14. 揺れる心
 部屋にいても居た堪れなくて、城の中を散策することにした。
 中庭には、月の光を浴びた花がほんのりとした明かりを纏い、咲き誇っている。自分のいた世界とは違う変わった植物に目を奪われながらのんびりと歩いていると、小さな東屋が見えた。支柱に支えられた天井も城と同じクリスタルで作られているのか、見上げれば天井を透かして月の姿がわかる。

「おい、あんまりうろつくなよ。闇の国の奴らがまだ潜んでるかもしんねぇんだから」
 呆れたような声をかけられて、振り向く。

 赤銅色の毛に包まれた狼を見つけて、そういえば獣に戻る時間だって言ってたっけ、と思い出した。ソーマはゆったりとした歩調で傍までくると、置いてあったベンチの上に乗って座る。ゆらゆらと左右に揺れる尻尾につい、視線が向かってしまう。
「とりえず、リア王女が無事でよかったよな」
「そ、そうだね」
 上機嫌に言うソーマに慌てて尻尾から視線をはずして頷く。
 怪訝そうに横目で見られたけれど、誤魔化すように空を見上げた。それでも尻尾をぎゅっと握ってみたいという気持ちにムズムズする。そんな私の気持ちとは裏腹に、ソーマは不思議そうに問いかけてきた。
「けどさ。どうやってリア王女は正気を取り戻したんだ?」
「あっ、それは、このペンダントが急に黒い光を放ち始めて、そしたら頭の中に声が聞こえてきたの」
「声が?」
 ペンダントを首からはずして、怪訝そうな顔をするソーマの前にかざすと、彼は不思議そうに漆黒の石を眺めた。今、石は月の光の反射を受けて、銀色に煌いている。
「“自分をリア王女に渡して”って」
「それを信じたのか?」
 驚いたように言われて、頷く。
 あのときの頭の中に響いてきた声は、とても真剣な想いを含んでいて、疑うなんてできなかった。それに。詩亜にとってそれは、聞いたことがあるような声で。けど、なぜか、そのことを口にすることはできず、飲み込んだ。
「……実際、リア王女の意識は戻ったんだもの」
 ほんの少しの間に、ソーマは気づくことなく、明るく笑って言った。
「まぁな。結果オーライってやつか。俺もアレスもリア王女が正気に戻ることは期待してなかったからな」
「どうして?」
 ソーマはひとつ小さな溜息をついた。白い息が、夜空にあがっていくのを追いかけて、ちりばめられている星に気づく。月があまりにも美しく、目を奪われていたから周囲にある微かな光が見えなかった。
 月がリア王女とシア王女なら、今にも消え入りそうな光を放つ星は自分かもしれない。そんな自嘲気味な想いが浮かぶ。
「ひとは、闇に捕らわれたら抜け出すことは難しいんだ。もがいてももがいても、差し伸べてくれる手がなければ、引きずり込まれるだけなんだよ。あいにく、俺やアレスがリア王女に手を差し伸べられるとは思えなかった。余計に、傷つけるだけだとしても」
 助けられるのは。
 ―― 手を差し伸べられるのは、シア王女だけだったんだ。
 ソーマの言葉が重く胸に圧しかかる。
 この世界で必要とされているのは、やっぱりシア王女だと思い知らされるようで、その重みに潰されないよう、ペンダントをぎゅっと握る。
「……違うよ」
 握り締めた力を緩めるために、息を吐き出す。
「ほんとうに助けたいと思ったら、だれにだってそれはできるんだよ。ソーマは世界渡りの義務だとしか思ってなくて、アレスはリア王女にわだかまりがあった。だから、本気で手を差し伸べようとしなかった。もういない、シア王女に縋ろうとして、私を巻き込んで、押し付けただけなの」
「なっ! なんだよ、それ!」
 ソーマの目が大きく見開かれる。驚きと怒りが混ざった金色の瞳を挑発するように目を細めて見つめ返す。心の中に溜まって、押さえ込んでいた不満が溢れてきていた。止めなきゃ、と思うのに、一度溢れ出したそれは、止まってくれない。
「私は詩亜だよ? シア王女じゃない。魂が転生したって、時々その記憶が甦ってきてたって、私は私なの! それなのに、私に向かって、必要なのはシア王女なんて言わないで!」
 ――違う。ほんとうはこんなこと言いたいんじゃない。
 ただ、悔しかった。
 ここにいるみんなは、私を通して、『シア王女』を見てる。彼女にならないと、なにもできない自分が悔しくて、悲しい。そう思っているのに、更に言葉で突きつけられて、ソーマに八つ当たりしてる。
 彼の金色の目に傷ついたような光が浮かぶのを見て、胸が痛んだ。わかってる。悪いのはソーマじゃない、のに。

「――――ごめん」
 ふと間に割り込むように聞こえてきた声にハッと振り向くと、東屋の入り口にアレスが立っていた。
 いつも穏やかな光を湛えている青い目が、悲しげに揺れている。それに気づいて、ずきりと胸が痛んだ。

「本来、その言葉はソーマじゃなく、僕にぶつけられるべきものなんだ。ごめん、君を追い詰めて、こんなに傷つけるつもりじゃなかった」
 傷ついた心を押し隠して、無理矢理いつものように微笑もうとするアレスの顔は月明かりのなかで、強張って見えた。
 また、だ。
 自分を押し殺してばかりいる、と言ったリア王女の言葉が浮かぶ。アレスの感情を押し殺して浮かべる微笑みを見ていると、苦しくなる。

(“そんな顔をさせたいわけじゃないのに”)

 ふと、脳裏に声が聞こえた。

 思わず、息を呑む。
 自分で思ったことのはずなのに、まるで別の声で響いてきた、言葉。
 ハッと気づいて、ペンダントを見ると、リア王女のときのように黒い光を放っていた。

「シア?」
「やめてっ!」
 問いかけるように見つめてくるアレスと距離をとる。近づいてくる彼の存在が急に怖くなった。
「お、おい。大丈夫か?」
 ベンチに座っていたはずのソーマも飛び降り、気遣うような光を浮かべて近寄ってくる。
 心配してくれているのはわかるのに、なぜか後退りしてしまう。そんな自分に驚き戸惑っていると、ソーマが目を瞠って叫んできた。
「後ろは池だぜ、気をつけろ!」
 けど、一瞬遅く。
「はっ、え……っ?!」
「シアっ!!」
 落下していく感覚を受け ――次にくる衝撃に耐えるため、咄嗟に強く目を瞑るものの、はしっと襟元に何かが当たる感触があって逆の方向に引き寄せられた。
 覚悟していた冷たさはなく、クリスタルのひやりとした硬さにぶつかったことに気づく。恐る恐る目を開けると、ソーマが後ろ襟を咥えているのを見つけて、引っ張ってくれたんだとわかった。ほっと胸を撫で下ろす。
「……ありがと、ソーマ」
「アブねぇ、アブねぇ。おまえ、ほんとそそっかしいよな」
 襟を放したソーマに、苦笑交じりに呟かれる。
 さっき八つ当たりしたにも関わらず、助けられたことが気まずくて思わずうつむくと、ソーマの尻尾が目の前で揺れた。
「気にすンなよ。おまえの言うことも間違ってはねぇんだから。やっぱまだ、オレも未熟だよなぁ」
 溜息混じりの言葉に、ますます申し訳なく思って、「ごめんね」と呟いた。

「シアっ!ソーマ!」

 アレスの声が聞こえて顔を向けると、その表情は安堵したものとは違って、切羽詰っている。
「アレス?」
 不思議に思って呼びかける。彼の視線が私たちを追い越したところを見ていることに気づいて、それを追うと、黒く細い紐のようなものが何本も池から出てくるところだった。
「さがれっ!」
「ソ、ソーマ?!」
 不穏な気配を感じたのかソーマが言う。
 けれどさっきクリスタルの床に打ち付けたせいか、動けずにじりじりと下がることしかできなかった。狼の姿のまま、ソーマが庇うように黒いものとの間に立ち塞がる。その間に、アレスも傍に駆け寄ってきてくれた。手を差し伸べて、抱えるように立ち上がらせてくれる。
「なに、これ……?」
「闇の国の呪だ。捕まったら、闇の国に連れて行かれちまうぜ」
「狙いは、シアかな」
 アレスの言葉に、恐らくな、とソーマが頷いた。
 何本もの闇が勢いをつけて、鋭く向かってくる。即座にアレスが剣を抜いて、切りつけた。ざくっと切れる音はするのに、それはすぐに元に戻って襲い掛かってくる。ソーマも牙で噛み付くものの、闇はするりと抜けていく。不思議と攻撃するアレスたちに反撃するわけでもなく、闇はただ一点、私を狙って向かってくる。
「やべっ!」
 ソーマの焦った声が聞こえたと思ったときには、ふわりと身体が浮かんでいた。
「えっ?!」
 闇に捕まったかと思ったら、ソーマに後ろ襟を咥えられて、ぎりぎり飛んで躱していた。一息つくまでもなく、闇は狙いを外したものの、そのままユータンして再び向かってくる。ソーマは私を咥えながら身軽な動きでかわしていく。
「お、重くないの?!」
「ンなこと言ってる場合か!アレス!陽の術でぶった切れっ」
 私に答えてから、ソーマはアレスに向かって叫ぶ。
 アレスはうなずくと、手にしている剣を力を込めて握り締め、目を閉じた。
 ソーマと一緒に―といっても咥えられて飛んでるだけ―逃げながらアレスを見ると、彼の持つ剣先が薄白い光に包まれていく。彼がそれで闇を切ると、今度は元に戻ることなく、ジュッとまるで焼けるような音をさせ、消えていった。
「よしっ!」
 驚いている私と違って、ソーマは満足げに声を上げると、私を咥えたまま追いかけてくる闇を誘導するようにアレスの元に向かう。
「ソ、ソーマ! アレスにぶつかるっ?!」
 一直線、まっすぐ走る先に、アレスがいて、けれど避ける様子もないソーマに思わず叫ぶ。
( ――――っ!)
 アレスと激突する寸前、急に身体が持ち上がった。
「きゃぁっ!」
 叫んだと同時に、闇がそのままアレスに襲い掛かるのが見える。それを予測していたのか、彼は避ける様子もなく、まっすぐ視線を向けて光に包まれた剣を振りかざした。
 闇と光がぶつかりあって、眩しい光が周囲を包み込み、思わず目を瞑る。
 とさっ、と身体が堅い床に降ろされたことに気づいて瞼を開けると、ほっと力を抜いたアレスが剣を腰につけている鞘に納めているところだった。私に気づくと、歩み寄ってきて手を差し伸べてくる。
「だいじょうぶ?」
「う、うん……。なんとか」
 その手につかまりながら立ち上がった。
 ソーマに咥えられて宙をただよっていたせいか、ふらふらする。微かな眩暈を感じてアレスの手をぎゅっと握ると、同じ強さで返された。驚いて見上げると、やわらかな微笑みを向けられて、頬が熱くなるのを感じた。手を放そうとするよりも先に、アレスが視線を外して周囲を見回す。
「ソーマ?」
 怪訝そうに呼ぶ声に私も顔をあげて、ソーマを探した。
 池の縁にいる彼を見つけて、ふたりで近づく。
「どうしたの、ソーマ」
「あぁ、アレスが断ち切ったはずなのに闇の気配が消えてねぇんだ」
 ソーマが覗き込んでいる池を同じように見下ろす。波紋一つ起こっていない池は私たち三人の顔を水面に映し出している。
「闇の気配?」
「ほら、見ろよ。オレたちの姿は映ってるけど、月がないだろ」
 言われて見れば、確かに空に浮かんでいるはずの月は池のどこにも映し出されてはいなかった。
「どういうこと?」
「闇の呪がまだ、残ってるってことか……。どこに?」
 アレスが考え込むように呟く。
(もしかして ――っ!)
 思い浮かんだ姿に、反射的に走り出していた。
「シアっ?!」
 アレスの呼びかけに、走りながら叫ぶ。
「リア王女がっ!」
 私の言葉にふたりも追いかけてきた。流石に四本足で走るソーマは早くて、あっという間に追い越される。
「先に行くぜっ」
「うんっ。ソーマ、リア王女を――っ?!」
 先を行く彼に王女を助けてと声をかけようとして、急に腰に纏わりつくものに気づいた。ぎゅぅっと締め付けられる。
「ア、アレス……!」
 前を走るアレスを呼ぶ。
 彼が振り向き、その青い目が驚きに見開かれた瞬間、強い力で池へと引き戻され ――

「シアっ!!」
 真っ青な顔でアレスが慌てて追いかけてくる。彼に向かって手を伸ばそうとしたけれど、届くわけもなく、そのまま池の中に引きずり込まれてしまった。



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