10. 約束
 アレスの許可をもらって、堂々と訓練所に入り浸れるようになった。ソーマも迷惑そうな顔もせず、進んで剣の扱い方を教えてくれる。最初は慣れなかったけど、短気かと思っていたのに根気よく、丁寧に説明してくれた。
「……ほんと、意外」
 思わず呟いてしまった言葉を聞きとがめて、隣に立って指導してくれていたソーマが眉を顰める。
「なにが?」
「うーん、ソーマの教え方があんまり上手だから」
 嫌味かよ、と苦笑しながら、だけど怒る様子もなく、ただ手が止まってるぜ、と注意された。慌てて手を動かして素振りを続けると、彼は髪をがしがしとかく。
「世界渡りは常に、いろんな説明を求められるからな。自分の存在や、その世界の状況、だからどんなことが必要かとか……。真っ白な状態の奴に説明しなきゃならねぇんだ。いちいち短気起こしてたら役目を終えれねぇよ。ま、面倒くせぇな、くらいは思うけどな」
 ――― なるほど。
 確かにこの世界の状況や王宮のことを面倒そうにしながらも教えてくれたのはソーマだった。案外、面倒見はいいんだなぁ、と感心する。訓練所で練習してたらわかる。彼を慕う兵士達は多く、女官たちにも人気が高い ―― といっても、男女の好意というよりは、自分の弟とでもいうかのようにとても可愛がられていた。
「ほら、準備運動はそれくらいで終わりっ。いつものようにかかって来いよ」
 日課とした順番通りに素振りを終えると、ソーマは背中に背負っている大剣じゃなく、練習用の剣を構える。それを目掛けて、教えられたことを思い出しながら、剣を振りかざした。
 キィン、と金属音を奏でながら、ソーマの剣とぶつかり合った瞬間、大声で名前を呼びかけられた。
「ソーマ様っ、シア様! アレス様がお呼びです! 至急いらして下さいっ!」
 顔を向けると、訓練所の入り口でシエラが立って手招きをしていた。表情が随分と緊迫しているのがわかって、ソーマと顔を見合わせる。何か起こったんだ、とお互いの表情から察して、急いでアレスの執務室に向かった。

 召集されたのは、アレスの執務室ではなく、陽の国王の謁見室だった。玉座には年嵩のある王が威厳を漂わせ、座っている。金髪や淡いブルーの瞳はアレスと重なり、顔にある皺が厳つく見えるものの、やわらかい印象を受けるのは変わらない。けれど今は真剣な表情で周囲に緊迫感を与えていた。太陽の、陽そのものを象徴するかのような、王。その隣に、同じように真剣な顔をしてアレスが立っている。アレスに紹介された側近たちも、普段の親しみがある雰囲気を拭い去り、緊張感を纏い、佇んでいた。
 私とソーマが部屋に入ると、アレスは頷いて、周囲を見回し慎重な口調で告げた。
「明日、月の国に出撃する」
 アレスの言葉に息を呑む。
 他の人たちは前もって知っていたのか、当然のことのように受け止めていた。それでも顔に出ている緊迫した表情はより一層強まっている。誰もがアレスの続く言葉を待っていた。アレスは謁見室の扉の側に立っている私に視線を向ける。
「僕達が攻撃を仕掛ける隙をぬって、ソーマとシアには一軍をひいて、城に忍び込んでもらう。ふたりには、できるだけ早急に第一王女の確保をお願いしたいんだ」
 第一王女、とアレスが口にした途端、静まり返っていた側近達に動揺が走った。けれど、大げさに騒ぐ様子はなく、アレスが目を細めて周囲を見回すと再び静けさを取り戻す。
「わかってる。それは計画通りするから心配するな。人質になんかさせねぇよ」
 自信に満ちた顔つきで言うソーマは深刻な空気を打ち消すかのように力強いものがあって、私の不安な気持ちも前向きになる。
 それまで王子様然としていたアレスの目が不意に私を向いて、気遣うように揺らめいた。
「僕は別行動になる。なるべく速やかに制圧するけど、シアも気をつけて」
 真剣な口調に押されるように頷く。
 他にも何か言いたそうな表情をしていたけれど、アレスはふいっと顔を背けて作戦について側近達と話を始めた。

 一通り、計画を確認して、明日に備えて今夜はゆっくり休むように言われ、解散になった。ソーマは用事があるからと、足早に出て行き、その後に続いて謁見室の扉をくぐり、自室に戻ろうと廊下を歩いていると、後ろからアレスに呼び止められた。
「シアっ、待って!」
「……アレス、どうしたの?」
 前世 ― 少なくとも、そう思うようにしてる ― であったことを話してから、最初の頃より打ち解けて向かい合えるようになった。アレスの感情はまるで太陽の暖かい日差しが差し込んでくるかのように、素直に胸の中に入り込んでくる。今も、その表情から私が戦いに参加するのを心配しているのがわかった。
「ちょっと話そう」
 そう言って、先に立って外庭に続く道に進み始める。少し遅れて、その後に続いた。
「本当は、僕は君の傍にいたいんだけどね」
 明るく告げられた言葉に、胸がどきりと高鳴る。その口調の端々に、そうできないことがどれほど悔しいか滲み出ていた。
 アレスの金髪が陽を受けて、きらきらと煌く。その眩しさに目を細めた。後ろ姿は、寂しさを纏っているように見える。それを少しでも振り払ってあげたくて、歩幅を広げ、とんっとアレスの隣に並んで、その横顔を見上げた。
「大丈夫。ソーマもいるし、これでも剣の練習を積んだのよ。足手纏いにならないように頑張るからっ」
「足手纏いなんて思わないよ。無茶ばかり押し付けてるのは僕だしね」
「いいの。結局、伝承を思い出せないし。だったら、私にできることをしていたいもの!」
「君は強いね」
 アレスは目を細めて私を見る。その瞳に込められた敬うような感情に気づいて、そんなことないよ、と否定した。誤魔化すように目を逸らして、いつのまにか辿り着いていた池に視線を向ける。赤や白のきれいな蓮の花が咲いていた。空から注がれる光を受け、水面も輝いている。息を呑むような光景に、目を奪われた。
 しばらくふたりで眺めていたけれど、先にアレスが沈黙を破った。
「……幸い、月の国に闇の国の王がいないことはわかってる。陽の国の隙を狙っていつでも攻め込めるように準備しているからね。だから、最小限の兵しか連れて行けない。王にも此処に残ってもらうわけだし」
 それはさっき、謁見室で確認したことで、どうして今ここで持ち出すのかわからなかったけれど、とりあえず黙って話を聞いていることにした。
「だけど、実際。僕にはまだ闇の国の王がなにを考えているのかわからない。三つの国のバランスが崩れたら、この世界は滅んでしまうというのに ―― 」
 ふとアレスに視線を戻すと、彼の青い目は物憂げに沈んでいた。言葉をかけることができるような雰囲気じゃなく、唇をきゅっと閉ざす。私の視線に気づいたのか、どこか遠くを見ていたアレスはハッと我に返ったように目を向けて、苦笑いを浮かべた。
「アレス ―― 」
 私が言いかける前に真剣な表情に戻り、強い光を瞳に湛え、射抜くようにまっすぐ見つめてくる。まるで壊れものに触れるかのようにアレスの手が頬にそっとあてられた。
「だからこそ、月の国でなにが待ち受けているかわからなくて……不安なんだ」
 目を逸らすことができずに、ささやくアレスをじっと見つめ返す。
「約束してほしい。なにがあっても、君の命を大事にするって」
 その声に不安が滲んでいるのは、前世でシア王女を助けられなかったことがアレスの中に後悔として深い傷を残しているからだ。本当は、誰よりも私の傍にいたいのかもしれない。私を、じゃなくて、シア王女の代わりの私を守りたいと ―― 。
 アレスの想いは伝わってくるのに、素直になれない自身の想いが胸に痛みを与える。その痛みを堪えながら、どうにか頷いて見せた。
「……約束する」
 そう言葉にすると、アレスは頬に触れていた手をはずして、優しい仕草で私の首に手をまわした。ひんやりとした冷たい感触が鎖骨にあたる。
「これは、シアが持っていたペンダント。代々王家に伝わるものらしいけど、結婚が決まったとき……、彼女が僕にくれたんだ」
 ほんの少し、アレスの口元が強張るのが見えた。ブルーに染まる瞳が寂しげに揺れるのを見ているのが苦しくて、ペンダントを見下ろした。銀が半月の形に縁取られ、なかは漆黒の石がはめ込まれている。太陽の光を受けて、表面が煌いていた。不思議な印象に、惹きこまれてしまう。
「それから、これも受け取って」
 ペンダントを見つめていた私の左手をとって、中指にスッとなにかを嵌めた。台座に琥珀色の石が埋め込まれ、それを囲むように、この王宮でも要所で見かける、陽の国の紋章である炎が金細工で形作られている。高価な宝石だと一瞬にしてわかる指輪に、戸惑いながらアレスを見上げる。
「こんな高そうなの、もらえないよ!」
 私の言葉に、クスッと面白そうに口元を緩めて笑うと、琥珀の石の表面を親指でそっと撫でた。懐かしげに、愛おしそうに、目を細めて。
「……本当は、結婚式の後でシアにあげるものだったんだ。今は君に、お守りとして持っててほしい。せめて、僕の代わりに」
「そんな大事なものっ」
「頼むよ。君が無事に此処に戻ってくるまででも持っていて」
 懇願するような口調と表情に、返すのが躊躇われて、言葉が詰まる。
 アレスの瞳は真剣で、私の躊躇いを焦がしつくすかのような熱情が浮かんでいた。胸の奥を燻る何かを吐き出すように、溜息をつく。
「……わかった。お守りにするね」
 私がそう頷くと、パッとアレスの顔が輝いた。嬉しげに瞳が煌く。
「 ―― ありがとう」
 頬が熱く火照るのがわかって、思わず視線を逸らす。どきどきと激しく鳴る胸にそっと手をおいた。
 (どうかしてる ―― 。)
 水面に反射した光に揺らめく、蓮の花は眩しいほどに煌いている。美しいはずのその光景も、アレスを意識してしまうとおかしいくらい目に入ってこない。だけど、アレスが想っているのは、私じゃなくて、シア王女を重ねているだけ ―― 理解していたはずのことなのに、どうしてか今はそう思うほど胸の片隅がひどく痛むのを感じていた。


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