づかせたんだってわかった。
 ひとの気持ちに対してそう鈍いほうじゃないと思う。
(もしかして、協力しろってこと?)
 佳澄に気づかれないように目線で問いかけると、伝わったように郁ちゃん先生はわずかに口端をあげた。
 変なことに巻き込まれちゃったなぁ、とこっそり溜息をついて、最後のおかずを口の中に放り込み、「そろそろ時間だから行くね」と立ち上がる。有難うと佳澄に、お邪魔しました、と郁ちゃん先生に言い置いて資料室を出た。いってらっしゃーいと佳澄の見送りの声を扉越しに聞きながら、ミーティングのある教室に向かいかけて――ふと、手に持っている箸に気づいた。
(あちゃ。持ってきちゃった。)
 終わってから返そうかとも思ったけれど、腕時計を見ればまだ時間は間に合う範囲。通りかかった洗い場で箸を洗って、再び資料室に踵を返した。
 扉を開けようとして、わずかに開いていた隙間から覗く光景に思わず手を止める。息さえも、時間も止まったかのように身動きできなくなった。
(なんて――――。)
 ごくりと喉が鳴った。その音に我に返って慌てて廊下を戻る。
 ものすごくいけないものを見てしまった、そんな衝撃に襲われた。どきどきと、胸が早鐘のように鳴り、両手を頬にあてれば熱く火照っているのがわかる。
 目を瞑れば、脳裏に浮かぶ。なにかしらの資料を読んでいた佳澄の髪を愛おしそうに撫でていた姿。見つめる目は、甘くて優しくて、
 ―― 切なかった。
 ぎゅぅっと痛む胸に、手をあてる。
 わざと見せつけるようなからかいもない、軽い雰囲気もなく、あれが本当の ―― 佳澄といるときだけの、郁ちゃん先生。
 どうしてあんなふうに切ない目をするのか、佳澄を見て苦しげな表情をするのかわからない。わからないけど、その顔が頭の中に強く刻み付けられた。

 あれから。
 どうしてもその理由が気になって、いつの間にか郁ちゃん先生を目で追うようになっていた。
 だからこそ、気づいた。気づいてしまった。
 窓越しに見つけた郁ちゃん先生から視線を逸らして、青い空を見る。すっきりとした青空を見ていると、泣きたい衝動が沸き起こってきた。郁ちゃん先生にとっては、きっと私は佳澄の親友。もしくは、他のクラスメイトのように、佳澄とその他の、その他の分類にしか入っていないことはわかってる。だから認めたくなんかなかった。佳澄といるときの郁ちゃん先生を知るほどに、彼に恋をしているなんて。
「……私は苦手だもん!」
 晴れ渡った空を睨みつけながら、そう言い聞かせてみた。

 佳澄に応援されて、宣戦布告をすることになるのは、もうしばらくあと――――。

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