02. 異世界
 ……ここは?
 詩亜は呆然と周囲を見回した。

 自分が寝ている天蓋つきのベットを中心に、豪華で煌びやかな物が品良く置かれている。自分の部屋のものとは明らかに違って、どれも見覚えがない。
(どうして……、私……?)
 ずきん、と不意に頭が痛んだ。
 同時に記憶が蘇る。

 そういえば ―― 、あの男の子が。赤銅の髪と金色の瞳をもつ、鋭い目つきをした少年の姿が思い浮かぶ。

『付き合って欲しいところがある』
 そう言って、手を差し出してきた。
 視線が合うと、目が逸らせなくなって、促されるままに手を伸ばしていた。重なった手の平をぎゅっと握り締められる。鋭い目つきとは対照に、その手はとても温かかった。

 男の子はゆっくりと目を閉じる。
 唇が言葉を刻む。
 それに反応するように、二人の重なった手の平から眩いほどの白い光が放たれた。一瞬で、光に包まれて ――― 。

 詩亜が覚えているのはそこまでだった。

「何が起こったの……?」
 呆然と呟く。
 あの男の子はどこに行ったんだろう。

 とりあえず、いつまでもベッドで寝ていても疑問は解けない。詩亜はベッドから降りて、クリーム色に染まる絨毯の上に立った。そのまま、扉がある方へ歩こうと足を踏み出した途端、バンッと大きな音が鳴ってその扉が開いた。
 ひとりの青年が姿を見せる。

「シア…ッ!」

 唐突に現れた青年にいきなり抱き締められて、詩亜は頭の中が真っ白になった。

「あ、あの……?」
「会いたかった! ……ずっと、ずっと、君に。会いたかった!」

 熱のこもった言葉を囁かれる。
 同時に抱き締めてくるその力も込められていく。さすがに苦しくなって、我に返った。

「は、離してくださいっ! 離してっ!」
 身を捩って拒絶すると、驚いたように、抱き締める力は緩んだ。慌てて胸板を押しのける。顔をあげて、

 ―――― 言葉を失った。

 一瞬で目を奪われるほどの、美貌。生まれてきて恐らく、こんなに整った容貌の男性を詩亜は見たことがない。綺麗な金色に染まる短い髪。細い眉の下にある切れ長の瞳。青く澄んだその瞳は長い睫に縁取られている。白磁の肌に薄い紅の混じった肌、スッと筋の通る鼻、薄く形のいい唇。まるで、おとぎ話の中の王子様そのままの姿だった。

 彼は、呆然としている詩亜に優しく微笑んで、「ごめん」と短く謝ると、姿勢を正した。

「君にとっては、初めましてかな……。僕はアレス、アレス=ウィン=ザードといいます」
 柔らかい笑みを浮かべて、青年はアレスと名乗った。
 その笑顔にまたもや、見惚れそうになった詩亜は慌てて我に返る。次から次に起こる出来事に、いい加減どうにかなりそうだった。

「あの…っ、私ここにどうして…というか、ここはどこで、いったいどうなってるんですか?!」
 混乱したまま、思いついた順に問いかける。

「うん、突然で驚いただろうね。とりあえず説明はするから、そこのソファに座って落ち着いて」
 アレスは安心させるように微笑んで、部屋の中央に置かれているソファへと詩亜を促す。手を繋がれたままで導かれて、詩亜はソファへ座った。テーブルを挟んだ反対側にアレスが座る。座ってから、アレスは困惑したように天井を見上げた。

「うーん、何から話そう。君に会えた瞬間、説明しなきゃいけないことが吹き飛んだよ」
 そうどこか呑気な口調で言われた。
 詩亜は明るい雰囲気を纏うアレスに戸惑いはあったけれど、どこか懐かしい感じを覚えた。初めて会う人なのに ―― 。

「この世界はね。陽、月、闇の国といった三つに隔てられていて、君が今いるのは陽の国で、ここはその王宮の一室」
「それって……つまり。私がいた世界じゃないってこと?」

 驚愕に目を瞠ってそう問いかけると、アレスは当然といわんばかりに「そうなるね」と肩を竦めた。そのあっけらかんとした口調に、動揺していた気持ちが怒りに変わる。

「そうなるって! なんでいきなりっ?!」
「僕が頼んだんだ。世界を渡る力を持ったソーマにね。時がきたから、君を連れてきてくれないかって」
「ソーマ?」

 聞き慣れない名前に眉を顰めると、テーブルの上に置かれてあったお菓子らしきものを勧めてくれながら、アレスは頷いた。

「そう。此処に来る前に、少年に会ったはずだよ」
「あっ、あの紅い髪のっ! だったら、あの少年を呼んでよ! 元の世界に戻してって頼んで!」

「 ――― どうして?」

 切羽詰って混乱のまま叫んだ言葉に、きょとんとした顔つきでアレスが不思議そうに見つめてきた。心の底から疑問をもっているように言われた言葉に、思わず言葉に詰まってしまう。急激に沸騰した怒りは、すぐにしぼんでしまった。

「どうしてって……。だって、なんで、私を……?」
 戸惑いながらそう訊くと、ひたりと青い目に見据えられた。まるで何かを見透かすようなその眼差しに小さく息を呑む。
「君は、―― 君の魂は月の国の王女のものなんだ」
 告げられた内容はとてもじゃないけれど、信じることができない言葉で、眉を顰める。そんな様子に苦笑して、アレスは更に続けた。
「王女の魂が転生し、君の中に宿ったんだよ」
「それって。生まれ変わりとか、そういうこと?」
 信じられないながらも思いついたことを口にすると、アレスは考え込みながら言う。
「そうだね……。そういうことだと思うよ」
 にっこりと微笑む姿はまさに王子様で、裏ひとつなく見える。うっかりそれに見惚れてしまって頷きかけたけれど、慌てて首を振った。危ない。誤魔化されるところだった。
「だっ、だからって、どうして私がここに……」

「世界のバランスを取り戻すために、あんたの月の力が必要だからさ」

 聞こえてきた声に、ハッと視線を向ける。扉に寄りかかって、紅い髪の少年が立っていた。金色の瞳を煌かせて、まっすぐとした視線を詩亜に注いでいた。その背中には、少年には似つかわしくない大きな剣を背負っている。
「月の力……?」
「やぁ、ソーマ。もう身体はなんともないかい?」
 アレスが立ち上がって少年に気遣うように問いかけると、彼はひょいと肩を竦めて、身軽な動きで歩き出した。空いているアレスの隣に遠慮なく座ると、詩亜の前に置かれてあったお菓子の入った皿を自分のもとに引き寄せて頬張る。
「ああ。急いだからそんなにいなかったしな。あれくらいなら、一日寝てれば回復するさ」
 その様子を見守っていたアレスはほっと胸を撫で下ろして、それから少年の隣に座った。呆然と少年を見ている詩亜に気づいて、紹介を始めた。
「君は会ったよね。彼はソーマ……」
 ハッと我に返る。慌てて遮って、口を開いた。
「あっ、あなた! あなたがここに連れてきたんでしょう?! 私を元の世界に戻してよ!」

「 ――― なんで?」

 怪訝そうに眉を顰められ、更にその口調がさっきのアレスと同じ、心の底から疑問に思っているような言い方で訊かれて、一瞬沸騰した怒りは再び急速に冷まされてしまった。
(どうしてって……。なんでって……、私が聞きたいのに……。)
 問い詰めようとした言葉は、全て溜息に変わってしまった。

 脱力してソファに沈み込んだ詩亜を見て、アレスは苦笑いを零す。
「君を連れてきた理由はちゃんと説明するよ」
 そう言ったとき、今度は扉からノックの音が聞こえた。アレスが態度を改めて表情を引き締める。返事をすると、彼よりも年上の青年が入室してきた。その顔には焦ったような表情が浮かんでいる。
「これは、執務補佐官。急用?」
「はい。大切なところ申し訳ありません。急遽、見て頂きたい書類がまいりまして ―― 」
 慌てた口調で言う執務補佐官の様子にアレスは立ち上がって、彼を招き寄せた。暫く耳打ちを聞いて、真剣な表情で頷いた。
「わかった。すぐ行くよ」
 その返事に安堵の表情を浮かべて彼は一礼すると部屋を出て行った。それを見送ったアレスは、再び視線を詩亜に戻して、困惑したように言う。
「ごめん。急用ができたんだ」
 それから、隣に座っているソーマを見た。
「説明は彼から聞いて。それから、ソーマ。昼過ぎになったら、女官たちの準備ができるからそれまで王宮内を案内してあげて欲しいんだ」
「 ―― げっ!」
 何個目かのお菓子を頬張ろうと手を伸ばしかけていたソーマの動きが止まる。
「なんで俺が ―― 」
「頼んだよ」
 文句を言おうとしたソーマの言葉を笑顔で遮って、アレスはテーブルを回り込んで詩亜の傍まで来るとそっと手を取った。青い目にじっと見つめられて、胸がどきりと高鳴る。柔らかく唇を手の甲に押し当てられて、更に頬が熱を持った。
「あっ、あの……!」
「またすぐに会えるよ。夕食は是非一緒に」
 名残惜しげに手を離して、優雅に一礼すると戸惑っている詩亜にかまわずに、さっさと背中を向けて部屋を出て行った。呆然となる。扉が閉まると同時に、向かい側のソファから溜息が聞こえてきた。

「相変わらず、くせぇ奴」
 それは皮肉というよりも、しょうがないな、というような優しい声音のように思えた。見ると、ソーマが紅い髪をかきあげて、呆れたようにアレスが去った扉に視線を向けていた。それから困惑したように天井を仰いでいたけど、やがて意を決したように立ち上がった。

「ついてこいよ。面倒だから、説明しながら王宮の案内をしてやる」

 自分勝手な言い分にむかっとしたけれど、ここで反抗してもどうしようもないことはわかっているから、仕方なくついていくことに決めた。


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