03. 少年剣士
 王宮は豪奢な作りになっていた。通り過ぎていく柱一つ、扉の細部に渡って美麗な彫刻が施されており、目を奪われる。その度に、先を歩くソーマから声をかけられた。あまりにその回数が多くなって、とうとう回廊の途中で立ち止まったソーマが振り返って呆れた顔をする。
「あーもう。これだと王宮を案内するのに真夜中までかかっちまう!」
 苛立った口調で言われて、慌てて彼の元に急ぐ。ぐいっと、手を取られた。
(えっ ―― ?)
 あまりに唐突で、びっくりする。けれど、かまわずにソーマはそのまま手を引っ張って歩き出した。繋がれた手を思わず見つめてしまう。
「そーいや。なんであんたをこんな所にって話だけど」
 いきなり思いついたように話し始めた様子に疑問を持って視線を動かす。引っ張られているから先を歩く彼の横顔しか微かに見えないけれど、ほんのり赤く染まっているように見えた。自分でしていて、照れているんだとわかると、微笑ましく感じてしまった。話題に興味があったからあえて突っ込まずに、彼の話に頷く。

「この世界が<陽><月><闇>の国に別れてるって話は聞いただろ?」

 アレスが教えてくれたと答える。

「以前はそれでこの世界のバランスがうまくいってたんだ。ところがある時を境に<闇>の国が<月>の国を攻め始めた。<月>の国はあっという間に乗っ取られて、今度はその勢力を<陽>の国にまで伸ばし始めたんだ」
(それはつまり、戦争 ――?)
 深刻なはずの内容に関わらず、遠い出来事のように聞こえるのは、恐らくソーマの口調に感情がこもっていないせいかもしれない。彼はただ淡々と説明を続けた。
 「<月>の力を奪われて、<陽>の国も危険な立場に追いやられてる。だけど、<闇>の国の思うがままにさせとくわけにはいかないんだ。そんなことになったら、この世界は闇に覆われて、光を必要とする国民達は悲惨な目に遭っちまう」
「だから<月>の力が必要なの?」

 ここから先が、王宮の奥部で王族が住んでいる。一番手前が王の執務室。で、こっちが中庭。通ってあそこに見えるのが王子の執務室。反対側は ―― 。合間に指差しながら、或いは前を通り過ぎながらソーマが言う。扉が途切れると、また話の続きに戻った。

「<月>の力があれば、<闇>の力を押し戻せるようになる。再び国同士の結界を境に世界のバランスが取り戻せるんだ」
「私は……。そんな力持ってないわ。だって、いくら生まれ変わりだって言ったって、ただの人間なのよ?」
 不意にソーマは立ち止まった。
「せっかくだから、兵たちの訓練所や女官達の住居部分まで行こうぜ!」
 振り返って悪戯っぽく笑う。なぜかその楽しげな様子に、質問に答えてもらえていないにも関わらず、笑って頷いてしまっていた。

 訓練所では、鎧を纏って、剣や槍を手にする兵たちの大きな掛け声が響き渡っていて、真剣な空気が流れていた。その中に躊躇いもなく入っていくソーマに続いて恐る恐る踏み入れる。途端に、兵たちの視線が集まってきた。ぎくりと足が止まって、顔が強張る。だけど、彼らが視線を向けたのはソーマで、緊張感は解け、真剣だった空気はがらりと穏やかなものに変わった。
「お、なんだなんだ。ソーマ、彼女かよ?!」
「てめぇ。オレ様を差し置いていい度胸じゃねぇかっ」
 たちまちソーマは大柄な男達に囲まれる。私と同じくらいの背丈をしていたソーマの姿が見えなくなった。背伸びして、かろうじて赤銅の髪がわかるくらい。
「うるせーよ。いいから、練習してろって。アレスに怒られるぜ」
 面倒臭げに―呆れた響きを含ませて聞こえてきたソーマの声に、嫌がっているわけじゃないことはわかる。むしろ、気の置けない仲間に対する気安さがあった。驚いてその様子を見ていると、ソーマが囲んでいる男達をかきわけて出てくる。
「彼女はアレスの大事な女で、俺は案内してるだけ」
「ちょっ、」
 大事な女、という言葉に驚いて声を上げる。だけどすぐに、わっ、と歓声にかき消された。
「アレス様の?!」
「そいつはすげぇや!」
「とうとうアレス様が!」
 違う、とかそんなの知らないっ、とか叫べる状況じゃない。目を輝かせて、物珍しげに見つめてくる視線に困惑した。
「それにしても変な服を着てるなぁ」
「ああ、本当だ。ソーマ、これおまえが選んだのか? それともアレス様が…な、わけないよな」
 じろじろと上から下まで見られて、居心地が悪くなる。自分を見下ろして、制服を着ていることに気づいた。学校にいたときに連れてこられたから当然といえば、そうだけど。確かにこんな異世界では、変な服の部類に入るのかもしれない。鎧に、剣。ソーマも、さっき見たアレスも軽装ではあるものの、やっぱり私の世界では普段見られない服を着ていた。特にアレスはそれこそ本当に童話に出てくる王子様のような、豪奢な衣服にマントを身につけていて、ソーマはそれよりもシンプルではあるものの、深い蒼色のマントを肩当てで止めてつけているのは同じだった。
(ってことは、まさか、この世界の女性はドレスとか……?)
 嫌な予感を覚えて、眉を顰める。
「ほら。あんま、近づくなって。怖がってるだろ」
 ひらひらと追い払うように手を振って、ソーマが言う。はっと我に返って、彼に庇われていることに気づいた。最も、背が同じくらいだから、視線が遮られるわけじゃなかったけれど。だけど、なぜか男達は怯んだように目を逸らして、互いに交し合っていた。
 誤魔化すように、鎧を着込んでいる男の一人が額を指でかきながら、苦笑する。
「あー。わかった、悪かったよ。そうだ。おまえ、せっかくだから、練習相手になれよ」
 話題を変えるためなのか、思いついたように男が言った。
「あ、まぁ。俺はいいけど……」
 ソーマが頷きながら、ちらりと私を見る。その瞳が気遣うように揺らめいていることに気づいて、慌てて首を振った。
「わっ、私ならいいよ! 気にしないで!」
「お嬢ちゃんもこっちで見ていけよ」
「おぅ。ソーマの腕はすごいぜ。一見の価値アリだ」
 傍にいた男の人たちに端っこへ促される。強引ではあるけれど、けして触れては来ない。視線と手招きだけで誘われて、彼らが空けてくれた場所に立った。

 訓練所の中央に残された男は鉄らしい素材で出来ている肩当てと鋼の鎖かたびらのようなものを身につけていて、手にしていた長剣をスッと、構えた。対して、ソーマはさっきまでの飄然とした雰囲気から真剣な空気を纏ってはいたものの、背中にある大剣を構える様子もなく、ただ相手を見据えて立っているだけ。身長も、体格も明らかに相手が勝っている。

「 ――― 始めっ!」
 号令が鳴り渡った。

 その場の緊張感がギリギリのところまで張り詰めて、握り締めた手が汗ばむのがわかる。唾を飲み込むと、ごくりと喉が鳴った。

「行くぜぇ ―― っ!」
 長剣を構えた男が自らそう掛け声を発すると同時にソーマに切りかかった。

 勝負は一瞬。

 鋭い金属音が鳴り響いた時には、男の長剣はソーマが背中から抜いた大剣に撥ね飛ばされて、彼はそれをすぐに切り返し、ぴたりと首筋の急所に狙いをつけていた。

「勝負あり! そこまでっ!」
 再び、号令が響く。

 途端に、わぁっと歓声が沸き起こった。

「すごい……。あんなに重そうな剣なのに軽々と扱っちゃうなんて……」
 まるで剣の舞いでも見せられた気分。
 感動のあまり言葉を失っていると、ソーマは大剣を再び背中へ戻してから、私の元へ歩み寄ってきた。けれど、たちまち他の人たちに囲まれる。
「やっぱ、おまえすげーよなぁ。スピードで争そわせたらこの国一だな」
「まぁ、それが俺の武器だし」
 謙遜することもなく、ソーマの得意げな声が聞こえる。男達をかき分けて出てきたソーマに近寄って、私も声をかけた。
「すごいねっ、ソーマ! かっこ良かったよ!」
 感動した気持ちそのまま、素直に賞賛の言葉を口にすると、ソーマも満更ではなさそうに頬を赤らめ、笑う。
「へへっ。これで褒められると、なんか照れるな」
 その姿が微笑ましくて、自然と頬が緩む。
 はやし立てる周囲をよそに、ソーマはふと空を見上げた。
「お、そろそろ昼過ぎだな」
 その言葉に、私も空を見上げる。
 もしかして、この国では時計がないとか? 太陽で時間を測ったんだと気づいて、疑問に思う。不便かも、と溜息をつきたい気分の私に構うことなく、ソーマは次行こうぜ、と促してきた。 

 また後でなー。お嬢ちゃんもいつでも来いよー、と手を振る男の人たちに挨拶を返しながら、訓練所を出ることにした。

「悪いな、つき合わせて」
「え?」
 再び、宮殿の廊下を二人で歩いている途中で、ふとソーマが言った。頭の後ろで手を組みながら前を歩く彼の背中を見つめる。
「ちょっとさ。世界渡りをしたとき、力使い果たしちまって。丸一日寝てたから、身体動かしたかったんだ」
「世界渡りって、私をこの世界に連れてきたこと?」
「ああ。ほんの短い時間でも、オレには相応以上の負担がかかる。しかも今は、この世界のバランスが危ういから、余計に」
 ――― そういうもんなんだ。それにしても。
 思わず、自分の身体を見下ろす。確かにこの世界に初めて来た時は寝ていたけれど、どこか重く感じるということはない。けど、彼と同じくらい寝ていたみたいだったから、その間に回復したのかもしれない。
「……あんたが寝てたのは、ただ単に睡眠不足だってアレスが言ってたぜ」
 呆れたような口調で言われて視線を戻すと、ソーマは歩くのを止めて振り返っていた。
「まぁ、確かに世界を渡る瞬間は頭の中に光が溢れて、意識が混濁するだろうけど、丸一日。オレと同じくらいに寝てたってのは本来ありえねぇんだよ」
「そ、そうなの?」
 非難がましい胡乱げな目つきをされて、思わず後退する。
「そうだよ。なんか失敗したかって本気で焦っちまったぜ」
 肩を竦めて、苦笑いを零す。その目には真剣な光が宿っていて、気がついたら、ごめん、と口にしていた。
 ……寝不足という不可抗力だったにしても、心配してくれてたんだと思うと、なぜか嬉しくなった。ムリヤリ連れてこられたことを差し引いても、親しみはわいてしまう。さっき会ったばかりのアレスよりも、断然好感度があがっていくのを感じていた。


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