11. フェアリープリンセス

2007年11月05日

00 理不尽なお茶会(01):(11/フェアリー~)

 雲ひとつない澄み渡った、青い空。優しい光を降り注ぐ太陽。暖かな空気。見渡す限りの草地。流れる穏やかな時間はいつもと変わらず、平和なものだった。その穏やかな時間に包まれながら、お気に入りのティーセット。手作りの生クリームたっぷりのケーキと逆に甘さ控えめのクッキーを並べているテーブルを見て、溜息をついた。
 「……あの、気に入りませんか?」
 一歩後ろに控えて、ティーポットを手にしているタキシード姿の青年が恐々とした口調で問いかけてくる。一見、普通の好青年に見える。さらさらと風に揺れる金髪。潤んだように見える赤い瞳。薄い唇。男のクセに肌が白い。美青年だと噂されているだけあって、顔は整っている。その頭にふたつ。白く長い耳さえなければ。しゅんと、まるで青年の気持ちを現すように項垂れている耳を睨みつけるように見て、再び手にしていたカップに口をつけた。
 「紅茶は美味しいわ」
 そっけなく答えたにも関わらず、青年の耳は元気に立ち上がった。

 「本当ですかっ?!」

 「……ええ。紅茶は美味しいわ」
 「よ、よかったですー。これで次回の第7000回「妖精執事大会」に安心して出場できますー」

 フルフルと身体を小刻みに震わせて感動したようにガッツポーズをとる青年の耳は、大きいわりに役立たずらしい。紅茶「は」とわざとらしく言った声が聞こえなかったのか。聞こえないフリをしているのか。明らかに後者だと確信しながら、ミレはカップをそつない仕草で皿の上に戻して、スカートに広げていたナプキンを使って口元を拭いた。そうして、さりげなさを装って、ケーキが乗っかっている皿を掴んだ。自分の小さな手に気づいて、仕方なく両手で。
 「ミレ様?」
 ようやく感動から戻ってきた青年は、ミレの行動に気づいたのか首を傾けた。しかし、それに答えるより先、掴んでいた皿を持ち上げて、全力で振りかざした。びょんっ、と物凄い勢いで上に乗っていたケーキは青年の顔に見事にヒットする。べちゃ。
 「……なっ、」
 唐突に顔面が真っ白になって驚く青年は絶句した。かまわず、叫んでやる。
 「ばっかじゃないっ! 何で紅茶に身体を小さくする液体が入ってるのよっ!」
 「い、いえ……。それはラヴオールドウォーターですよ。紅茶の一味に欠かせないと、ティア様が」
 ――― ティア様。
 悪戯好きの月の妖精王女。むかっ。美しいと評判の彼女は青年をからかうことを最近のお気に入りにしているらしく、すぐにチョッカイをかけてくる。べーっと舌を出している彼女の姿が思い浮かんで、むかむかっと腹が立ってきた。
 「そんな味付け、本気にするなーっ!」
 テーブルごとひっくり返したい気分になったが、今の小さな小さな自分では揺らすことさえ出来ずに、その鬱憤を叫んで青年にぶつけることしかできなかった。

2007年11月07日

00 理不尽なお茶会(02):(11/フェアリー~)

 「よりにもよって……、ラヴオールドウォーターだって?」
 腹を抱えて笑って言うギルを呆れた目で見やって、すぐに隣で「の」の字を書いている執事に視線を向けた。長く白い耳は悲しげに項垂れている。話しかけないで下さい、と背中に書いてある雰囲気を感じ取って溜息をついた。仕方がないので、再び自分で淹れた紅茶の入ったカップに口をつける。湯気とともに匂う香りと、あっさりとした味はムカつく気持ちを宥めてくれるような気がした。

 「けど、ふうん」
 それまで笑っていたギルはやがて興味深そうに見つめてきた。薄い銀髪の髪がさらりと風に揺れて、琥珀の瞳に好奇心に満ちた光が浮かんでいる。整った容貌は、執事にも劣らない。つと、視線を落とすと彼のふさふさの尻尾が楽しげに動いていた。
 「おまえの恋年齢って随分と幼いんだなーと思って」
 「悪かったわね。恋するほどの男が此処にはいないから」
 ふんっ、と鼻で笑って、ギルの視線から逃れるように、瞼を伏せた。何かもの言いたげな視線は変わらずに注がれて、誤魔化すようにテーブルの上にあるクッキーに手を伸ばした。伸ばそうとした。その瞬間、それまで蹲っていた執事が勢いをつけて立ち上がる。

 「恥ずかしがることはありません!」

 その声の大きさにびっくりして、手を止めて視線を向ける。

 「先日僕が飲んだときは乳飲み子になって ――― ぐふ!」
 「全然フォローになってないわっ!!」
 叫ぶと同時に、はっと気づいたときには遅かった。自分の右手に持っていたはずのカップがない。なんてこったい。そう思って恐る恐るその行方を捜すと、執事の額に見事ヒットしていた。ちゃりん、とカップはひび割れて、地面に落ちる。ついでに執事もがくん、と地面に倒れ伏してしまった。
 「……茶の代わり、いるか?」
 空いていた他のカップを差し出され、それを受け取ろうとしてやめた。いいわ、と断ってから、頬杖をつこうとして、イマ自分の姿が幼女だったと思い出し、背もたれに深くもたれるだけにした。
 差し出したカップを意味ありげに見つめ、仕方なし、ギルはそれを自分で飲み干す。苦笑して、呟いた。
 「報われないな、お互い」
 それは聞こえなかったフリをして、ふと思い出したことを口にする。
 「そういえば、明後日からエント・ファームの妖精たちがお祭りをするんだったわ。呼ばれてるのよね」
 「あそこ、まだ住んでるのか? 人間たちが踏み込んできただろう?」
 ギルが怪訝そうな顔つきで言う。反対側の椅子に座って、足を組む。ふさふさの尻尾は、椅子から少し横にはみ出ていた。
 「招待状が来てたもの。様子を見に行ってみるわ。お母様たちはどうせ、手が回らないでしょうし」
 肩を竦める。ギルは考え込むように顎に手を添えていたが、やがてちらりと視線を落としてきた。
 「……その姿でか?」
 現実を突きつけられて、言わないでよ、と不満そうに雰囲気を露わにしてから、いまだ地面に倒れ伏したまま、現実逃避をしている執事を睨みつけた。

2007年11月14日

01:伯爵と小さな女の子(01):(11/フェアリー~)

 ――― 冗談じゃない。
 ガタゴトと走る馬車に揺られながら、彼は怒りに沸き立つ感情に捕らわれていた。さっきまで顔を合わせていた父親が原因だった。あの男はこれ見よがしに自分を執務室に呼び出して、淡々と。あくまで口調だけは淡々と、しかし、その表情が面白がっていたのは一目瞭然で、告げた。
 「我が侯爵家の一部の領地をおまえに任せる」
 その言葉に思わず目を見開いてしまった。目の前の腹黒い男の前で油断など禁物と熟知していたにも関わらず、予想外の言葉に油断してしまった。驚愕の中に恐らく、喜悦の光を見つけてしまったのだろう。男はにやりと意地が悪そうに口の端をつりあげた。ついでに、わざとらしく伸びっぱなしの顎鬚を撫でつけながら。
 「ハイゼット・エントの地だ」
 その名前に、もしもステッキやら、棒でもいい。鞭だって、持っていたら、遠慮なく振り上げていただろう。代わりにぐっと手に平を握り締める。弱みを見せたくなくて、逆ににっこりと笑ってやった。
 「あの。広大な森と丘だけが存在する場所ですか?」
 「治めがいがありそうだろう」
 ふざけるな、と吐き捨てたい気持ちを頭の中でこの男を踏み潰し土の中に埋める想像をすることで、なんとか押さえつける。
 「出発はいますぐだ」
 そう突きつけられた言葉に、今の自分はあいにくと拒否する言葉を言えないまま、従うしかなかった。

 ――― 冗談じゃないっ。
 あんな森と丘しかない場所で、何をしろっていうんだ。苛立ちは最高潮に達して、なお、どうすることもできない自分に歯がゆさが増すばかり。くそったれ、と罵ってやろうとしたところで、急に馬車が大きく揺れて止まった。
 「申し訳ありませんっ!」
 御者の声が外から聞こえる。どうしたんだ、と窓を開けると、焦った顔が向けられた。
 「女の子が倒れていて……」
 「なんだって?!」
 急いで扉を開けて出て行く。御者に抱き上げられているのは、10歳になるかどうかの女の子だった。一見綺麗なドレスを着ているように見えるが、あちこちが泥で汚れている。しっかりしろっ、と呼びかける御者に返事はなく、意識は失っているようだった。
 「この辺りに医者は ―― 」
 言いかけて、周囲を見回し、いるはずがないと絶望する。周囲には、薄暗い森が続いているだけだ。ともかく、御者から少女を取り上げて抱き上げる。ふわりと軽い身体に驚きながら、命じる。
 「ともかく城に連れて行こう。あそこなら、城付きの医師もいる。誰か先に行って、城の者たちに連絡しておいてくれ」
 わかりました、と馬に乗った従者が先に行く。
 少女を馬車に乗せると、さっきよりも早いスピードで動き出した。膝の上で横に抱いている少女を見る。さらりと流れる薄茶の髪、ふっくらとした幼い顔つきながらも、容貌は整っている。とても可愛らしい娘だった。村娘には思えない。しいていうなら、貴族の娘で、大切に育てられている子どものように見える。
 (こんな辺鄙な場所でなにがあったんだ……?)
 怪訝に思いながらも、遠く狼の遠吠えが聞こえてきて、眉を顰める。嫌な予感に、さっきまで感じていた苛立ちはすっかりなくなっていた。

2007年11月16日

01:伯爵と小さな女の子(02):(11/フェアリー~)

 エント・ファームの地は広大な森と丘しかない場所だったが、それこそ妖精の好む土地柄で、昔ここには様々な妖精たちが棲んでいた。妖精たちが物の売り買いをする妖精市場などという滅多にないものまであるのもここ特有の名物だった。しかし、それもこの地に人間が城を作り出すまでは、の話。森を切り開いて、道を作り馬車が行き交うようになった。丘には、城が作られ人間たちが訪れるようになると、妖精たちは危険を感じて市場を閉鎖し、ある者は森の更に奥地へ。嫌気が指したものは妖精界へと姿を消した。人間に興味を持った者、或いは悪さを働こうと企む者達だけがこの地に残った。その数も種類も、人間たちの妖精を信じないという、傲慢で横暴な遣り方に数は減少していくばかり。
 それでも、昔ながらのこの場所を古の土地と愛する妖精たちはいる。その妖精たちを慰めるためにも、ミレは招待されたお祭りに参加しようと心に決めた。
 ――― それなのに。
 「ミレ、俺から離れるなよ。嫌な予感がする」
 一緒に歩いてきたギルが隣で警戒心を露わに言う。狼姿に変化した彼は、銀色の艶やかな毛並みを逆立てていた。琥珀の瞳が鋭く周囲を見回す。
 「大丈夫ですよ!ここは一応まだ妖精の地ですよ。ミレ様を傷つけるような不届き者がいるはずありませんっ」
 そう呑気に喋るのは、ギルとは反対側に立つ執事だった。ひょこひょこと耳がせわしなく動いている。その緊張感の欠片もない口調に、ギルと顔を見合わせた。相変わらず、鈍感。ミレは溜息を飲み込んで、ギルはこれ見よがしに大きく息をついた。

2008年04月22日

01:伯爵と小さな女の子(03)

 ミレに背後を振り返る余裕はなかった。追いかけてくる殺気は、ぴりぴりと肌を刺すような感覚で感じ取れていたし、騒々しい中であっても呟く声を聞き間違うことなく拾える耳は、彼らの微かな足音を確かに聞き取っていた。
 『 ――― 逃げろっ、ミレ!』
 ギルが叫んだ言葉を思い出す。彼も何人もの武器を持った者達に囲まれ、執事とミレを逃がすだけで精一杯だった。それでもギルの剣の腕は信じているし、彼はいざとなったら仲間を呼び寄せて反撃することもできる。だから今は、ミレ自身が逃げきることが重要だった。捕まってしまったら、ギルも身動きが取れなくなる可能性がでてくる。それだけは避けたかった。
 (だけど……っ!)
 流石に全力疾走を続けていれば息も途切れてくる。いつもは感じない胸に抱えている執事の重さがまるで鉛になったようだった。
 「ミレ様! 僕を降ろして下さいっ。僕だって走れます!」
 「兎姿で走ったってたいした速さじゃないでしょ! 人間に化けたって私よりのろいでしょーが!」
 「ですが、このままではっ!」
 彼らが妖精の姿を見極めることができないのなら、或いは、兎姿の執事を適当に放り投げて自分が的になって逃げればいいけれど、ミレの後を正確に追いかけてくることを考えても、その可能性は低い。執事が捕まったら、逃げることができなくなる。だからこそ、ぎゅっと胸に抱えた兎を抱き締めて、走り続けた。
 「うるさいわよ! ちゃんと逃げ切るから、ちょっと、だま ―― 」
 最後まで口にする前に、身体がふわり、と浮いた。
 がむしゃらに走っていたから、木々に隠れた先が崖だとわからなかった。まずい、と思った瞬間には身体が重力に従って落下を始める。
 「――― っ!」
 落下しながら、せめて執事だけでも、と思って腕の中の執事に術をかけた。ミレ様、と最後に聞いた声はあまりにも切羽詰っていて、彼に心配されることに嬉しさを感じながら ―― 意識を失くしてしまった。

2009年10月19日

01:伯爵と小さな女の子(04)

 さて、どうしたものか。
 机の上に置かれた領地譲渡に関する手続きに目を通しながら、自分を此処にあてがった忌々しい男をどうやって見返すかの算段をする。どんな手段を使おうとも、華やかなる首都に戻って失った権限を取り戻す。その野望こそが生きる糧であり、復讐でもあった。
 こんなところで終生を迎えるなど、冗談じゃない。
 胸に湧き上がる怒りを感じながら、それでも暫くはこの土地で過ごすしかないのも事実だと、書類にサインを書いていく。その中でもなにかしら自分に役立つものはないものかと細心の注意を払いながら数枚の書類を読み終えたとき、書斎の扉が開いた。
 姿を見せたのは、老齢の執事。顎にわずかな白髭をたくわえており、ブルーの目は従順な光を宿している。皺ひとつない服装を始め、靴までツヤがあるほど磨かれているのは、仕事ができることを意味しているのだろう。実際、伯爵がこの屋敷に着いてから、執事はスムーズなほどに彼の意図を汲み取り、動いていた。彼ほど見事に仕事をする執事は首都での屋敷でも見たことがない。
 宝の持ち腐れだな、と思って、首都に帰るときは連れて行こうと、まだ着いて数時間も経過していないうちに彼は考えていた。
「お連れになった少女の意識が先ほど戻ったようです。いかがなさいますか?」
 開口一番にそう尋ねられて、この屋敷に向かっている最中に道端に倒れていた少女のことを思い出した。屋敷に連れ帰り、医師に任せたあとは、すぐにこの書斎に来て、用意されていた書類を検討していたため、すっかり忘れていた。
 それを顔には出さずに、彼は気遣うような表情を浮かべて見せた。
「どんな具合だい?」
「それが――」
 わずかに言い迷うように執事が眉を顰めたのを見て、なにかしら厄介なことが起こったかもしれないと警戒する。
「身体は幸い、小さなかすり傷程度のようなものらしいのですが、どうやらご記憶が……」
 気の毒そうに言いよどむ執事の言葉の先は、推測がついて、どうやら記憶がなくなっているらしい、と頭の中で付け足す。
(まったく……。来た早々、トラブルにぶつかるとはね。)
 そう思いながらも、暫くはこの土地の領地主である以上、悪い噂を吹聴されるわけにはいかない。どんなところであっても、自分は素晴らしい人物であると認めさせるだけの力量を見せ付けなければ。
 彼は即座にそう判断すると、執事に向かってにっこりと微笑んだ。
「記憶がないのは大事だ。暫くは屋敷で様子を見よう。領地の者がそのうち、訪ねてくるかもしれないからね。こちらからも、それとなく行方不明の少女がいないか探ってみてくれるかい?」
 その言葉に、執事は心優しい主人だと感動に目を潤ませると、「かしこまりました」と頷き、一礼をして書斎を出て行った。
 パタン、と扉が閉まったのを確認して、彼は舌打ちする。
「さっさと追い出してやる……!」
 呟いた声は、わずかに開いている窓の外に落ちていった。
 その外では、長い雑草にまぎれるように、白い兎が長い耳をせわしなく動かしてぴょこぴょこ跳ねていった。